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このクニにおいて日本語で先端分野まで学べる環境をいつまで維持できるだろう


はじめに

 学生時代まではなにも意識せず専攻した分野の教科書をつかってきた。小学校から大学院まで。そのさきには専門書。ここまでいっきに読みすすめられる。わたしたちの自国の言語で専門分野を学べるそれほど多くないクニのひとつ。

基本的にこのクニで著された書物。それがあたりまえでなにも意識せず学べる。立場が変わり、書物や論文を執筆する立場になり、一言一句のことばの重みを感じずにはいられなくなった。

ひとこと書きすすめるたびにその情報のでどころがすべてあきらかでないとならないということ。これは執筆する立場になるとよくわかる。おのずと慎重になる。その積み重ねが教科書や専門書。

その連綿とつづけられてきた知識や情報の蓄積で学徒は学べているんだとおくればせながら納得。

教科書の重み

 いまも学習サポートで生徒に教えつつ手にとる。基本的に日本語で書かれ、その学年の児童や生徒たちがわかることばで記される。わたし自身も小学校以来そうした教科書やテキストのお世話になってきた。

そして学位をとり、書作や論文を書くようになり、ふとわれにかえった。こうして論文をせっせと書けるまでのあいだにじつにたくさんの書物のやっかいになった。どのくらいだろう。読書をふくめればもっと多くなる。

そのほとんどは理解可能なことば。母語ならば呼吸するように無意識のうちに読める。おかげさまでこのクニではさまざまなジャンルについて日本語で最先端近くまで学べる。多くは先達のおかげ。諸外国の論文を読み砕き、取捨選択をくりかえしつつレビューし、言葉をえらんで書物に編んできた。

学びを保証

 先人たちのおかげで安心して学べる。おなじことを先達がいない状況下でしかも個人でやろうとしたらとんでもない苦行となる。

原著について、その一言一句の意味を吟味しつつもっともあてはまりそうな日本語をあててもっともらしい文章に訳していく。辞書がそろい、適語に翻訳できるしくみがととのっているならまだしも、辞書がじゅうぶんでなかった時代のとてつもない苦労がしのばれる。

いまや充実した翻訳アプリがネット上で無料でつかえる時代にはなった。しかし原著の本来の意味を解釈する能力はべつに必要。文化や考え方もちがう。それらもともに学びつつ、アプリがただしい訳をするとはかぎらない。ひろい素養をもつことが肝心。

今後の学び方とは

 とりあえず、日本語に訳すための時間的な制約はかなり軽減されつつある。一方で訳された内容を心底理解するだけの素養や知識は維持できるだろうか。どうもこころもとない。

先日、大型書店に専門書を購入しようとしてがく然とした。当然なにかしらあるだろうと思ってでかけた。生命科学のある単元のテキストの新刊。さがしたがみつからなかった。

出かけるまえにネット上でさがしあてなかったので、おかしいなあと思い街でもっとも大きな全国系列の書店に向かった。店ならば取り寄せ専用の検索システムを利用でき、担当の書店員にたずねられる。

どうやら出版されていないという。はたして学びかたそれ自体が変化しつつあるのだろうか。それともわたしのあたまのなかの学問体系がもはや古いしきりになってしまっているのか。わりと基本的な大学の専門にあがったばかりの2年生ぐらいでまなびそうな内容のはずだが…。

おわりに

 どうも本を出版すること自体、採算が合わなくなっているらしい。全国のこの専門の学生数、教師数、図書館数ぐらいではペイしないのだろう。

じゃあ、ネット上にこの分野を日本語で記載され記述に信頼できて、網羅的な内容の大学教科書にできそうなサイトがあるかといわれれば、学会レベルですらほとんどない。

このジャンルのあらたな情報はどこへいってしまったのか。わたしは雑多な情報のなかではたと立ち止まってしまった。

英米の書物を取り寄せるしかないかとため息が出た。

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