自己実現と滅私奉公
最初に申し上げます。本投稿は超大作の予感です。
執筆途中で飽きがこないことを願っています。頑張れちょっと未来の僕。
一見すると相反するような2つの言葉。
でも私の生活のなかでは、2つがうまく混ざり合っています。
第1章 自己実現と仕事
「自己実現」という言葉は多くの心理学者や哲学者が定義づけしており、有名なのは学校でも習うアメリカの心理学者「マズロー」の欲求5段階説での「自己実現」かと思います。
ただ、私の頭のなかでの「自己実現」は下記と定義しています。
そして会社が今よりももっと良い状態になるためには僕自身の「自己実現」を目指すことが重要だと考えています。
これは僕自身に限ったことではなく、他の社員においてもそう。
それがいまの仕事に向けられなくなったのであれば辞めればいいし、というか辞めてそれを達成できることに向かえばいい、と考えています。
僕はいまとても自由にお仕事させてもらえている立場にいます。
何か明確な業務指示や内容がないからこそ、期待にこたえなきゃいけないし、そうなるとやってみたいことがたくさん出てきます。
心理学者チクセントミハイのフロー図でいえば、まさにフローのど真ん中です。
自由にお仕事させてもらえるようになってから、ずっとフローのど真ん中です。
会社を通して、仕事を通して、チャレンジを通して、どう「自己実現」を達成してやろうか。そしてそれと同時にどう会社を良い方向に持っていってやろうか、という野心に満ち溢れています。
なんか、とても良い状況・精神状態でいられているな、と自画自賛です。
第2章 滅私奉公と家庭
第1章を飽きずに書き終えられた自分に拍手。
さあ第2章。このまま突っ走るぞ僕。
「家庭」において、僕の「自己実現」は邪魔なものとなります。
「自分の気持ちの優先度は最も低く設定し、どうすれば家族のことをケアできるか」を意識して過ごすことにしています。3日前から…
子どもたちが、妻が何を望んでいるか、そしてその望みをどうケアしていくかを意識して過ごすこと。
4日前までの僕にはなかった考え。
「自分が、自分が」が先行する、自我が溢れていた僕とはもうオサラバです。
良いこと言いますね。ミルトン・メイヤロフ。
他人をケアし、その人の成長を願い実現させていくことが、僕自身の自己実現にもつながる。本当にそうかも、って思っています。
これって、日本昔話系に良くでてくる、欲張らず、自分よりも他者を大事にすれば良いことがあるよ、的なアレに通じるところがありますよね。
やばい、集中力が途切れてきました。
集中力途切れたって思ったら、もっと集中が途切れてきました。
超大作なのに、ちゃんとした文章なのに、「アレ」って単語がでてきた時点で思考停止は近いです。
第3章 まとめたいけど、まとまるかな
完全に集中なくなりましたが、イタチの最後っ屁で頑張ります。ベジータの目にエネルギー波を食らわせてみせます。
第1章では、「自己実現」を達成するために仕事をすることで結果として会社も良い方向に向かえるということを書きました。
第2章では、「滅私奉公」で他者を重視しケアすることが、結局「自己実現」につながるということを書きました。
つまりこういうことです。
すべてはつながっていて、結局「僕」は「僕がどう自己実現するか」しか考えていないんです。第2章で言っていたことはなんだったんだ。結局僕はエゴイストのままなのだ。
おしまい。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?