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読書記録|司馬遼太郎 『空海の風景』

読了日:2024年8月27日

 日本の僧でおそらく一番に著名な人物は、空海であろう。変な話、なぜかスピリチュアル界隈でも人気で、「あなたには空海が”ついて”います」と、商売にもよく使われる人物である(いったい空海はどれだけの人に”ついて”いるのか笑)。
 本書は、司馬遼太郎が、そんな空海の軌跡を辿りつつ「こんな人だったんじゃないかなぁ」と想像を膨らませながら、その入定(入滅)する瞬間までを描く。

 歴史を辿る上で、神社の方が専門の私にとって空海については実はあまり詳しく知らず、

  • 香川出身

  • 真言宗(密教)の開祖

  • 高野山の金剛峯寺の奥の院で、現在も即身仏として朝夕食事を備えられている

  • 平安京の應天門の扁額を書き、門に掲げた後に「應」の心の部分の点を打ち忘れていたことに気づき、墨を含ませた筆を投げつけて点を付け足した(「弘法にも筆の誤り」の諺の元となった説がある)

  • 四国からイタズラする狐を追い出すために、狸を呼び込んだ

 と、この程度の知識しかなかった。上の2つの項目は事実、3つ目は世話をしてる僧は口外をしてはいけないことになっているので、実際はどうなのかは代々の世話役以外は誰も知らない。残りの2つはにわかに信じがたいが、ネタとしては楽しいし、当時だけでなく後世の人に「空海ならそんなこともあるかも!」と思わせるカリスマ性が空海にはある。しかしそういうカリスマ性を持つ「空海像」みたいなものも、「空海」という存在に装飾を施しただけであり、実際の空海はその辺にいるもっと人間くさい人物の雰囲気があるように思う。ただ、元から語学や物事の理解度に長けていたということは当然そう思う。が、それ以上に強運の持ち主という要素も多分にあり、それがまるで本人が奇跡を起こしたかのように、空海が唐から帰国後〜後世の人には映るのではないか。対して、作中でも世間と同様に常に空海と比較される最澄については、唐に渡る4槽の船のうち、沈まなかった2槽のひとつに乗っていたところで運は尽き、以降は不憫に思うほどツイてない人のように感じる。仏教的にはこれも「宿命」として昇華するのだろう。

 大昔、「仏教というのは生きてる人の”魂を救う”ためにある」と教えてもらったことがある。「禅というのは〜」とか「宗派がこれこれこんなにありまして〜」とかって話をいくら聞いても、だからなんだっていうんだろうと思ったりもしたものだし、仏の姿は単に思想を人型に表しただけのもので(それは神社の神も同様に思う)、結局は人間が後から作ったものでしかないと思っていたものだが、「仏教というのは生きてる人の”魂を救う”ためにある」と聞いた時はナルホドと納得した。仏教の意義はお墓に手を合わせるためでも、故人の供養代としてお坊さんにお布施を渡すのでもなく、本来は生きてる人の”魂を救う”のが目的なんだ、と。
 人は誰しもいずれ逝く。その時に死後の世界に怯えず迷わず逝けるように、また大切な人がこの世を先立った時に、残された者が悲しみの海に溺れないように、故人の魂の安寧を祈れるように、仏教は「死語の世界」というものを説いてる。死の先に穏やかな世界があって、「だから安心して旅立ちなさい」、「だからあの人はあちらの世界でも孤独ではないよ」と。その教えをいただいた者は絶望の中に希望の光を見出すことができる。私たち日本人に身近な宗教は仏教だと思うが、本来、他の宗教も恐らくそういう役割を担っていると思われる。「宗教」の立ち位置は「道に迷うものの心の拠り所であり、善の方向を指し示すもの」である。また、そうでなければいけない。

 空海が唐で惠果から密教を受け継ぎ、日本で真言宗というひとつの形を作った。そして大日如来、即ち宇宙と我々は一体であるというところに辿り着いた。これはまさに密教を題材にした哲学だと思う。当時、「哲学」なんていう言葉や概念があったかはわからないが、物事を深く突き詰めることを「哲学」とするなら、間違いなく帰国後の空海が行ったことは哲学だと言える。「研究」と言ってもいいのかもしれない。
 千数百年経ってもその”空海的哲学”(真言宗)は支持する者が絶えず、人々の魂を救い続けている。

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