おくればせながら学生たちに本をつかってもらえばよいことに気づいた
はじめに
先日、いったん時間をかけて手もとからいなくなったはずの書物がふたたびたまりはじめた記事を書いた。
ほどなくして研究パート先で論文講読(ゼミ)がはじまった。新4年生に専門の論文について研究室のメンバーの前で発表する。その準備ははじめての学生には至難の業。これまで身につけてきたはず?の専門の内容の理解度がためされる。
あたえられた論文の内容把握にさまざまな専門書や辞書類、資料が必要になる。できれば身近に置いておきたい。そこでわたしのたまりはじめた本が役立つとわかった。ここへ出向くたびに小脇にかかえて、研究室の書棚にいれていく。
きょうはそんな話。
ゼミがはじまった
研究パートでお世話になっている講座にあたらしい顔ぶれがそろった。新4年生たち。すでに年始めからちょくちょくおとずれていたが、常駐するのはこの3月から。ようやくおたがいに慣れてきた。
そしていよいよ新学期の講読がはじまった。卒論とともに4年生には乗り越えるべき壁といっていい。順番で先生から各自にわたされる論文を微にいり細にいりひと月ほどかけて丹念にしらべまとめあげてみんなのまえで発表、質疑応答を受ける。これは慣れないうちは重い課題。わたしも学生時代には難渋し時間をとられた。それだけちからがつくということ。
おそらくいまの学生さんたちもおなじはず。もちろん英語の論文だから翻訳アプリをつかうことは了解済み。そのうえで日本語に訳されたものの内容について理解したうえで説明できないとならない。
学生たちのために
とうぜんのごとくベテラン?のわたしのところへ調べきれずに学生さんたちがたずねにくる。わたしは先生から内々でたのまれていて学生さんたちが聞きに来ることは承知のうえで対応する。最初のうちは理解がすすんでいないのでとんちんかんなやりとりになりがちだが、それはこちらもこころえているつもり。
それなりにヒントやしらべるといい資料の探し方など自主的にうごいていくようにうながす。最初はずばりをなるべく教えずに、遠まわしで尋ねる方はじれったいだろうが、このほうがあとでずいぶんひとりでできるようになる。その際に困ったことが生じた。
ひとむかしまえだったら研究室に充実した書物があった。ところが研究室の予算はけずられ、もはやないにひとしい。当然のごとく紙で印刷製本された新たな論文や雑誌を目にするには図書館にむかうしかない。そこもだんだんとかぎられたものばかりになりつつある。
そのかわりに
紙の書物は研究室では実験手技のマニュアル本などをのぞけばつかえるものはあまりない。しらべものをというときに手もとに的確な信頼のおける情報源がないと不便する。そこで家からそうした資料を研究室へともちこんで書棚にならべはじめた。
とくに専門領域の事典類がない。あらたな版がもはやでていないらしい。おそらくその多くは電子版もしくはなくなったのかもしれない。したがって網羅的に専門用語の意味などを調べる際に確からしい情報源になかなかたどりつけない。もちろんのちに用語などで増補された分には対処には限界があるが。
おわりに
この点は過渡期かもしれないし、これからさきずっとそうなのかもしれない。こうした専門をこころざす段階が脆弱な点ではむしろ不便になっていないか。ネットの情報は不確かなだけでなく、かならずしも初学者にむけて記されているとはかぎらない。
これまでわたしが身につけるうえでよかった資料の多くをこうして研究室の学生さんたちにつかってもらおうと毎回のように携えて持ちこんでいる。
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