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最後にひと目見る家となる日が来ぬことを ー自宅の周囲で遭遇したいくつかの自然災害からー


はじめに

 中山間地の谷あいの場所に家をもち、さまざまな経験をしてきた。

自分が経験した自然災害をいくつか書き出し、あらためてこうした場所に暮らすリスクなどを自分自身で見つめ直せた。

合わせて読者の方々のくらしや行動のヒントにしていただきたい。


わが家の周囲とは


 わが家の南側には小川を挟んで台地が迫っている。いわゆる崖地のそば。このため行政により(1)と(2)のふたつのエリアに指定されている。

(1)土砂災害特別警戒区域(急傾斜地)
(2)土砂災害警戒区域(土石流)

以上ふたつのエリアにわが家の土地が重なっている。くずれやすいがけの近くのため(1)に該当し、そばでこの小川一帯が土石流の危険渓流に指定されているため(2)の土砂災害警戒区域内に含まれているとのこと。

たいへんわかりにくいのでかいつまんで示すと、がけと川に接しているから「危険だよ、注意してね。」というエリアに近接しているか、すっぽり入っている場所に家があるということ。日本各地で防災マップが作られており、各自でたしかめられるはずだ。

なんでそんなところに家を建てたのと思われるだろう。もともとが先祖からの土地で、建築関係の法律の定めにしたがい、崖からいちばん離れた土地の北側に建てれば建築許可がおりるとわかったから。そして(2)の土砂災害警戒区域の指定はまだされてなかった。


これまでの4つの経験


 ここに住みはじめてから25年。家の周囲だけでつぎの①~④の4つの経験をした。ひとつずつありのままを示したい。
①家の南を流れる小川の向こう岸のがけくずれ
②南斜面上方の市道の崩壊
③徒歩で帰宅時にがけくずれにまきこまれそうになったこと
④昨年の大雨・台風での避難


①家の前のがけくずれ


 20年あまり前。家の南側を流れる小川の向こう岸は崖地(敷地内)で台地が迫っている。大雨時に向こう岸斜面が高さ7m×幅5mの範囲でくずれた。くずれる範囲次第で、土砂が川をふさぐとあふれるおそれがあったので119番通報した。

そのときは徐々に土砂が下流に流れてあふれずに済んだ。消防の方々も心配そうにながめていた。

復旧作業は専門業者に頼んだ。小川の両岸(30mほど)の基盤となる岩の上にコンクリートの擁壁をつくり、さらに向こう岸の擁壁の上に土留めのために鉄筋入りブロック塀(幅15m)にした。敷地内のため自費である。


②市道の崩落


 それから5年ほどのち、こんどはわが家の前の南斜面から台地の上に向かう市道のアスファルト路面に新たなひびを見つけた。前述のくずれた崖の横上部にあたる。そこはふだん本降りの雨で雨水が滝のように流れくだる場所で市の応急処置がされているがじゅうぶんとはいえない。

そこで建築事務所に出向いて伝えたが最初は聞き入れてもらえず、ようやく町内会長を通じて関係各所に伝えてもらい調査となった。

その結果、問題なかろう、ひびは拡がらないだろうと市の担当者と調査の業者。念には念を入れて崩れた場合に備えて、土砂が押し寄せそうな範囲の両どなりの方々には状況を伝えておいた。

そして1か月しないうちに大きく崩れた。さいわいご近所とわが家に被害はなかったが、市道はすっかりえぐれて不通となり、それから多額の費用をかけた半年近くの工事がおこなわれ復旧した。


③通勤時のがけくずれ


 自宅から600mの場所に仕事場を構え、ふだんはそこに徒歩で行き来している。自宅から台地のへりに前述の川に沿う私道を近道として利用させてもらっている。

その日は2日ほど大雨が降りつづいて、ようやく小降りになった。横を流れる川はふだんとちがい激しく大きな音をたてている。

仕事を終えた夜道。傘をさしつつ暗い足もとに注意しながらいつもの私道を家に向かい歩いていた。少し小高いところへさしかかろうとしたとき、足元のすぐ後ろでするすると音がした。つづいて濁流の音にまじりドボン・ボチャンと聞こえた。

うしろをふりむくと街灯のかげの暗がりでよく見えなかった。ほんのいま通り過ぎたばかりのコンクリートの白い部分がすでに無くなり、足元のうしろ1メートルよりむこう側は漆黒で何も見えなかった。

一瞬のうちにくずれおちた。背すじが凍りついたよう。命拾いしたと感じた。翌朝、明るくなって近くまで寄ってみると、大きくえぐれて道は5メートル以上の幅で向こうまでない。思っていた以上だったので、さらに身震いがした。


④昨年の大雨・台風による避難


 昨年の夏は成人した同居の子どもと顔をつき合わせて、雨や台風のたびに避難すべきかどうか話し合った。

そのうち2度は避難すべきだろうという結論に。一度は地域の開設した避難所へ。十数名の方々とともに一晩をそこで過ごさせてもらえた。

もう一度は超大型の台風のとき。こちらは避難の判断がより難しかった。

台風接近の予想される前々日の夕方に、念のために避難のための宿を予約。この時点では向かうのに都合の良い宿のなかから選ぶことができた。

ところが夜になると予想が変わり、発達したまま近づき大風が吹くという。気圧も低く高潮のおそれ。予約した宿では高潮の被害が心配されるため宿を急遽変えた。

それから宿を探し直し、大風に耐えられそうな大型のホテルを選んだが、すでに予約が埋まりつつあった。予約を確認後、前の宿を2日前キャンセル料を払い取り消し。宿までの移動は用心しつつ自家用車とした。

前日の朝の時点で進路次第で大風となるか、雨だけで済むかにより避難のタイミングが判断できない状態のまま。宿にチェックインできるのは午後以降と確認。

そして風雨が強まりはじめ進路がほぼ定まり、かつてない大風の台風とのことで家では危険と判断、80代の両親と成人したこどもひとりとともに昼過ぎに車で避難開始。

その時点ですでに風雨はふだんの小規模の台風なみ。本来ならば室内にいたいぐらい。これから本格的に大風が吹けば経験のない被害が明白に予想された。

いよいよ避難するときになって、これが最後の家を見る最後の姿かもしれないと思いつつひと目ふりむきつつ、家族の荷物を確認して出発した。

暴風雨で前方が見えづらく、速度を極端に落としながら、それでも風で車が横に振られながら避難するホテルに向かった。海岸際の国道をめいっぱいのワイパーをかけ、突風に車が何度か大きく振られながらようやくたどり着けたとき、ハンドルを握る手は汗でじっとりしてた。ひとまずほっとした。

もっとはやい段階で避難すべきだったと反省した。

一泊後、ホテルからの家にもどると、家はほぼもとの姿を何とかとどめていたのでほっとした。瓦が数枚浮き、カーポートや雨樋、郵便受けが壊れるぐらいの被害で済んだのはさいわいだった。いずれも保険を使い修理できた。


おわりに

 上に記したようにいくつもの災害、さらに昨年は両親を連れて2回、家を離れて避難をした。こんな年ははじめて。これまでも少し心配だなと思う年はあった。

だがこうして書き出して客観視すると、のんき過ぎだろうと指摘を受けて当然かもしれない。わたしのなかで長年暮らすうちに正常性バイアスがいつの間にかかかってしまっている。

ざっと積み上げて億単位の行政による修理費が、数十軒ほどが住むエリアに費やされている。もちろん上述したように自腹でも崖に修復費をかけている。

これはもう危ない、戻れないかもしれないと決心して家を出ることになるとは。そう思ったときにはかなり危ない。早めの避難こそがたいせつ。

これも家族と自分のいのちを守るため。何はともあれまずは避難しなくちゃ。

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