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正月やお盆の休暇もふだんとおなじ扱いにしているとしごとや学校を見る目が変わってきた


はじめに

 よく考えたら世のなかのやるようにしなくてもよさそうな習わしがありそう。ここから記すことはあくまでも私感にすぎない。ヒトに押しつける気は毛頭ない。

べつにそんなに大層なものでないと、ふだんの休日のあつかいで済ましてきたのが盆、正月、そして祝日。主宰する学習サポートは20年来日曜日は基本的にお休みだが、「祝日はふだんどおり」に行なう。おそらく同業の大手よりも休日ははるかにすくない。個人事業なうえにヒトを雇っていないからできる。こうしてむしろはたらくうえで楽をさせてもらえている。

きょうはそんな話。

休みは…

 その唯一の休日の日曜日も試験期間の前や最中ならば来ていいよと言ってあるので、大方の生徒は来て試験勉強して帰る。

だれも「祝日はふだんどおり」について「どうしてですか?」とたずねられたことはない。盆と正月も20年来とくべつなすごしかたをせずにくらしてきた。しごとをその直前直後にいそがしくせず済むし、リズムができ体調によく、無理をせず年間のペースを維持できるとわかった。

ふつうでいい

 正月がとくべつでなくなりどのくらいになるだろう。前職からすくなくとも2,30年。たいてい年の明ける日の献立はカレー。入試直前期の学習サポートの職業柄かもしれないが、ふつうにしごと、そして祝日の元旦が日曜日ならば年間のふつうの日曜とおなじあつかい。

世間が正月なのはそれはそれで構わないし、習わしや文化としては尊重したい。とやかく言うつもりはないが、みずからはまったくふだんどおり。暮れの12月だからといってなにもそわそわしないし、正月やった分をどこかで休みを確保しようとかも思わずすごしてきた。むしろ店の多くが閉まり多少の不便を感じるぐらい。それとてさほど気にならない。

ねらいは…

 学習サポートのねらいは児童・生徒にいかにコンスタントに学びの習慣をつけるかにある。子どもたち・保護者の方々にご納得を得て、盆、暮れ、正月もそのままふだんどおりとお知らせし、いつもどおり。さすがに元旦のお参りは帰ってこれるならばおいで、とつたえる。

年間をつうじて巡航速度を維持しつづけるので、でこぼこなく見通しをたてやすい。これを何倍すれば…という計算がたちやすい。ある生徒にたずねるとおなじように考えてたという。学校ではさまざまな行事がめじろ押し。時間割どおりに授業がすすむ週がほとんどないとのこと。「今週の時間割」なるものが前の週に配られるという。遅れた分をどうしているのだろう。

効果はいかに

 たしかにここ10数年のあいだのとくに中学校の授業の遅れが気になる。3~4か月の学期のあいだに英語のLessonをひとつすすまないことも。試験範囲が前の学期とほとんどおなじという例も。

そのあいだ学習サポートははるか先の予習のところで学校が追いつくのを何度もおさらいしつつ足踏みして待つ。生徒たちにとってよくない状態になりがち。それ以前はこちらでまず予習して学校授業で復習。そのあいだにこちらは発展内容へと車の両輪のように学校の協力を得てうまく定着できていたのに。

それにこりて、学校ではできない同単元の興味をひく話題をとりあげたり、以前のなかで苦手の分野や単元をひとつずつなくしていく作業の方にあたったりと回避策をとるように。

私感にすぎないが

 きょうの表題からずれてしまうけれど、生活のリズムができていないと感じるこどもたちが学習サポートに数多くおとずれる。学校になじめないこどもも多い。学校になにもかももとめすぎて、かえっていびつなものに変わりつつあると思う。

私感にすぎないが学校の各行事をいったんリセットし見直してはどうか。社会が変わりつつある状況に合わせつつ、もうすこし学校にいる時間を短くして、生徒のやりたいこと、探求したいことを「学校外」でやりやすくするほうが望ましくないか。

なにもそれはわたしのところでない。運動、ボランティア活動、社会活動などでもいい。学年の壁ももうすこしゆるやかでいいのでは。

おわりに

 ヨーロッパでは学校は午後の早くにおわり、それ以降は放課後で自ら選んでやりたいことを行なうしくみがそなわっている国も。

どうも新卒の一斉就職はすでに形骸化しつつあるのに、いっせいに卒業するスタイル、そして「おなじ年齢でおなじ学年」にこだわる必要はもはやなさそう。

団塊の世代の先生たちが大幅に退職して、いまや教師は若い方々中心。教師不足が叫ばれてひさしい。もはやシステムそのものの見直し必至のような気がするが。

コンスタントに年間をつうじてひとりマイペースではたらくなかでそう思う。


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