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読書記録|加藤廣『秀吉の枷』

読了日:2023年9月12日


 加藤廣<本能寺三部作>の一作目は『信長の棺』、そして二作目はこの『秀吉の枷』である。
 『信長の棺』では、信長の家臣である太田牛一目線で物語が進行するが、『秀吉の枷』では秀吉本人が主人公。この作品単独でも十分な内容だが、一作目を読み終えていると点と点が繋がっていくので、より一層愉しめる。

 一般的な秀吉像というのはどういうものだろう?賢い人物と評されることもあるが、私個人としては、

  • 良い意味でも悪い意味でも狡賢い

  • 情緒豊か

  • 処世術に長けている

 こんなところである。簡単にまとめると、人間臭い人(少しだけ悪い意味で)。そのイメージと、本書に出てくる秀吉像がピタリと一致していた。
 ただ、その秀吉の狡賢く見える部分も、子孫を残せぬことや信長を嵌めた(仮説)罪悪感に苦しむ姿を見れば、とても哀れな人にも思えて、更には、死してなお明治まで孤独のままに放置される天下人に同情さえ抱く。
 あらゆる手段で天下を手にした者でさえ、最期はそんなものなのだなぁと思わされる。

 秀吉の人生の最高の発見は、自分が帰るところは正妻の祢々の元であった、ということではなかろうか。
 どれほど名を馳せても、どれほど美しい女がいると聞いて食指を伸ばし子作りに励んでも、その孤独感と罪悪感(仮に信長を暗殺した張本人であれば)から解放してくれるのは祢々という存在だけだったように思う。
 この世を去る前に、祢々に吉野の桜を見せて喜ばせたいが自身の体調がおもわしくなく、考えた末に荒れた京都の醍醐寺を金に糸目をつけず手直しし、桜を更に植樹し花見をするなど、やることが派手で豪華だが、その様に隠れたほんのり桃色に咲く素朴な秀吉の祢々への穏やかな愛情が伺える。
 秀吉の死後、祢々が秀吉の御霊である鎮守大明神(豊国大明神)を支えるため、徳川家から化粧料を貰っていた、というところにまた祢々の秀吉への想いを痛いほど感じる。(余談だが、徳川のあからさまな嫌がらせと言ってもいい措置によって、祢々は秀吉の遺体を目にすることさえ叶わなかったようだ)

 『平家物語』に「驕れる者久しからず」という一説があるが、戦国の時代も同様に其れで、天下を取って繁栄しても必ず衰退するということを歴史が物語っている。
 繁栄のピークを迎えた時には既に周囲の者は、そのヒエラルキーの頂点にいる覇者に違和感を抱き、やがてその覇者の元から離れていくか、謀反を起こす。繁栄を衰退させるのは外的要因ではなくて、内的要因、むしろ覇者の奢りによる人格の変化からくるのではないか。本書を読んでそんなことを感じた。

 秀吉の時代が終わり、徳川の時代がやってくる。その物語は<本能寺三部作>の三作目、『明智左馬助の恋』に続く。

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