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"知を愛する"その仕方~プラトン『国家〈下〉』

上下巻通して1,000pぐらいのボリューム感で、通読に数週間かかったけれど、やっと読み終わった。

↑のレビューでも触れたが、本書全体としては、哲人統治者の育成の仕方を丁寧に説きながら、正義という概念がどういうものかを語る本である。

上巻で荘厳と建設され語られた国家のあり方、それを通して見る正義のあり方。それらについて、今度はイデア論を軸としながら更にもう1周ずつ切り込むことで、国家と人間個人との対応関係が明確になり、個人における正義・善の様相が立体的に浮かび上がるような、とても壮大な構成であった。

序盤からイデア論の核心に立ち入り、(太陽 ⇔ 視覚)と(善のイデア ⇔ 認識)の比喩や、幾何学的説明を交えて語られるかの有名な洞窟に映る影の比喩など、重要なトピックがボンボン出てくる。

イデア論の中で個人的に特に重要と感じたポイントは、善の実相からその他実相へと順々に知覚していき、それらをもとにして悟性的思惟に至るという認識のあり方だ。ここは、師匠ソクラテスが唱えた知徳合一における知の様式 ー あくまで実践知に即結びつく(知行合一)ものとして措定された知識 ーとは明らかに種類が異なる。

あらゆるイデアを統べる善のイデアに至る道筋はロゴス/対話を通してである、と示唆されてはいるものの、それが直観され、その他概念(イデア)が芋づる式に把握されて具体的な徳の実践へと至るプロセスは、固定的な「知識」が把握され、一足飛びに行動に移されるようにはいかないと読める。
※ただこの、4象限で図式化されている箇所の可知界の似姿象限~可視界も含むあたりは、それぞれの意味するところの確定が難しく、古代哲学学会/日本西洋古典学会あたりの紀要レベル論文をざっと眺めた限りでは、特に可知界の似姿の象限が何を表しているかの解釈について長年定まっていない部分のようだ。

そして、イデア論の完成を踏まえ、国政が悪へと至る変遷過程の分析と、それらと人間精神の変化との対応関係が再度鮮やかに語られる。

寡占制、民主制、僭主制の生成過程や、プラトンにより示されるその諸原因は、近現代に生きる我々の政治の話を読むようで、現代社会に十分に通用する議論。いや、どちらかというと、プラトンが提示したこの完成度の高い枠組みの中で我々が世界/社会を認識し、そのように課題を捉えるようになっているというのが近そうだ。こういった社会-政治の力学を、2000年も前にこれほどの説得力で定式化できる観察眼、あまりに鋭い。

また、これら議論において、政治/国家が国民の徳を育むべしとナチュラルに措定しているのは、スモールガバメントがどうのこうのと言われている新自由主義の時代を生きる我々の感覚から見ると、すっごいお節介焼きだなぁとも思われて面白い。この民主主義、この市民みなを背負った民主主義は、プラトンが住むスーパー民主主義国家アテナイの特殊性であって、人類史の中でも際立った実験の場であったこのポリスでなくては生成しえなかった思想ではないか。ソクラテスもプラトンも、その他諸々の思想/文化も、この特異的な社会がアウトプットしたものと見ることもできるかもしれない。

本書が表す思想全体を簡単にサマることは難しい。ただ、個人の正義というものが、歴史上初めて明確な全体像を持って論じられたこと、そして個人が集まる国政の正義もまた同様に後の世界に対して提示されたこと、その偉業は圧巻である。

そして、それだけではない。

本書が見せてくれるのは、人間に固有の<<理性(ロゴス)>>を用いて、我々の曇った認識の雲を突き超えて形而上の真理にアクセスするその徹底的な思惟であり、2000年を超えて連綿と受け継がれる「知を愛する」その仕方についてのビッグピクチャーである。

疑いようもなく、「哲学」はここから始ったのだ。


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