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ルール?展と私のルール

私はたまに美術館とか展覧会に行くのが趣味でした。それは行くとなんだか教養が付いた気がするから。ですがコロナ禍と住んでいる近くでは気になる展示がなかったので足が遠のいていました。  以前よりもコロナ感染者数が落ち着き、久しぶりに関東へ里帰りをしたので折角だからどこか行きたいと思っていたところ、数少ない稀有な友人が遊んでくれるというのでルール?展へ連れ出しました。 ルール?展とは今現在あるいろんなルール(法律、規則、暗黙の了解、個人のクセまでetc)を多くの視点で捉え直そうとい

    • 抽象的な話 学ぶことについて

       久しぶりに簡単な座学を受ける機会を得た。学生時代は真面目にノートをとることなどしてはいなかった。ノートを取っていたところで見返して復習をすることなど万に一つもなかったから意味がなかったので取らなかった。おかげで当時の成績は目も当てられないような悲惨なものだった。だから今現在記憶には一切残っていない。都合の悪いことは忘れるようにして生きている。  だが今回はさすがに大人なのだから真面目に受けてみようと一念発起した。ノートを新調して気持ちも新たに座学を受けてみた。講義を聴きなが

      • 抽象的な話 上達について

         最近バスケットボールをはじめた。とても楽しい。何が楽しいのかというと単純に体を動かすこと、そして練習して前回できなかったことが次回の練習では(ちょっとは)できるようになることが楽しい。つまりは上達することが楽しい。小中高と運動をしてきたが今回のバスケはこれまでで一番考えて練習をしていると思う。この、考えて練習をして上達するということが楽しいのだと思っている。考えて練習もしくは勉強することを他のことにも活かせないかと思い、考えをまとめてみる。  考えて練習をして上達する。こ

        • 簡単な話 夜更かし

           夜更かししてしまうのはその日一日の充実感が足りず、それを取り返そうとするからだ、と昔聞いたことがある。そうだと思う。現に今この文章を書いているけれど私にとっては夜更かしをしている状態だ。特に話題がなくてなに書こうかなーと思ってたら遅い時間になってしまった。こんなことが私はよくある。小学校の宿題のときもそうだ。やりたくないなーと思って先延ばしにした結果遅い時間にやる羽目になる。人生で幾度も同じようなシチュエーションがあった。そしてどの状況でも夜更かしはいい結果につながらない。

        ルール?展と私のルール

          抽象的な話 意見と感情について

           最近になって私はあることに気づいた。意見と感情は別なのだと。うまく説明できるかわからないけれど書いて見る。  私は今まで意見や主張というものには感情がセットになっていると考えていた。だから議論で意見がぶつかると、「うわあ、あの人と意見がぶつかっちゃったから喧嘩になっちゃうよ〜。」とか「なんでこの人こんなに反論してくるんだ?私のこと気に入らないのか?」とか考えていた。  だから意見や主張を持つと人とぶつかりやすい、喧嘩っ早い人間だと思われるから極力意見は言わないでおこう、中

          抽象的な話 意見と感情について

          夜更かししてしまった2/19

          眠気で焦点が定まっていない感じがしている。明日やるべきことを思い出し、そしてそれに関して何も準備していなことまで思い出してしまった。胃の底に何かが溜まっているようにドロリと重い。何かせねば、と動くもできることは限られておりすぐに尽きる。けれどこのどろどろはさらに粘度と密度を増し時間を吸って膨張する。眠いのだが、明日が来るのが恐ろしい。そうしてグダグダと無駄に体を動かしていた。  気がつけば日付が変わっている。今度は睡眠時間が削られたことによる、明日寝坊しないだろうかというモヤ

          夜更かししてしまった2/19

          不安が押し寄せる

           自分の気持ちがわからない。こうしたいだとか、ああしたいだとか、そういう気持ちがわからない。「あなたはどうしたいの?」そう聞かれたときにいつも困る。聞かれたときにパッと思いつく考えはある。しかしそれが本当に自分が心の底から願うものなのかと言われると自信がない。それが他人の不利益につながるというときには尚更だ。だから結局別の意見にしたり、曖昧な言い方になる。  この文章を書いているときにさえ不安になる。これが本当の気持ちなのか。ただ自分の意見を言って他社から否定されるのが怖い

          不安が押し寄せる

          それはほろ苦い大人の味

           高校2年の夏にみんなで海に行った。親友の森山(以下ヤマモリ)は恋をしていた。同級の仲間達でも中々に可愛いとよく噂されていた高橋さんにだ。ヤマモリはどうしても高橋さんと付き合いたいがため、華麗な告白を決めるこの日のために頑張った。女子達を1カ月前から説得して予定を空けさせたり、最高の肉体美を魅せるために筋トレに勤しみ、高橋さんが海で食べるものは全て俺が奢るんだと、アルバイトで勤勉に働いた。ヤマモリはそれまで私の中では平凡な男という印象だったのだけれど、ああ、こいつはやるときは

          それはほろ苦い大人の味

          最近聴く曲

           最近よくサカナクションの「忘れられないの」という曲を聴いている。もう繰り返し繰り返し聴いている。なんならカラオケでも歌う。3回くらいは歌った。PVも好きでよく見てる。あの特徴的なダンスを覚えたいなあと思ってる。  昔からサカナクションは好きだった。初めて聴いたときはいつだっただろうか。アイデンティティという曲をはじめ色々な曲を聴いていた。メロディが好きだし、リズムも好きだ。静かな曲よりも叫ぶような曲の方が好きだ。  どの曲も伝えたいことがあるんだけれど言葉じゃ伝わり切らな

          最近聴く曲

          博多の夜

           友人2人と博多へ行った。6月は日差しが強いが風は涼しい。昼間は街をぶらついた。夜になれば天神へと向かい飲み食いをした。博多在住の友人の友人が来てくれたが、人見知りの私は緊張して飲みすぎてしまった。そんな私にも関わらず、その方はたくさん笑ってくれた。いい人だった。  友人達と私は宿が違ったため、途中で別れた。宿までは程よい距離だったため歩いて帰ってみた。酔いが残っていたらしい。  昼間に歩いた道は人が多くて車もたくさん走っていたが、遅い時間では人の気配が少なく静かだった。

          博多の夜

          たまにはダンスでも

           昨日、色々あって踊った。別にクラブに行ったとかちゃんとした場所で踊ったものではない。歓喜の踊り、人の根源的な思いから思わず踊ってしまったのだった。いや、そんな高尚なものではなくてただ楽しくて踊った。楽しくなると人は体を動かしたくなる。動かすともっと楽しくなる。思うのだけれど普段から職場等でも嬉しいことがあったら踊るようにした方が何もかも上手くいく。それくらいのパワーが湧いてくる。  今日はそんなことを思いながら踊りたくなるタイミングを探していたが、そんな瞬間は来なかった。仕

          たまにはダンスでも

          自己 6/25

           自己肯定感が低いと感じる。私は私を否定することに慣れすぎた。思ったことを書いて自己受容の助けにする。文章にして視覚から刺激を受けた方が私にとっては深く理解できる。  私は良く、自分をダメな存在だ、と自ら宣言することが多い。冗談っぽく言う。相手に自分が本気にしていると思われたくないからだ。大抵は笑って流してくれる。これが私の相手に求めている反応。しかし稀に、「なぜ自分を卑下するのか」「それを言う必要はない」と諭してくれる人がいる。しかし、これが私にとっては一番辛い。そんな反

          ナイーブ

           福岡に旅行に行ってきた。友達と。向こうではその友達の友達とも会った。私は生来、人見知りで知らない人に会うのが苦手だ。なぜ苦手かと言うと、自分を許容してくれない存在かもしれないから。拒絶されるかもしれないから。今までの人生、人から優しくしてくれたから、ここまで生きてこれたと言う自負が私にはある。だから拒絶されると言うことは私の生を否定されるという解釈をしてしまう。それが酷く恐ろしい。  しかし、今回はそんなことはなかった。前よりも気にしていない自分もいたし、仮に否定されても

          ナイーブ

          6/21

           今日は眠かった。朝の3時からずっと動いていたから、帰ってご飯を食べてすぐに眠ってしまった。そして微妙な時間に起きてしまい、今度は寝れず困っている。暇だから文章でも書いて眠気が来るのを待つ。  最近は日々、自分がだらしのないやつ、ということを思い知らされている。このことのせいで、仕事で嫌な気分になることが多い。私はそれをどうにかしたい。仕事ができるようになりたい、よりも、嫌な気分になることを減らしたい、に重きを置いてどうにかしたい。私は自分の気持ちや考え、というのに今まで無

          雑文

           自分のしたミスは人から指摘されても理解できない。何がいけなかったのか、何故そうしたのか、と言われて理由を答えてみても、いやそうではない、と言われて懇々と言われる。しかし、他人が自分と同じ失敗をして同じように懇々と言われていると、何故その人がミスしたのか、どうすれば良かったのかがよくわかる。これが客観的ということなんだろうか。  夜も更けた。今日はもう寝よう。

          弥次喜多珍道中

           先日祖母とその妹、私からすると大叔母(以下「おば」に略称)と会った。私が住んでいる所の近くまで来ているから、と言ってわざわざ遠い田舎街まで足を運んでくれた。  祖母とは幼い頃から面識がある。私の実家に比較的近い所に家があるため、すぐに遊びにいけるのだ。しかし、大叔母の方とはほとんど面識はない。今回で会うのは3回目だった。  祖母と大叔母には電車で私の住んでいる街まで来てもらった。老体に無理をしてもらったのにも関わらず、私は溜まった洗濯物を処理するために10分ほど遅刻して

          弥次喜多珍道中