台湾で最も美しい風景は人-台湾原住民の高山族と平埔族(平地原住民)&(追記)文化・言語が外観に与える影響
台湾にいると台湾人ってなんなのかって疑問がどんどん深みにはまってくことあります。一周回って、やっぱよくわからんでもいいかなってのもあるんですが、今回は軽く浅く彼らのルーツを探ってみたいと思います。
台湾の歴史
さらっと歴史を見てみると、1544年にポルトガルが台湾を通過し、イラ・フォルモサ(美しい島)と名付け、いまでも台湾の別名はフォルモサを使っています。
1600年までは原住民が住居しており統治者は不在でした。オランダとスペインが統治して抗争があったり、清朝が200年に渡り統治したり、日新条約で台湾が日本に割譲され50年の統治が続いたり、内戦で負けた中国国民党が亡命してきたりありました。
こうしてみると台湾は歴史的に常に海外から来た者に統治され、台湾に元々住んでいた人達が主役になれないという悲劇の歴史でした。
だからこそ、台湾人の歴史観というのは主役になれない者の第三者目線が特徴的です。
歴史のスライドを見て頂くと、台湾本島は中華人民共和国に統治されたことは今まで一度もなかったことがわかります。
住民-構成と経緯
住民についてですが、年代に沿うと、①まず数千年~数万年前にフィリピン・インドネシア方面から先住民が移り住んできた説があり、②西暦1600年代にオランダが38年統治して、この地でスペインとの抗争があったので西洋人との混血があったり、③この辺はふんわりしていますが、同じく1600年以降、現在の中国福建省・広東省方面から本省人と言われる人たちが徐々に移民してきます、④日清条約で台湾が日本に割譲され、そこから第二次世界大戦終戦まで50年の日本統治時代となりました。その当時は台湾人も日本国籍があり人口も600万人程度となっていました。⑤その後 日本が台湾を放棄・撤収すると、中国国民党と共産党の内戦が起こり、負けた国民党が台湾に逃げ込こみました。その際にいまの中国がある地から120万人以上(一説では最大200万人)が流入したといわれています。それが外省人です。
外省人も実はざっくりした言い方なんですが、マジョリティーである沿岸地域の広東系も、福建系も、東北系もあるんですが、それだけでなく内陸系も人数に偏りはあるにしても満遍なく流入してます。(どっかにソースあった)
現在は人口約2400万人、漢族系本省人が8割、少数の先住系本省人、戦後に流入した外省人が1割程度です。そのほか外国人が80万人居住していて、日本人は2万人前後います。
台湾の最も美しい風景は人である。
今の時代ルッキズムを助長するような人の見かけに言及するのはタブーなわけですが、今回は敢えてタブーを破らせてください。
「台湾で最も美しい風景は人」とも言われるくらい人情味にあふれる台湾ですが、先述のように色々な人種・民族が混ざり合っていて個人差も大きく、一概に外見で台湾人はこうだといのが難しいのが実情ですが、そこをなんとか、どんな感じの人達なのかイメージしてもらえるようにこちらのスライドを用意しました。
左上は平均的な台湾人の顔らしいのですが、台湾歴長い僕としてもわからなくはないのですが、正直こんな顔の人は道端であまりみません笑 おそらく落ちてる写真を入手しやすい芸能人とかモデルの平均を取っているのかと思います。
原住民と言っても政府認定しているだけで16民族あります。原住民人口で多いところから紹介していきます。
アミ族(原住民最大人口20万):代表選手は読売ジャイアンツの陽 岱鋼(よう だいかん)。
パイワン族 10万 台湾総統の蔡英文は祖母がパイワン族、昨年オリンピック柔道でイケメンと注目された楊勇緯選手もパイワン族出身だそうです。
タイヤル族 9万 顔に入れ墨首狩り文化があった。 代表:ビビアン・スー
原住民は肌が浅黒い人が多いイメージもありますが、実際には肌が白い原住民もいてここでも一概にはいえません。
ということで中華系も本省系、外省系に留まらずかなり細分化できますが、原住民もたくさん種類があります。
原住民、中華系、オランダ系、日系などいろいろ混血が進んでいます。
実は原住民は16種族だけではない。同化してしまった平埔族(ピンプーズー)
温泉街である北投にいったときに 凱達格蘭文化館(Ketagalan Culture Center)に立ち寄りました。平埔族であるケタガラン族の文化館です。
8年も台湾にいて知らなかったのが恥ずかしいくらいなんですが、政府から認定されている16民族というのは原住民といわれる人達のなかでも主に山岳地帯に住んでいたため隔絶され、漢族が台湾島に入植したあともあまり混ざることがなかった(同化があまり進まなかった)民族であるため少数ではあるものの現代でもその文化が残っている民族だったのです。
この分布図によると先ほどの政府認定16民族とは別に11種族の平埔族がいるようだ。漢族の同化政策が主な理由との見方もあるが、平埔族は平地に住み、文字を持たない民族であったこともあり、漢族と同化しほとんど民族的な文化が消失してしまった。今なおその民族文化が残っているのはかなり稀なよう。
生まれて大人になるまで自分は漢族だと思っていた人も結婚を機に戸籍を確認したところ自分が平埔族であったことを知った人もいるし、そもそも平埔族が戸籍に反映されていない人もいるようで、すでに追跡不能ということもあるそうです。なのでどれぐらいの人口、どれぐらいの割合が平埔族なのかも不明です。
一説によると、1600年代以降に移民してきた(主に福建系の)漢族系本省人は男性がほとんどだと言われています。というのも、当時の航海技術で台湾海峡を渡るのは危険を伴ったこと、当時の台湾は不毛の地と評され過酷な環境であったため女性の漢族はほとんど海を渡って来ることはなく、完全なる女性不足。その当時に漢族系男性が平埔族女性を娶り混血・同化が進んだという説。
混血が進んでいる面と、民族や政治で社会的に分断されている面と混在しており、個人差が大きく、ますます台湾人とはなんなのかが複雑化してきています。
文化・言語が外観に与える影響(追記)
台湾に長くいるのである程度誰がどこ出身か予想がつく、見分けがつくようになってきた。例えば貴族っぽいのはあっち系だなとか。もちろんはずすこともあるのだが。。
ただ種族とか遺伝とかも外見に影響を与える大きな要因なのだけど、それ以外の後天的/環境的的/文化的要因があることにも気が付いた。
例えば台湾人家系出身の台湾人でも日本語が流暢な人は外見も日本人っぽくなる傾向だし、同じく台湾人家系でもアメリカ出身だとやはりアメリカっぽくなる。日本にいる日系ブラジル人が血筋は日本のはずなのに雰囲気が異なるとかもそうだ。
この要因ってなんだと考えたときに単純に思いつくのは以前は食べ物が違うからだったりしたが、今では文化的、言語的影響が大きい可能性に着目した。
アメリカ育ちのアジア人男は筋トレをよくする。小さいので舐められるからだ。なので体型が大きい傾向になる。同じく女性もアメリカでウケる化粧やファッションになる。文化的なマナーやなんやらもしぐさに表れ全体的な雰囲気に影響を与える。
表情の作り方も文化によって異なる。アメリカでは話す際の表情の豊かさがある印象だが、ロシアでは人前で笑うことは好ましくないとされていること。これは顔面の使う筋肉が異なるため、幼いころから成長するにつれて特徴がでるはずだ。
あと、言語の外見に与える影響も考えられる。
複数言語やってみるとわかるが、言語によっても顔面の使う筋肉が異なる。幼いころから使用言語が異なればやはり成人した際の顔つきに影響はあると思われる。
上記のようなことを勘案していると、長年連れ添った夫婦が似てくるというのは、仲良くお互いの口調やしぐさをまねしたり、移ったりしているからだというのは一定の納得感がある。
そういったことから文化や言語は人種とか民族の枠を超えて外見に影響を与えるというのが仮説で、いろいろな民族から構成される国民の同化が進んでいるのかと考える。誰か研究して学会で発表してください。(☜人任せ)
台湾の最もうつくしい風景は人であり、また、最も悲しい風景も人である
そして今回はひとつ引用して締めくくる。
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