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昨今の事象をきっかけにこれまでの価値観をさりげなく無理なく見直すこと


はじめに

 彼の病の流行により、世の中全体がさまざまな分野で影響を受けている。

わたしのなかでは流行前には「持続可能性」についてはいくぶん漠然としたイメージだった。ところが事態が長びいてくると、こつぜんと具体的な事象としてあらわれてきた。目の前に姿をあらわしたと言っていい。より広範にその「持続」の意味を具体的に考えるきっかけになりつつある。

こうした機会は一生のなかでそれほどあることではないだろう。一度ここで整理してみようと思う。


彼の病をきっかけとして

 一昨年の12月にこの病の報道をはじめて耳にした。わりと小さなあつかいの記事で「風土病か何か?」ぐらいのイメージだった。ただ何かいやな予感がした。

すると年明け以降、わが国では突如として「対岸の火事」ではなくなり、だんだんと身近なところにさまざま起こりはじめ、家族やふだん接する人々に関わるできごとになった。

以前、少なからず関わる仕事だったので、どう対処するべきか(わからないなりにこれまでの経験にもとづいて理解の範囲で大きめなくくりとして)わりと客観視して用心しつつ捉えていた。

ただし昨年の年明け以降、ひとごとではなくいずれ自分の身にふりかかってくるだろうと覚悟していた。


生業への影響

 その覚悟は覚悟として、昨年のはじめての緊急事態時には、行政の指導にもとづいて自らの仕事の制限、それに対して行政のサポートを受けるなど、あっさりと現実として行動せざる負えない事態になった。

仕事についてはそれまで以上にwebを活用し、その状況はいまもつづく(2022.1)。顧客のなかにはネット環境への迅速な対応ができずに、継続の難しい方が出はじめ、一時期半減してしまうほどだった。知人からの相談も受けた。

その一方で、流行とはそれほど関係ないだろうと思われていた副業(農業分野)は一昨年のうちにあきらめた。

その理由とは予想しないところに3密を生じる場面があり、リスクを自ら仕事を辞退することで抑制できるとわかりあっさり断念した。それまで5年ほどかけて築いてきて順調にいきかけたが…。

がっかりなどの気持ちすら湧かなかった。「まっ、しかたないか。」これぐらいの感じ。すでにさまざまなことが起こっていて、今あらためて思い起こすと、がっかり感など受け入れないようにおのずと心に予防線を張り防御していたと思う。

感情をたかぶらせても怒ろうにもぶつける先はない。すべてしかたのないこと。


気にしない

 それでもなんとか食べて生きている。小さなことでもみつけてやれば、日々食べていくぐらいは何とかいける。

最低限の算段さえ怠らずにいれば、あとは気にせずふだんどおりをこころがけている。人とじかに会う仕事は、代替法があればそれを採用、やむをえないものだけにした。あとはすべてwebで済ませている。

むしろ、こうした制限は新たな発想を生むチャンスをもらえていると捉えた。それまでの生き方を維持できるように、持続するようにくふうしていこうと考えた。

彼の病の制限はちょうど迷路のゲームのよう。「行き止まり」に来たら引き返して新たな道を探ればよい。そうすればいま一歩先へ進める。そのくりかえし。それでいいのでは。


おわりに

 そう考えると何も今まで生きてきた大部分の人生とさほど変わりないではないかと思えた。つくろって直して着る服のよう。

こう思うようになってから、庭に鳴きはじめた秋の虫たちがさまざまな声をとりかわすのに気づけた。

何もとくべつなわけではない。やりすごしたあともたんたんと日々のくらしをごくごく小さなよろこびを見つけつつ、生きていけばよい。


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