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それほどヒトの多くない疲れないですむ落ちつける街をさがす


はじめに


 「みやこ」にむかうたびにいつもこう思う。「ああ、ヒトに酔ってしまった。」そして辺鄙なところにある家にかえりつくと、たまったつかれがどっとでて倒れ込むようにへたりこんでしまう。

極端なのかもしれない、わたしだけかもしれない。そう思っていた。でもそういうひとがけっこういるとわかってきた。

じつは都心に事務所をかまえ、園遊会に招待されるぐらいの肩書の方から「いっしょにしごとをしないか。」とおさそいいただいたことがあった。ところが迷わず丁重におことわりした経験をもつ。

出張の多い生活


 ひとつまえのしごとは出張が多かった。都会がはんぶん、のこりが中核市程度の街で、郊外への出張はまずなかった。自分が好んでいくのではなく、いやおうなくむかうところ。

それ相応に出かけるまえから準備と「だいじょうぶだから。」と自己暗示を必要とする。そう、胃薬や酔いどめの薬も。おとなになってから自動車などのりもので酔うことはなくなった。ところが大都会に出ると歩いていても「酔う」とわかった。

ひと、ひと、ひと

 それはおおぜいの「ひと」。たとえば渋谷のスクランブル交差点や新宿駅など。わたしは十秒、つまりひと息分でもその場にいられない。どうやったらあの濁流にもまれつつもひとの流れにのれるか。

あっちによけて、こっちにさけて、めまいを感じつつ右往左往しよろける。じっさいに同駅や阪急梅田駅の階段でハデに転んでいる。

これでも地元では歩くのはせかせかはやいほうだと自覚しているし、身がかるいと信じている。しかしひとが多い土地ではそうはいかない。たいてい流れには乗れていないし、いつのまにかけんとうちがいのところへはこばれてしまう。

なじめない場所


 あえなくひとのすくないよこみちにそれて息をつぐ。そのままながれのなかでほんろうされていると、ほんとうに息をつげずに泳ぐがごとくくるしくなる。

そんなときには連泊のホテルにしごとのあいまにもどり横になる。しばしの休息をくりかえしてなんとかしごとをこなしつつ、一日が過ぎる。

都会にでてくるといつも起きることとあきらめていた。ここでの生活なんてぜったいにムリと思いつつ、転職するまで十数年のあいだみやこをおとずれていた。ついに慣れることはなかった。

先日、ひさしぶりに都心に降り立ったが、地下鉄の路線図をながめただけでだめだった。うずまきのようにしか見えない。まったくあたまにはいらない。それを必死にながめるが、目がぐるぐるまわりほんの数駅先でののりかえすらできそうにない。

この周囲の何割かのひとたちは地方からでてきたはずなのに…。みんながまんしてるのかな。たべていくために辛抱して耐えているのか。わたしはきっと都会にねっから合ってないんだな。つらつらそう思った。

人が苦手は代々?


 どうもこの性格は父もそう。母とはあきらかにちがう。そしてわたしの子もそう。ああ、これは3代つづいているんだな、きっと。これならあきらめもつくし、いたしかたない。

それならそうで、こどもにはせめて自由に居場所をきめてもらいたい。わたしは勝手に生きるから。

どの街がのぞましいか?


 ふさわしい場所はどこか。「ついのすみか」にする場所をさがすきもちでさまざまおとずれた。とりあえず出た結論はここ。これについてはnoteに記事にした。

ひとがすこしだけいて、いてほしくないところにはいないというわがままな願望にこたえてくれる。そんな都会でもない(失礼)、いなかでもないたたずまいだと気づいた。

はじめておとずれたにもかかわらずどこかなつかしさを感じとれた街だった。よさがじわじわこんぶのように出てくる。なにしろよその土地に行って帰ってきたときのつかれがない。むしろ元気になれてもどれた。はじめての経験だった。

これはどうもわたしだけでなかったのでおどろいた。それを書いておこう。

職場の上司すら


 十数年前の前職でのこと。昼休みの雑談で、ついの住み場所のはなしになった。すると直属の上司が、まさにわたしとまったくおなじ場所にたいしてほぼおなじ想いをもっていると知った。行くたびにその感がつよくなり、惹かれる街だという。

「同感です!」とあいづちした。

その惹かれる要素ってなんだろう。ふしぎだがまだよくわからない。

さいごに


 いま住む場所はどうか。ここはじぶんにとっては気楽ではあるがざんねんながら望郷の思いはない。親の代まですくなくともたどれる3代の居住地。ここよりもやはり生まれて18歳まですごした中途半端な街のほうにノスタルジーを強く感じる。

いまだにそこですごした期間の方を長く感じるぐらい。いまのじぶんがつくられた街の思いが強い。もちろんひととの衝突があり、さまざま思い出したくない経験すらあるさびれつつある街。それでも泣き笑いをともにしたそこにいまも住む同級生たちに羨望(もっと嫉妬にちかい)のきもちがある。

他人がもつものはじぶんのものよりもよく見える。それは人間だれでもいたしかたない。でもあきらかにデメリットも熟知しているはずの街。それもふくめてそこにいたい、愛着がある。

ここまで考えて出した結論。まちがいなく大都会はなじめない。そしてテキドなサイズでふるさとにすら感じられるところがのぞましい。そんな場所さがしがつづく。

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