見出し画像

成長とは何か?

先日、ある対話会の中で出た非常に深い問いを得たので、noteに書き記しておきたい。それはとてもシンプルな問いだった。

『成長とは何か?』

20世紀までにおいて、この問いは何の意義も持たなかった。疑問に思う余地がない、当然の常識と言うべきものだった。特に民間企業の経営においては自明の理とされていた。

■20世紀までの文脈において語られる成長

<民間の一般的な営利企業の場合>

- 売上高の増大
- 利益の絶対額の拡大
- 商品&サービスの市場における競争優位性の向上(品質、価格、コストパフォーマンス等)
- 生産性向上による利益率の拡大
- 販売数量、自社商品&サービスの利用者数増加、市場シェア率の拡大
- グローバル展開
- 自己資本率の向上
- 株主利益(配当)の増大
- 従業員数、傘下企業数の増大
- 社会における知名度、ブランド力、影響力の増大 .etc

20世紀の常識として成長(以下、20世紀の「成長」)は基本的に経済規模の拡大、人口の拡大、経済圏の拡大を前提としたモデルである。それらは産業革命時代に本格的に始まり、あっという間に世界の常識となった。より多くの企業が他社より早く、他社より多く、他社より優れ、他社より上に、と躍起になって活動していた。

21世紀となった現代社会においても、上記の成長の定義はいまだに有効であり、多くのビジネスパーソンの常識となっている。いまさら何を言うのか、という感じだろう。

しかし、21世紀においてこの常識はどうなのだろうか?むしろ今、新しい常識が台頭し始めており、20世紀までの常識が崩壊しつつある(あるいは通用しなくなってきつつある)のではないか、という疑問が呈されている。

最も顕著な事象は、地球環境の破壊と消耗だ。既にエコロジカルフットプリントは1.0を大きく超えており、地球全体が20世紀の「成長」モデルに耐えられなくなっている。

その他、20世紀の「成長」モデルに適しなかった人たちが社会の周縁に追いやられ、非常に苦しい生活を送っている。追い詰められた人々はやがて我慢の限界にきて反旗を翻し、暴走する。その暴走した力に対応を余儀なくされる。もはや、意図しようとしまいと、誰かの幸せを押しのけてまで自らが成長する事の正当性が問われる時代となった。私たちは常に他の誰か、他の生物、そして地球と共に生きている事を自覚せざるを得なくなっている。

日本国内に目を向ければ、既に人口減少が始まり、そのトレンドを変える事は出来ない。経済成長は原則として人口の増加(に伴う経済規模全体の拡大と底上げ)を基軸に語られる。日本はこれ以上、どうあがいても爆発的な経済発展は見込めない事は周知の事実だ。様々な工夫により徐々に発展する事はあっても、人口減少に伴う全体の勢いの衰退に打ち勝つものではないだろう。

そして最初の問いに戻る。
では、21世紀における成長とは何だろうか?
21世紀において、私たちはどのように成長を位置付けたならば、よりよい人生を送れるだろうか?

欠かせない要素として、自分以外の他者(地球環境全体を含む)と共に生きる事を考えながら進める、という事はわかる。しかし、ではどうするのか、という次のコンセプトが明確になっていない。現在、国内総生産(GDP)に対する概念として新たに国民総幸福量(GNH)が新たな指標として話題になっているが、新たな世界標準とはいいがたい。改めて私たちは何を目指すべきなのか?というシンプルで深い問いに国も、企業も、人も向き合わなければならなくなってきている。

では、21世紀における成長(以下、21世紀の「成長」)をどう考えるのか。
個人の見解を書こうと思う。

21世紀の「成長」は、一言で言えば「成熟」だ。

では企業でいう「成熟」とはどんな状態を指すのか。
例えば、以下のような特徴を持っているのではないかと思う。

■成熟した21世紀型企業の特徴

- それぞれの企業独自の存在意義に忠実に事業を展開している
- 地球環境、地域社会、その他の周辺環境と繋がりをもち、それらに誠実に対応しており、高いコンプライアンス意識が組織内に充満している
- 社員一人ひとりのありのままを受容し、その人の才能を活かしている
- 各チームが独立した責任体制の下で運営されており、そこにインテグリティがある
- その企業独自の指標を中心に経営されている(売上や利益等を全く考えない訳ではないが、最重要の指標ではない)
- 社員同士の対話による合意や問題解決を重視し、ルールは必要最小限になっている

上記の特徴は正にティール組織である。ティール組織はその組織のリーダーの内面の状態が発生の源となる。ティール組織を能動的に作ろうとしても、リーダーの内面の状態がティールになっていないと、その組織は見かけ上の形はどうあれティール以外の何か(大抵、リーダーの成熟度に応じた特定の状態)に落ち着く。

企業の成熟度合いがリーダーの内面の成熟度に依存するならば、21世紀の「成長」の成否は、リーダーの内面の状態を如何に成熟へと導けるか(教育出来るか)に集約される。教育といっても、成熟へと至る教育は通常の座学ではない。実践や生き方と同義の学びである。生き様と言っても差し支えない。成熟へと至る道は、誰かがリーダーに強制する事は出来ない。自らその道を歩むと選んでいなければ不可能だ。

別のシナリオもある。成熟した人をCEOに就任させれば良い。成熟した人を見極める方法は割とシンプルだ。その人と関わっている周囲の人たちの精神状態や体験、それに基づく行動を観察すればよい。ただし、その状況固有の文脈が強く影響している可能性もある為、最終決定は慎重にするべきだろう。性別、年齢、学歴、知能等は決定的な要素ではないが、一定以上の理知、リテラシー、能力、人生経験等を必要とする事は予想される。

21世紀の「成長」を企業が遂げる為に取りうる手段は、実はとてもシンプルなのかもしれない。決して簡単とは言わないが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?