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不都合な企業内人材育成論の実態vol.1

今、中原淳氏の「#経営学習論」を読んでいる。かつて日本企業に存在していた人材育成の土台(本文では【意図せざる整合性】と記載)がバブル崩壊後の成果主義の台頭並びに短期業績への偏重等によって消失した、とあった。それから約30年が経過した2022年現在、既に職場には「人を育む文化」の基本的な土台は完全に消失していると言える。

■人材育成は失われたオーバーテクノロジー?


人が人を職場で育むプロセスが企業組織から失われて既に30年が経過したという事は、当時新入社員だった人が現在40代後半~50代前半、現在の経営体制を担う意思決定を行う世代となっている、という事だ。彼ら彼女らの中で(個人的に高い資質や強い学習意欲がある人を除き)体系的に人を育てる技術や能力を磨いてきた人がどれほどいるのだろうか。少なくとも、現在、社会や企業が要求している質及び量を確保出来ていると言えない事は確かだ。

上記の実態は、自分が歩んできたキャリア人生における体験ともリンクする。現在、自分は6社経験しており、一部上場企業の販売子会社、不動産ベンチャー、教育プログラム開発系コンサルティング会社、美容室経営、健康食品販売、医薬品メーカーと様々な業種、業態、規模の違い等を経験してきた。n数は少ないが、恐らく日本企業の典型的な例を複数観てきている気がする。それは、新人への実務(実技)指導は非常に充実しており、サポートも厚く、先輩や上司は後輩や部下に丁寧に指導をしている一方、人として、社会人として、リーダーとして、如何にあるべきか、という指導には殆ど着手していないか、やってもろくに効果を上げていない、という実態だ。

新卒採用を行っている企業において、現場では日々仕事の実務指導が行われている。新入社員に対し育成しながら仕事を遂行するOJTがその主軸だ。現職の医薬品製造現場や分析業務では、製品の性質上絶対にミスや誤魔化しが許されない。その為、実務に関する指導は頻繁かつ的確に行われている。「先輩が意地悪して実務的知識を教えてくれない」という事態は、当社には無い。これは誇りであり、素晴らしい文化だと思う。そして多くの職場でこの素晴らしい誠実な文化が存在しているように思える。それは日本企業の製品やサービスの品質の高さが証明している。これがないと、製品やサービスの品質にばらつきが生じ、レベルが安定しない。中国製品を利用すると良くわかる。中国製品は最先端の技術を用いて製造されている高性能機器が多数存在するが、一方で不良率が高い。品質の安定性が無いのは、現場レベルでマニュアル通りの作業を行っていない、品質を担保するような製造工程、検品工程になっていないからだ。ここはまだ日本が非常に強く、継続的にアドバンテージがあるところだ。

つい最近、こんな事例を聞いた。その人は人事部所属で、障碍者雇用について学ぶセミナーに参加した際、特例子会社を設立している会社の事例紹介をきいたそうだ。そこでは定年を迎えた嘱託社員が「班長」として指導役に登用され、障碍をもつスタッフたちを育てながら仕事を進めていた。その人はこの事案を大変素晴らしいと感じたらしく、業界も同じだったので、さっそく自社でも検討出来ないか考えた。そこで、かつて人事部のマネジャーを務めていた嘱託のベテラン社員にこう聞いたそうだ。

「当社の現場社員の55~60歳の人で、人を育てるのがうまいと評判の人はいますか?」

すると、こんな答えが返ってきた。

「いやぁ~、聞いたことがないなぁ。実務に優れた人は知っているが・・・。役職定年した人達も、育成がうまいというより、実務に優れているので昇格した傾向にあるねぇ・・・。」

このエピソードは驚くに値しない。総じて現場のポジションは戦術的な実務スキルの優劣で決まる傾向にある。一方、人の上に立つ、人の指導を行う、人としての在り方を説く、等の指導が出来る人材がほぼ皆無、という何とも悲しい実態が突きつけられる。この文章を読んで共感してくれる人事部の人は多いのではないだろうか。

そう、実は現在の日本企業には既に「人を育む能力」は欠損しているとみて相違ない。「実務を担う人材を作る」という初期教育は現状も機能している。というか、これが出来ていないと新卒社員を受け入れる事が出来ず、中途採用だけで補う事になる。自分がかつて所属したベンチャー企業は正にそうだった。実務育成ノウハウが存在しない(実務フローすら固まっていない)為、個人の技能と経験に頼るしかない、という構造だった。人材育成について課題を抱えているのはどの企業でも共通だったが、新卒社員を継続的に受け入れている会社に「実務指導ノウハウが組織として備わっていた」事もまた同じだった。

しかし、それは人材育成の初期段階をクリアしているに過ぎない。実務に成熟したスタッフを職場のリーダーへと育成するノウハウがない、という事は次世代リーダーの構造的な欠乏に繋がる。それは個人的に資質の優れた人が台頭する事を期待するだけの状態になるからだ。

総じて企業は「次世代を任せられるリーダーがいない」と嘆く。しかし実は次世代リーダーを育成してこなかったのだ。次世代リーダーを育成するノウハウはバブル崩壊と共に失われたオーバーテクノロジーになった。オーバーテクノロジー化した要因は、それらが研修などの体系化された学習プロセスではなく、【意図せざる整合性】をもって全体として機能していたものだからだ。現在も次世代リーダー育成に成功している企業は、このテクノロジーを継承するか、体系化するか、いずれかに成功しているのだろう。

■人事部の新たな役割

今、人事部としての自らの役割が明確になったと自覚している。次世代リーダー育成の為の体系的なノウハウを社内に構築し、それを組織文化の段階になるまで定着させる、という事だ。次世代リーダーが育つ場として組織と職場を機能させるという事だ。これは単に研修を整備すれば足る、という事ではない。無論、研修も重要だが、それらの学びを定着させ、内省を促し、更に自分の血肉として発展させるプロセスを業務を通じて行う仕組みが必要だ。そして仕組みだけでなくそこに血が通うように組織の整合性を作る事だ。

人を育むとは、指導者が実務を通じて本人のリーダーシップの発揮の仕方を客観的に見せる鏡になる、という事だ。同時に、自らがリーダーとして積極的に学び拡大するプロセスを後輩に見せる事だ。これについては現状、ほぼ全員が素人と言ってよい。プロフェッショナルコーチでもない限り、これらを体系的かつ的確に指導できる筈がない。そのノウハウはいつの時代もブラックボックス化とされてきた。日本人が良く使う言葉に「人間力」がある。これは便利な言葉であり、優れたリーダーを総括して表現する。そしてわかった気になる(させる)効果がある。「結局、マネジャーは実務もさることながら、【人間力】が大事だよね」という感じだ。しかし、肝心の「人間力」とは何か?を定義できる人も、分解して解説出来る人もいない。仮に定義できたとして、それらを徐々に高める方法を説明も実行も出来る人がないのだ。

今後の企業の教育体系の整備では、「人間力」なるものを定義し、要素に分解し、個々の要素を訓練する為の教育プログラムに落とし込み、それを評価してフィードバックする一連の構造が求められる。無論、人間力とは総合力であり、分解した能力が個々に発揮されても、それだけでは全体として機能する事を保証するものではない。しかし、そもそも分解しなければ焦点を当てて訓練する事が出来ない。恐らく総合的な訓練を行う方法があるとしたら、それは「修羅場体験」以外にはないだろう。だから次世代経営者の選抜のプロセスで業績の悪い子会社の立て直しを命じる人事が発令されるのだろうと推測する。

人間力を要素へと分解したものを、客観的に測定する為に、適性検査を活用するのも有効だろう。適性検査と定性的な他者からのフィードバック、そして内省の機会を学習サイクルとして回す。これが出来れば、完璧とは言えないが、一定程度の知見が社内に蓄積するだろう。そこから更に改善を進めていけば糸口は掴める。

最後に、次世代リーダー育成の為の最大の要諦は、社長自身がこのテーマに挑む事だ。自らが挑戦し、フィードバックを受け入れ、学びのプロセスを公開し、自分も発展途上であると示す事だ。これが全員の学習を促進するだろう。

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