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【素人解説#3】カント~哲学史を分断した”超越論”の大転回

新マガジンの第3弾です!

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今回は、イマヌエル・カント(B.C.384-B.C.322)です。

彼の思想の要点、とくに『純粋理性批判』に始まる批判哲学3部作で展開され、西洋哲学史に多大なる影響を及ぼした超越論的哲学について紹介していきます。

人物

カントは、西洋2000年の哲学の議論をぶった切り、彼以前とはまったく異なる新たな地平を18世紀のドイツから開いてみせた巨大な哲学者です。しかし、成し遂げた偉業の大きさとは正反対に、その生涯はとても地味なものだったそうです。生まれ故郷のケーニヒスベルク大学の教授職に就きながら、日々の散歩などを始めとして分刻みの精確さで毎日のルーチンをこなし、ドイツからほとんど出ることなく規則正しく静謐な生涯を送っていった人でありました。

学者人生の初期にライプニッツ=ヴォルフ学派という大陸合理論の派閥で自然学と形而上学を探求していたカントは、徐々に芽生えてきたそれら体系への懐疑から、独自の思索の道を歩むことになります。3つの主著からなる”三批判”として結実する批判期を経て、後期は主に自身の講義議事録の出版などをして過ごしていたようです。

「感性の形式」による経験論-合理論の調停

カント以前、イギリス経験論と大陸合理論という大きな2つの思想的潮流がありました。

イギリス経験論はその名の通り、イギリスの哲学者たちが中心となって形作った系譜で、「あらゆる知識は人が生まれた後の経験から生じる」という立場に立ちます。古代から続く事物のイデアや本質等の議論を批判し、全ては個々人の経験によって心のなかで形作られた帰納的な性質のものであるとみなしました。生活上の経験こそが、ものの認識とそのルールを生み出していくという主張です。経験論の哲学者バークリーは、「誰もいない森の中で倒れた木は音を出すか」という有名な問いかけをし、自ら「音を出さない」と答えました。彼にとって、経験する主体を通して実際に知覚されているもの以外には、存在するに足る資格を持つものはありませんでした。ロック、バークリーらを経て、ヒュームが経験論を完成させた18世紀中葉には、「私」やものごとの「実体」といったものは実在せず、ただ経験が、とめどなく押し寄せる”知覚の束”のみが存在するという、なんだかとても極端に聞こえる思想となっていました。経験論にあっては、ただ”知覚”のみが、ものごとの存在へとつながる通路を持っていました。

他方、大陸合理論のほうは、デカルト、スピノザ、ライプニッツといったヨーロッパ大陸の名だたる哲学者たちの思想群を指します。全ての知識や観念は、人が生まれた後に経験して獲得していくようなものではなく、各個人の経験に先立って持っているもの(生得観念)であり、そこから論理を積み上げていくことであらゆる知識に到達できると、彼らは主張しました。ものごとの客観的な「実在」やその「本質」も、移ろいやすい経験的なことがらとは違い、理論的・合理的に掴み取ることができると考えられていました。実際には、経験論の哲学よりも合理論の各哲学者の構想は遥かに多様でそれぞれにキャラが立っていて、あくまで上記の点においてはそれなりに共通した見解を持っていたため一つの流派として括られたといった印象です。

1000年に及ぶ長い中世神学の影響下で、哲学は長らく停滞していたと言われます。その停滞を乗り越えて真理を掴み取ろうとした彼らの探求のみちゆきは、経験論と合理論という形で花開き、それぞれの洗練の極みに達しようとしていました。ただ、これら2つの結論は真逆ゆえ、両陣営は真っ向から激しく対立します。

果たして、どちらが正しいのでしょうか。むしろ、どちらかが完全に正しく、どちらかが完全に間違っていると言えるのでしょうか。どちらにも一理あるように思えてきますが、両者はあまりに遠く、真理を前にして人々は立ちすくみます。

ここで、満を持してカントが登場します。哲学の歴史上もっとも鮮やかな思想の転換が、準備されていきます。

初めは哲学とともに自然科学の研究にも携わっていたカントは、出発点としてはどちらかといえば大陸合理論に近い立場にいました。しかし、研究をすすめる中で、科学をはじめとする合理的理性による演繹ではどうしても解けない問題があることに気づきます。4つのアンチノミー(=二律背反、矛盾の一種)として後にまとめられることになるこれらの問題は、神の存在や宇宙の無限性に関する論証で、それぞれを論理的に証明しようとすると必ず逆の結論に行き着くパラドックスに陥ってしまうものでした。

合理論に対して湧き上がった懐疑から時を同じくして、カントはヒュームら経験論の考えにたどり着き、”独断のまどろみ”から覚まされることになります。合理論が唱えるような理論と論理の万能性は、この世界のありのままの現実を明瞭に写し取るのに役不足であるばかりか、この世界の生の事実に即していない単なる独断に陥ってしまうことが必定であると思い至ったのです。

しかし、ここでそのまま経験論の側に突き抜けることなく、この大哲学者はそのギリギリの境界で踏みとどまり、さらに思惟を巡らせました。我々がなにか物事を認識するとき、たしかに知覚・経験がその欠かせない土台になってはいる。ただ、それだけでは個々人ごとにバラバラなはずの経験が、人々の間にある共通的な認識(知識)にもなることに説明がつかない。現に、それぞれが全く別のものを知覚しているにも関わらず、「リンゴ」という概念はそこまでブレずに共有されていますし、天体の運行などの自然法則も単なる個々人の経験を超えてある種の普遍性を持っているように思えます。

合理的理性には限界があり、また経験のみが知識を形作るという主張も事象の一側面しか写していないように思われる。認識は経験からなるが、経験は認識のすべてではない。

経験ではなく、理性をも超えたもの。経験に先立って存在するなにものかが、そこに少しずつ浮かび上がってきます。カントは、人がなにかを経験するとき、その経験が成り立つための条件が、経験に”先立って”いくつか存在するという考えにたどり着きました。

そこで、「時間」「空間」が、まず見いだされます。時間も空間も、それ自体が存在するということを、我々は経験としては知りませんし、経験できる類の事実ではないはずです。それでいて、この経験的事実の外側にある時間と空間というフィルターを必ず通して、我々はものごとを経験し認識しています。われわれがリンゴを見る(経験する)とき、空間の上に一定の「大きさ」を占める赤くて丸い物体を捉えているはずです。そう経験するためには、われわれが「大きさ」そのものがどういうものであるかを事前に知っていなければなりません。「大きさ」―すなわち「幅」「奥行き」「高さ」―を使うことなく、リンゴを思い浮かべることはできないはずです。そしてそれらの観念は、われわれが生きているなかで経験によって徐々に学んできた知識ではありません。そうである以上、われわれは「空間」というものを先経験的に「直観」していたと言うしかありません。

つまり、空間しかり時間しかり、われわれがものごとを経験するとき、経験それ自体に先立ってあらかじめ備わっている感性(感覚)の形式が確かにあり、その形式を通して、認識のいわば「素材」がわれわれの主観に対して与えられるとカントは言います。

哲学史上もっとも大きな跳躍が、『純粋理性批判』においてこうしてなされます。かつて確固たる存在であった周囲の世界が、ここを取っ掛かりにして怒涛のように崩落していくことになります。

物自体とコペルニクス的転回

人が何かを経験するとき、それが成立する条件が実はわれわれの内部に埋め込まれていると、カントは指摘しました。ものごとを時間的/空間的に把握する知覚の仕方は、それがないと何かを知覚しえないという人間自身の経験構造に根ざしています。”世界の実際のあり方”ではなく、あくまで人間が持つ経験の構造として、それはあります。そして世界の本質とはまったく無関係に、われわれはその構造を通して世界を経験せざるをえない。

そうなると、伝統的な形而上学がそれまでずっと考えてきたような、ものごとの「実在」や「本質」はどうなるでしょう。目の前にあるリンゴは、人間の認識機能の都合で大きさや時間的な継続性が与えられていますが、"実際の"ありのままのリンゴそれ自体はそんな都合に囚われていないもののはずです。しかし、我々が人間である限り、そうした時間と空間から解き放たれているリンゴの”本当の姿”を拝むことは絶対にできないでしょう。カントはこれを、絶対に認識できないものごとの本当の姿を「物自体」と呼びます。我々が経験しているさまざまな事物の”本体”としての「物自体」は「叡智界」というところに属し、それらが我々のわれわれの感性を刺激することで、感覚・知覚が生じると言われます。叡智界に対して、われわれが経験できる認識の世界は「現象界」と呼ばれ区別されます。人間に経験できるのは物自体のありのままの姿ではなく、ある一定の仕方によって”枠付け”されたものである。過去の哲学が延々考え続けてきた世界の真理や「存在」「本質」などというものは、われわれには絶対にたどり着けないものであって、考えても無駄だとバッサリ切り落としたのです。

カントの成し遂げたこの視点の大転換は、コペルニクスによる天動説から地動説への認識の大変革になぞらえ、”コペルニクス的転回”と呼ばれています。

ただ、この結論は一見するととても虚しいものに思えます。人間は生まれながらにして絶対に外せない色メガネをかけていて、それを通して偽の世界を眺めているに過ぎない。リンゴのようなすごく単純に見えるものでも、最愛の家族のような身近な人であっても、その本当の姿を理解することなく死んでゆくことを人間は宿命付けられている。世界の真理を追い求めるような活動は、すべて無駄なことのように思えてきます。

ただ、カントの意図はそうした諦念とは異なりました。彼が生きた時代は後に科学革命と呼ばれる近代科学の勃興期であり、ニュートンを始めとした科学者たちが自然の法則を凄まじい勢いで体系的な知として蓄積しはじめていました。こうした知は、世界の実際の振る舞いをうまく説明するのにとても役立ったのですが、それまでの世界の探求の仕方とあまりにも違っていたため、当時はそれらが真理にまつわる事柄であると受け入れられ難い空気がありました。ニュートンが物理学の基盤として想定した絶対時空間も、あくまで仮想的なモデルであって、世界の普遍的な形式を表すものではないとみなされます。ここでカントは、ニュートンらを援護射撃したのです。カントが唱えた経験の形式は、科学が想定するような時間や空間に、(「人間にとっての」という括弧付きではありますが)一定の普遍性をもたらします。人間が認識する以上、時間と空間は絶対的なものとして存在し、世界の枠組みとして機能するとみなせるのです。一般的な経験の成立条件を明らかにすることで、人間が見て取れる世界には一定の法則性が存在し、それらを探求していくことが可能であると根拠付けたのです。こうして、大陸合理論が目論んでいた世界の原理にも、改めて命が吹き込まれていったのです。

悟性、統覚が生む普遍的な<一性>

直観の形式としての「時間」「空間」の認識を手始めに、カントは経験や認識が成立するメカニズムをどんどん体系立てていきました。

直観の形式を通して、リンゴの知覚の素材・内容(赤い丸のイメージ)が与えられるだけでは、われわれがリンゴという個物を認識するには足りません。単なる連続写真でしかないようなさまざまなイメージがバラバラに目や耳に飛び込んでくる”感性の多様”にあって、われわれがリンゴを一つの個物として認識し、それが目の前に出現している理由を認識できてはじめて、リンゴに関する”経験”がなされていると言えるでしょう。カントは、”感性の多様”を秩序立てて、普遍的な認識に加工するための精神の働きを「悟性」として見出します。

悟性は、さまざまな「カテゴリー(悟性概念)」において物事を捉える働きです。これはアリストテレスのカテゴリー(範疇、述語形態)論を発展させたもので、「量」「質」「関係」「様相」の4項目の中に全12の細目があります。これらの概念も、直観の形式と同様に経験からは決して学ばれず、人間の精神に生得的に備わったものとされます。

同時に、カテゴリーを経験に適用するための形式として4つの「原則」も示されました。すべての直観に大きさがあること、性質にも程度の差があること、実体が持続すること、などです。

物自体から発せられるさまざまな素材は、直感の形式と原則のもとで特定のカテゴリーに当てはめられます。これら感性の働きと悟性の働きの総合によってはじめて、一個の経験が成立することになります。リンゴという概念が、その量と性質が、それを取り巻く因果が、そして実在性が、たんなる知覚イメージから精神のア・プリオリ(先験的)な働きを通して立ち現れて来るのです。


さて、こうした経験の成立に際して、クリアすべきもう一つとても重要な前提が残されていました。それは、"私の一性"という前提です。自分が一人の人間であり、一個の意識として存在しているという事実。当たり前といえば当たり前ですが、この事実がなければ、これまでさんざん書いてきた知覚やら経験やらも、そして悟性も感性も、すべては夏の夜の夢であったかのように雲散霧消してしまう。個々の人間が主観的にものごとを知覚し、様々なイメージを統合して”自分の経験”として経験するためには、自分がひとつの主体であることが必要になります。しかし、"自分"がある一つのものであることもまた、経験から学ばれるような自明なものでもありませんし、かといって合理的に演繹できるものでもないはずです。

知覚されたバラバラのイメージを私の意識の一性のもとに統合し、各対象の同一性を担保するこの働きは、「超越論的統覚」と名付けられます。この超越論的統覚(一つである私)が悟性や感性と関係付けられることで、昨日見たリンゴと今日見たリンゴは、”同じ一つの私”が見た"同じ一つのリンゴ"として経験されます。あらゆる経験は”私の経験”として成立し、ここではじめてものごとの普遍的な認識が可能となるのです。

本来、一つである私の意識それ自体も叡智界に属する物自体であって、その本当の姿を知ることも、それが本当の意味で一つであることも人間には知りえません。この統覚も、あくまで人間にとっての先験的な形式であって、本当は仰ぎ見ること能わない叡智界に向かって"超越"することで根拠付けられているものです。しかし我々がいま見ている世界(現象界)と経験は、この超越があってはじめて存在し、この超越にのみあらゆる認識の基盤が存しています。

カントの哲学体系が「超越論的哲学」と言われるのはそのためです。経験論と合理論の対立は、ここに統合されていきます。

自律と自由の会うところ

以上に述べてきたのは主に『純粋理性批判』で展開された主張であり、物自体に関わる”存在論”であるとともに認識・経験に関わる”認識論”でありました。こうした知に関わる理性は「理論理性」と言います。

カントはこれらの枠組みを念頭に、道徳論・倫理学へと進みます。カントのいわゆる”三批判”のうち2番めに刊行された『実践理性批判』において、実生活上の行為に関わる「実践理性」が、理論理性に対置されています。有史以来の哲学上の大きな課題である「人はどのように生きるべきか」というシンプルな問いが、超越論の光のもとに照らし出されます。

カントは、先の感性と経験構造の議論をふまえ、人々が普段の生活のなかでものごとの多様なあらわれの一つ一つ反射的に反応し、それぞれに対して快-不快の感覚を都度抱きながら暮らしていると考えました。これは極めて経験的な判断で、生活の目的に即して生きる人間の性のようなものです。

他方、とカントは言います。「こう生きるべし」と言える普遍的な指針を見出そうとするとき、それはそのような現象界における経験的判断のなかには無く、先天的で絶対的である叡智界の方にこそ属している。現象界における個々の生活の目的や快・不快の感情に縛られた行動は自らの意志とは無関係の「他律」であり、自分以外のなにかによって縛られた状態である、と。

普段のわれわれが生きる上でとる行動の指針・判断は、必ず「〇〇したいなら✕✕すべし」という形(「仮言命法」)を取ります。なんらかの目的付きの行為や道徳のルールが、そこにはあるのです。普遍的な道徳法則を考えるとき、しかし現世における個々の目的とはまったく異なる法則が働くはずです。仮言命法ではなく、「✕✕すべし」という全く無条件の声(「定言命法」)に自ら従う「自律」を、カントは説きました。この定言命法は、現象界のあらゆる個別的な経験を超えた普遍・絶対・「目的そのもの」の世界である叡智界から響いてきます。叡智界からの良心の声を捉え、それを自らの生きる指針とすることが、ここで謂われました。普遍的に妥当する道徳原理の根拠が、再びかの叡智界に求められたのです。

汝の意志の格率が、常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ
―『実践理性批判』

ここでは、自身や社会の決めごとである「格率」が、現象界での仮言命法ではなく普遍的に妥当しうる定言命法に常に一致するように行為せよ、と示されます。目先の目的から離れ、かつ”他人がそう行為しても問題ない”ような普遍性を持って行為することで、それを自ら選び取った人は真に自由である。

構成員全員がこうした叡智界の原則に従って生きるような社会を、カントは「目的の王国」と呼びました。

すべてを総合する"美"

”三批判”の最後の書『判断力批判』では、これまでの感性や理性の働きとは区別される”想像力”が取り上げられます。

芸術作品を見たときに感じる美的快感は、人によって個人差がありますが、ある種の普遍性を持っています。これは想像力が自由に働くなかで秩序が生まれ、立ち上がってくる感情です。もう一つ、自然を見るときに感じる崇高さ、自然美の快感というのもあります。気持ちが無限に広がりながら、眼前の光景に見入ってしまうような感情です。

これら2つとも、理性的な認識や行為の枠外のものごとでありつつも、万人に通ずるものがあり、ある種の普遍性を持っています。理性を超えたものが、こうして普遍性をまとっている理由を、カントは”自然の合目的性”と美的な”判断力”によって説明しています。

世界の全体は物自体(叡智界)にあって、論理的な合目的性に沿って認識の体系化・制御を行います(「統御的理念」)。そしてそれは、科学的探求に適うように、現象界の自然のなかで体系的な要素に含まれないものを排除しようとします。そうした合目的性―全体の流れに適したものが適したところに置かれている状態―に触れることで、認識や理性的行動とは異なるわれわれの主観的普遍的な「判断力」が刺激され、快感が生ずるというのです。

物自体としての自然と、意志が自由に動き回る想像力とが、ここで「判断力」として総合されています。カントはここで、前2著における叡智界と現象界の分断を、「判断力」を介して架橋しようと試みたのです。

※『判断力批判』については、各参考文献内で解説内容があまり安定しておらず、個人的にも噛み砕き切れてないです。悪しからず。

影響

後世への影響として、カント以降はすべてが変わったといっても差し支えないのですが、直接には特にフィヒテ、シェリング、ヘーゲルらへと連なるドイツ観念論の流れを生みました。彼らは、カントにおける超越論的統覚としての近代的自我を継承しながらも、叡智界-現象界の断絶を批判し、それらの総合に向かっていくことになります。

その後、ヘーゲル哲学からの揺り戻しで、18世紀末~19世紀初頭にかけて実証的・経験的科学の基礎付けとしての認識論哲学が要請され、新カント派と呼ばれる動きが生じています。

また、自然科学や社会科学においても、カントの哲学は様々に継承されています。


カントは、われわれが物事を考えるときに暗に縛られている前提を、鮮やかに白日のもとに晒しました。哲学史における専門的影響にとどまらず、彼のとった批判(Kritik)という方法は、なにかを探求せんとする「自分」自身の形式を問題とし、それがどう枠付けられているかを緻密に突き詰めていくことを、人類に教えてくれています。

リファレンス

『西洋哲学史-古代から中世へ』熊野純彦
https://note.com/jinbun001/n/ne8c5a984a91d
『図説・標準 哲学史』貫成人
https://note.com/jinbun001/n/n2241e094e1e0
『哲学用語図鑑』田中正人
https://note.com/jinbun001/n/n70ab59ce9826
『岩波哲学・思想事典』
https://amzn.to/2B9hx5w

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