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人の究極の4つの幸せ

ヘッズさんで、皆で「いい会社」をつくるための勉強会が始まりました。その名もズバリ「経営理念勉強会」と名付けられました。

前回ご紹介した通り、ヘッズさんの経営理念は「幸せ制作会社」とされました。勉強会は、この経営理念はどういうことか、何を大切にしていけばよいかを問い、一人ひとりの社員が考え行動していく時間になっていきました。

わたしが伊那食品工業に行ったときに衝撃を覚え、頭の先から足の先まで「いい会社」の真髄が染み渡ったように、ヘッズの社員さん全員を現地へベンチマーク視察にお連れできればベストですが、現実にはそうはいきません。

そこで、「いい会社」と称賛されている会社の経営者が著した書籍の読み合わせや、そういう会社の模様を紹介したDVDを視聴して、「いい会社」とは何か体感をしていくことを勉強会では繰り返していきました。

「幸せ制作会社」と銘打ったからには、社員一人ひとりがここで働く幸せをどうとらえていくかということを当初の勉強会では重要なテーマといたしました。

これには、日本理化学工業さんをベンチマークさせていただくのが、最適です。

日本理化学工業2

60年近く前、当時専務だった大山泰弘さんのもとに、養護学校の先生が二人の重度知的障害のある少女と共に訪れます。

そして、「この子たちの就職先を探しています。大山さんのところで引き受けていただけないものでしょうか」と嘆願されます。

しかし大山さんは、「見ての通りの零細工場なもので、とても雇いきれません」と丁寧にお断りをします。

そうですか、と養護学校の先生はいったん引き下がりますが、その後も通ってきたそうです。

「やはり雇用は難しいですか。」

「はい、申し訳ありません」

こうした問答が繰り返されました。

3月のある日、また再びその先生は、大山さんのもとを訪ね、こう切り出しました。

「もう雇ってほしいとは申しません。あの子たちはもうまもなく卒業していきます。すると親元から離れ田舎の施設に入り生涯をそこで過ごすことになり社会との関わりがなくなります。せめてその前に大山さんのところで仕事の体験だけでもさせてもらないものだろうか?」

それを聞いて、さすがに気の毒にと思った大山さんは、「わかりました。では2週間実習生ということで職場体験をしてもらいましょう」と受け入れることにしました。

実習が始まるその日、二人の少女は緊張しきった表情で日本理化学工業の工場の門をくぐりました。社員たちは持ち回りで、二人の世話をしました。仕事と言っても、シールを剝がして貼るという超単純作業です。

それでも二人の子たちは、一生懸命にその作業をし始めます。

最初は曲がってしまったシールがだんだん正確に貼れるようになっていきます。社員さんたちが「上手だね」とほめると、満面の笑みを浮かべまた嬉しそうに作業に没頭していくのでした。

まさしく一心不乱にその作業を続け、ひとときも手を休めません。お昼休みのチャイムがなっても、なお仕事を続けようとするので「もうお昼だよ、ご飯にしようね」と声をかけて、ようやくふぅーっと息をついて手を止めるのでした。

毎日毎日、二人の少女はそうして懸命に仕事に打ち込みました。

やがて約束の2週間が過ぎ去り、最終日の昼下がりのときでした。

「やれやれあの子たちも今日で終わりだな。怪我もせずよかった」と安堵している大山さんのもとをひとりの社員が訪ねてきました。

そして、こう告げたのです。

「あの子たちを雇ってくれませんか?あんなに一生懸命働いているのだから、なんとかなります。これは自分だけじゃない、社員全員の総意です。」

と詰め寄ってきたのです。

確かによく働いているのはわかる、しかし、雇用となると大変なことだとためらていった大山さんですが、社員たちのあまりの勢いにおされ、二人を雇用することを決断していきます。

これを聞いた養護学校の先生は「よかった、ありがとうございます」と泣き崩れます。日本理化学工業の社風なら、あの子たちはやっていけると見込んだ自分の眼力が叶ったのです。

4月、晴れて社員として二人は入社してきました。面倒をみるといった以上、社員たちは気をかけ続けていきますが、ここは施設ではなく、一般企業です。二人の給料を捻出するためにも自分の仕事もそれまで以上にこなしていく必要があります。一日中つきっきりになる訳にもいきません。

本人たちの成長に期待するしかありません。しかし、字が読めず、計算もできない重度の知的障がい者が仕事をしていくことは容易なことではありません。仕事もいつまでも、単純作業だけという訳にもいきません。

社員たちは、自分事として、二人が仕事ができるような工夫を凝らし続けていきました。

それでも健常者に比べれば仕事の覚えは遅いのはいかんともしがたい現実が突きつけられます。そのことをいちばん腹立たしく思っているのは、ほかならぬ当人たちだったのです。

せっかく皆さんがよくしてくださるのに、期待に応えられないもどかしさで、自分を責めて泣き出したり、ぐずったりすることがまま見られるようになりました。

そういう時は、これは気分転換が必要だと、大山さんは、今日はもう家へお帰りとなだめていきました。

しかし、そういうと決まって二人の態度は一貫していました。

泣きながらも、大山さんにしがみついて、「ここから追い出さないで、しっかり仕事を覚えるから、頑張るから」とせがんで、また仕事にもどろうとするのです。

このことは大山さんはずっと疑問だったそうです。

辞めさせると言っている訳でもないのに、何故あの子たちはつらい思いをしてまで、家に帰るよりここにいようとするのか、家に帰ったらずいぶんと楽になるはずなのに、、、。

ある日、法事があり、大山さんの前には禅寺の導師が着席されました。何か話しかけなければと思った大山さんは、その疑問をぶつけてみました。

「私にはわからないことがありまして、実はうちにいる二人の知的障がい者なのですが、、、」

一通りの話を聴き終えて、そのお坊さんは、背筋を伸ばしこう返答をされたのです。

「大山さん、人の究極の幸せは4つなのです。それは、、、

人に愛されること                          人にほめられること                         人の役に立つこと                          人から必要とされること                                                      

です。

考えほしいのですが、愛されることは親御さんから与えらることはできるでしょう。しかし、そのほかの3つは、社会から、つまり仕事を通してしか得られない幸せなのです。だからこそ、その幸せを感じているからこそ、奪わないでと大山さんに懇願したのです。」

大山さんは衝撃を覚えました。そういわれるとこれまでの人生で数々のことが合点がいきます。

先日も喘息持ちだった学校の先生から、感謝状が届きました。

「チョークの粉で持病が悪化し、もう大好きな教師が続けられないとあきらめかけていた時、ダストレスで粉の出ない御社のチョークに出会えたおかげて病状が改善し、また再び天職が続けられる。本当にお蔭さまです。こんな素晴らしい商品をつくってくださった日本理化学工業の皆様に心から感謝と御礼を申し上げます」というものでした。

その感謝状を社員全員が読み、本当にこの先生の役に立ててよかったね、これからも世の中に必要とされる商品づくりに励んでいこうと全員で喜びをかみしめたばかりでした。

そうか、これか、確かに、このことは仕事をしていなければ達成できない幸せに違いない。そうだったのか、、、。

健常者の自分にとっては当たり前のことが、あの二人の障がい者の子たちにとってはかけがえのないのことだったのだ。

これで大山さんの心が座りました。

日本理化学工業は障がい者の幸せをたくさんつくり出す会社にしていく。

それから毎年のように重度の知的障害のある子たちを受け入れ続け、今では7割の社員が障がい者という会社になりました。

視察行くと、もう誰が健常者で障がい者か言われないとわかりません。それほど見事に仕事をこなしているからです。そして業界のトップシェアという成果も出し続け、今日も元気に障がい者が働いているのです。

長くなりましたが、極めて含蓄のある話ではないでしょうか。

ヘッズさんの経営理念勉強会でも、この日本理化学工業のエピソードを伝えた回には、自分が関わる仲間やお客様に、どんなことでさらに役立っていくか、よりもっと必要とされる会社になっていくためにどんなことをしたらよいか、そして、社会からたくさんのありがとうをもらえる会社になっていこうと全員が思い思いに心することを決意し、絆が固くなってったことを感じました。

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