リモートではないのに1日だれにも出会わないしごとから今後を予想した
はじめに
研究施設ではたらきはじめて、スタッフのみなさんにおせわになっている。ところがいぜんはたらいていたときはとさまざな点でちがいを感じている。
とくに昨今の状況の影響はとても大きい。今後のこともあるのでそのようすを書き記しておく。
はたらいてみておもうこと
以前はたらいていたところにお世話になっている。当時(20年前)とくらべてちがうなあと感じたことをいくつかあげてみる。いずれもヒトとの関係性について。
まずは昨今の状況がつづいているため、学生さんたちのたくさんあつまっている状況はほぼない。いたとしてもそのほとんどはひとり。わたしがそうであるように学生さんもおなじか。これは納得できる。たまに2,3人のかたまりがちらほら。
ひろいキャンパスのみわたせる範囲(200メートルほど先)までほとんど歩いているヒトを見ない。ほんとに1万人ちかくがここに出入りしているとはとうてい思えないほど。
それはいたしかたないのだが、それにもまして建物内部にもヒトの気配がうすい。まず人声がしない。昨今の状況はこんなところにもおよんでいる。めったに会話の機会がないせいかひとごえとなって聞こえてこない。
もちろん、昨今の状況とは関係なく、それ以前から研究施設内なので静粛にという張り紙はあったし、それをいまも忠実に守っているからともいえそう。
まだまだある
人声がしないということはとうぜんのごとくヒトにも出会わない。朝8時から夕方5時まではたらくあいだ、だれにも会わずにキャンパスをあとにするのがほとんど。もちろん仕事内容の日報や研究ノートの記録を記している。それもメールにて。
これは夢を見ているのだろうかとおもうほど。ヒトに会わないということはこんなことなんだとSFのロボットが植物に水やりするような不思議な実体験をさせてもらっている。
ひとどおりのとくにすくない西側の階段の上り下りの際には、これまでの半年でひとりに出会ったかどうか。相手のかたもおそらくヒトに会うのは想定していなかったようでわたしにばったり出会っておどろいていた。
しごとの合間に動画でやり取りする場合に、ああ、やっとヒトと出会えたというきもちになる。現実世界では出会わずに、こうしてなかばバーチャルにリモートで出会ってヒトにやっと出会えたとおもえるなんて。
ひるごはんが弁当なのも…
1日ヒトに会わない理由はほかにもある。それは手づくりの弁当の継続。この職場でもおなじ。経済的だしやはりおいしい。
以前はキャンパス内の食堂だったり、配達の弁当だったり。いずれも学生さんたちやスタッフたちとはなしをしながらにぎやかに食べていた。ところがいまは基本的にひとり。
それが望ましくおなじ研究室でもじかんをずらして食べるぐらい。かさねないことで接触の機会をへらしつづけている。これは家でもおなじなのでいたしかたない。
ここではたらいていて出会うヒトはこの半年で4人ぐらい。のべでもその2倍ほどだろうか。ところがこれでもそのうちのひとり(外部のかた)がしばらくのちに感染。こんなにヒトに会わない生活のようでも、タイミングしだいでは感染するときにはしてしまうようだとわかった。
おわりに
こういう時代に生きて、これまでにはできない経験をさまざましている。今回もそう。それでも予想していなかった。今後はすこしずつヒトに会う生活になっていくかもしれないし、意外とこのままでなかなかふえていかないかもしれない。
どうもこの昨今の状況をきっかけに、ヒトとのコミュニケーションがますます希薄になっていくのかもしれないと想像してしまう。
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