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転職7回!毎回この仕事で転職は最後にしたい!って思ってる

自分の仕事を 天職✨ って思えて仕事が出来てる人って
どれくらいいるんだろう!?

辞めたいと思ったことない人っているのかな?

好きを仕事にする って夢みたいな言葉があるけど
それで生きていけたら幸せよね♡

私は、20代に入ってから自分で 「好き」「得意」って
胸張って言えることが出来たから、それを仕事にしたいと思うには
夢のまた夢・・という感じでした。

私の 転職7回!受けた理由、辞めた理由 紹介します。


1⃣興味のない紙会社 (正社員) 

 進学組と就職組にわかれる、商業高校でした。
夢がなかった私はもちろん、就職組。
母方の祖父が「印刷業」の会社をしていたこともあって「何かの縁」と
言って、母だけ喜んでいたことだけは覚えてる。
配属は、PCがいじれるってことだけで「電算室」とかいうダサネーミングの部署で、当時40代くらいのおじさんと2人っきり・・。

なんの会話もなく、挨拶だけで1日が終わり
何も楽しいことが見つからない、苦痛の就業時間に耐えられず
9か月で退職。

2⃣好きなことに携われる幸せ 雑貨屋(アルバイト→契約社員)

 退職から1ヵ月以内で、夢のようなアルバイトに出会い。
接客・ディスプレイ・仕入れ・ラッピング・展示会♡
楽しかったなぁ

合わないスタッフに悩んだり
理不尽なクレームに耐えたり
スケジュールを偽って電車移動してると言って結婚式場へ打合せに行ってる店長に嫌気がさしたりww
 当時20代前半の私は30代男性ってとてつもなくしっかりしていると
勝手な想像をしていたので、悪徳社会人のレッテルを張っていたww
いろいろな現状も相まって、小物雑貨から商材の大きなものへ
興味が移り、意を決しての転職へ

3⃣世界を広げたくて 家具や(正社員)

 募集条件より1歳下回っていたから、ぶっつけのように応募したけど
受け入れてくれた!
家具を売る営業職と、店舗の裏での事務員を募集していたので
迷いなく事務員にてw♡
 「縁の下の力持ち」的な立ち位置が私には昔からあっているのです。

家具の知識は得られるけど、ちょっと厄介だと思っていた接客はしなくていいし、営業職につきものの「売る」行為をしなくていい。
ここでは営業さんたちのロープレする姿や、実績を出すスタッフを
心から尊敬できるようになった。
 私は、数字を管理したり、売上伝票の差異がないか、金庫の管理、営業さんのフォロー(お茶出し、ちょっとした案内) とても居心地が良かった。

ずっと続けて居れたら良かったけど、閉店とともに退職。

4⃣職業訓練の知識を活かせるかな?と思い初めてのアパレル(パート)

 結婚式と新婚旅行を控えていたから、すぐに新しい仕事へ!とはなれず
それでも失業手当をもらうために最低限の就職活動をする中で
「職業訓練」を知る。

事務職を続けたいと思っていたけど、
高校生が取れる資格程度しか持っていなかったから、
何かないかと探す中で 「ユニバーサルファッション」という分野に出会う。

その頃に、手芸と言われるような手仕事を 趣味の範囲ですることが
好きになっていたので、「洋裁」を習える✨と思い切って応募。

仕事探しを中断し、職業訓練に集中する。
「洋裁」を習える!だけでは済まされず、
電車通学、課題、提出物・・・w 
ガチの学生じゃん!とめっちゃぼやきながら、それでも同じクラス(10~50代)計10人に恵まれて、みんなで肩を組み、卒業することができた!

洋裁や、生地について、ファッションの歴史、流行について等
決して無駄ではない時間だったので、それを活かして
当時、家の近くにあったショッピングセンターでのアパレル販売へ。

入社後、2ヵ月で妊娠発覚により、継続不可とみなされ
かたち上、自主退職・・・(文句言えなかったw)

5⃣子どもを育てながら働くことの難しさを目の当たりにして 意を決して 保育園の保育補助(パート)

 子どもを育てながら、仕事を探す難しさ。
無職で保育園申し込みに行くが、市の人に「本当に申し込みます?」と
門前払いなことを言われる保育園、激戦区地域。
保育園に入れないと仕事に就けないのに
仕事をしてないと保育園に入れない。

そんなときに「保育所あり」のキーワードでひたすら検索していて
出会ったのが、保育園の保育補助 資格不要✨

出産する前に 「産後ドゥーラ」という職業に少し憧れがあった。
子どもがいない私に務まるのか・・?という思いがよぎって、諦めていたから、その気持ちを思い出して、面接を受けてみようと思い切った!

子どもを連れて、駅まで自転車に乗り、電車に乗って・・
想像してもいなかった生活だけど、やってみるとそれが普通で
それを振り返ってみると、よくがんばっていたなと私と子を誉めたい♡

ここでの経験は、本当にとても私の心に刻まれる様々なことが起こったので
初めての業界ではあったけど、やって良かったと感じる。

まず、保育現場で働く人の大変さ。
命を預かる重み。
無邪気で、目を輝かせている子どもたちは無条件で全員カワイイ。
自分の子以外の様々な「子ども」がいること様々な「子育て」があることを知れた。
障害や虐待疑惑、家庭環境、病気、本当に知らない世界がたくさん見れた。
こんなウルトラ初心者資格なしに、4歳クラス3名を担当させないと現場が回らない現状。人員不足すぎる。

退職決意の大きな原因は
私人生史上稀に見る「人を蹴落として這い上がろうとする人」からの嫌がらせに合ったこと。
これは私だけに向けられたわけではなく、その人の本質がそういう方だったので 誰も止められず、すでに経営者に気に入られていたので
ずっとこの環境にいるのはとてもキツかった。
2人目の妊娠発覚もあり、キリのいい春に退職を選択。

6⃣インテリアの世界が恋しくて インテリア小物雑貨屋(パート)

 2人目が1歳を迎えたころに、引っ越しをした。
保育園申し込み門前払いをくらった市から逃亡したので(逃げたわけじゃない)笑
ダメ元で保育園入園に申請すると、コロナ渦だったこともアリ?!どんな市でも1歳入園は難しいと言われるのに、第2希望に書いた家から激近の小規模保育園に決まる✨
諦めずに申請してよかった!

この時点では無職で申請してるので、入園後(4月)3か月以内に
仕事を決め、就業証明を提出しなければいけない!!
毎日毎日毎日、あきるほど仕事探しをして
求人ページに載ってるところへ応募したり、
求人情報出てないのに、ここなら働きたいかも、と思えるところに電話したり
求人ページで見つけて電話しても、私の労働条件を伝えて断られたり・・
最終的に7社目に 再度の砦と思っていたインテリア小物雑貨屋販売へ。

この業界の経験があったから受かる自信があった。
雑貨屋はワクワクするし、その空間に居られるのが好き。
またディスプレイしたり、商品を選んだり・・♡
けれど、ここでは私が苦手としていた「営業」「売る」をしないといけないことが予測されたから、最後の最後にしたw

ここでの仕事は、すごく嫌というわけではないけど楽しくはなく。w
何が良かったかって、社員さんパートさん、みんなの人柄がすっっごく良かった。。けど、シフトに入れて貰えないというのが続いた。

0~2歳は保育料もかかるので、このままでプラマイ0!な頃に
ダブルワークで、他の仕事探し出し ↓ 次の仕事に出合う。

7⃣キャラクター雑貨屋 事務(パート)

 ↑ つづき。
ダブルワークOKか確認すると、メインをこっちにしてもらいたいし
扶養範囲内希望となると、ダブルワークは難しい・・と言われたので
面接の場で、もし採用していただけるのなら ↑在籍している場所を
辞めてきます!と言い切り、、、後日採用。

この移籍から1年後に ↑前職場は閉店を迎えていたので
あの時の私のとっさの判断に、自分で👏をしました。笑

とにかく「家庭優先」にしてくれるのがとってもありがたい環境。
題名の通り「この仕事で転職は最後にしたい!」と思っている!!!!





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