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いつのまにか現金をあつかう店や場所にほぼ立ち寄らなくなり「円」を持つことについて考えた


はじめに

 このところお金を見なくなった。それほど生活のなかで現金をとりあつかう点でわたしのまわりでこの数年で変化してしまった。おそらくこのままいけば個人で生活するうえではお金を手でふれることはほとんどなくなりそう。

新札が発行されるそうだがほぼ興味はわかないし、通貨としての「円」すらてもちでは日々目減りするばかりでドルでもっておこうかと思っている。

きょうはそんな話。

現金を目にしない

 とくに2千円札はもはやまぼろし。5千円札もあやしい。そして50円、1円、5円などの硬貨などもここ最近目にしない。5円玉ってどんなデザインだったか。もはや忘却のかなたへ。

それほど手でふれることはないし、しごとでわずかな報酬を得ても口座間を行き来するばかり。あくまでも個人的には支払いはいつのまにかクレジットカードの1回払いか口座振替や引落しをつかう。それらの使える店やサイトをもっぱら利用する。

もはやふつうかも

 世の方々がどのようにされているかもあまり興味がないし、都合のいい方法がたまたまクレジットカードやそれにひもづけできる銀行口座なだけ。キャッシュレスがふつうになり、このところつかいやすいネット銀行のほうをよくつかう。

大通りにある銀行の店には先日しかたなく住所変更のついでに立ち寄っただけ。これも地元での取引の便宜のためにやむなくもっている地方銀行。すでにこの銀行の店に向かわなくなってどのくらいだろう。ほとんどの用事はネット経由でことたりる。

住所の変更をネット上でたまたま手つづきさせてもらえなかったのでやむなく向かっただけ。郵便で行なえませんかと問うと、変更終了までやりとりに2,3週間かかるという。らちがあかないので店舗に出向いておこなうことに。平日の昼間に時間をつくりむかう。こんなに家のちかくにあるのかとびっくりしたほど。とくに近くても立ち寄る機会がなければ意味はない。

さて今後は

 話は変わるがこのところじわりと対ドルで円安基調。ここ数か月はそう。かりに1ドル140円が150円になると、1万円を報酬で得て口座に預けていると6%あまり価値がおちている。半年まえなら買えていた海外製品が値上がりせずとも買えなくなる。

もちろん海外に出向き、昼食をレストランでとろうにも国内のイメージで選ぼうとすると、べらぼうなねだんにびっくりしてしまう。為替だけのことではないが、もはやごくふつうのものすら手がでないほどに感じてしまう。

はたしてどうなるのだろう。

円でもちつづけること

 てもちはわずかだがそれすらこのまま円としてもつのはどうかと考えてしまう。もちろん国内でごくふつうに生活するうえでは上に記したように感じにくいもの。実際には輸入産品をふくむものを国内で購入しているかぎり、その影響はじわりと押し寄せて、やすく抑えていたものもこのところ値上げが相次いでいる。

けっこうきびしい。わたしの主業の個人事業では20年まえと報酬の単価を変えていない。つまり安いままに抑えている。まわりの方々のようすからとても値上げはむずかしい。

おわりに

 やっぱり国内でふつうに生活するのはこのわずかな報酬だけではこのまま手をこまねいていてはもっときつくなる。副業をさらにもつべきか、どこをけずるかとなるともはや食べるものをけずるしか方法はなさそう。体重がはげしく減らない程度に維持できればいいのだが。

現金を見ないまま口座の数字がたとえ変わらないとしても実質は目減りが進行中。これは実感がわかないし気づきにくいのかもしれない。

そろそろ行動に移していこうか。


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