このところの日常のうごきだけでどのくらいの運動になりうるのだろうか
はじめに
日ごろジムに通ったり、スポーツを行ったりしていない。その範疇でこれといってヒトに語るものはない。運動らしいものといえば雨が降らない朝の散歩ぐらい。むしろふだんのしごとや生活のうごきがそのまま活動のレベルであり心拍数をあげることはそれほどない。はたしてからだはだいじょうぶなのか。
きょうはそんな話。
日々は過ぎて
中学・高校は運動部。卓球をつづけていた。高校で気づいたがトレーニングだけはグラウンドのとなりでおなじくトレーニングするラグビー部(県下有数の実力)よりもはるかにきつい。いまふりかえると真夏の昼下がりに長距離走るなど過酷で無謀。そんなふうだからかわたしたち卓球部は地方予選すら勝ち抜けない。もっと合理的に活動すべきだったと今ごろになり反省。
いまはこんなガリガリのままの体格のわたしですら当時は腿が太くなり、おかげか体力はようやく人並みになれた。一般的に20代後半をすぎると体力はピークに達し、そののちは徐々におとろえるばかり。小学校ではのんべんだらりとすごしたわたしはを中学の保健体育でそれを知り、「運動部に入っておくべきだ」とふと思った。
「若いうちは運動やるべき」と年寄りじみた考えから一念発起して入部した。小学校以来の同級生たちはわたしのふだんのようすを知っているので、運動部に所属したことをだれもがおどろいた。当の本人すらそうだったのだからまわりも親もそうだった。
やっぱりそうかも
若いあいだは多少無理してでも運動すべきと思っていたのは大学の前半ぐらいまで。大学でも体育の授業はあったがそれまでのストック?のおかげか楽にやりすごせた。実験にアルバイトといそがしくそれなりに疲れたが、翌日に持ち越さず、おそらくこのころはすくなくとも人なみの体力はあったにちがいない。
このへんで中学・高校で得た資産?はどのくらい保てたのだろう。そののちは今に至るまでいわゆるスポーツや運動らしきものは残念ながらやっていない。日常生活のいそがしさにかまけて運動したほうがいいかなと思う間もなく通りすぎた感じ。
このところは
転業後、副業で農業を営んでいた6,7年のあいだはいちばんからだが充実していたかも。肌の色はかつてないほど濃かった。あがりにくかった右うでがスムーズにあがる。そののちの昨今の状況の3年ほどで農業を断念し、家にこもる日々がつづいた。このあいだにみるみる腿と腕を中心に細くなった。もちろん加齢のためでもある。いい機会だったのにからだをうごかすべきだったと反省している。
つまり、それまでちょこちょことつねにじっとしていない状態からの急変。こもる生活はからだにとって激変かもしれない。筋肉をおとしてしまったのはたしかに納得できる。とっさのときのからだの身のこなしなどケガを防ぐうえでこれ以上おとろえさせるのはよくない。
おわりに
やはりからだを使わないと維持できないのはまちがいなさそう。ふだんの生活でじっとしていると「ああ、よくない」と立ち上がってなにかしらの家事やふだんうごかさない部分のうごきをする作業をするとよさそう。
ひざがたびたび痛む。いまごろになって中学のころにさかんにやっていた「うさぎ跳び」が原因にちがいないと気づく。無理なウエートトレーニングでいためた右肩はそれ以来力が入らないまま。故障が尾を引いている。
それらをカバーする筋力を維持しつつ、つねに意識してからだをうごかすのが当面の課題か。まずは力がしっかり出せるようにと歯の治療、歯科にメンテナンスに定期的に通うようになったのはわれながら驚き。
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