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(ショートショート)ひさしぶりの列車に揺られて
静寂のまどろみ
まもなく海が見える。家なみが点々としてきたあたりで首だけ窓の明るい側に向けたユカさん。カーブがつづくので列車は速度を落としていく。カタンコトンのリズムがゆっくりになり、同時に耳元にとどく音が小さくなった。
それとは逆に、車内の話し声が聞こえてくる。国どうしで相対して重要な貿易交渉でもしているかのように話の中身まではわからないひそひそ声。中年の女性どうしかなぐらいしかわからない。
とたんに車内の静けさをかき消すようにディーゼル気動車はエンジンの出力をあげ、しっかりした駆動音を撒き散らしながら上り勾配をすすんでいく。女性らの「交渉」もかき消される。
音だけ耳にいれて想像するだけでも、運転手はいそがしく手もとを操作しているはずと想像される。いっときも油断ならないだろう。そのぶん乗客たちは安心して身を委ねてリラックスしていられる。
ひとときの静けさ
窓外には日常の郊外の風景。なにも束縛やノルマもなく背もたれによりかかるぶんには、なにも考えなくても目的地まで運んでもらえて、そのあいだは平穏な時間が過ぎていく…。ああ、うたたねしてしまった。ひろがる海を見ずじまいだった。この沿線でいちばんの見どころといっていいのに。
ユカさんは仲間といっしょでも、車窓をちらりと見るのが好きだった。日々ながめると風景のうつろいを感じられる。いまの窓の外は7割がた緑の草木色。そのすきまから海ごしの遠くの山々が水彩絵の具のブルーでつらなって見える。
列車はまた直線に入りスピードをあげ、動力の振動とともにレールのすきまごとに上下にからだが揺られはじめた。カン、カンと乾いた踏切の警報音がドップラー効果でひしゃげて聞こえてすぐいなくなる。
何節かのアナウンスがスピーカーから聞こえるとまもなく駅に入る。急速に揺れがおさまり、それにつづいてなにごともなかったかのように音がしなくなる。プシューと昇降口が開くと、窓外の干からびた田の刈あとからひこばえに穂がちらほら。高い空のひばりのさえずりとともに見える。
風景と時間
ああ、なにも変わらないなあ、あのときもさえずりが聞こえてた。なんであんなに毎日を新鮮に感じてたんだろう。ここの風景なんてほとんど変わってないよ。
でも会うのは何年ぶりかな。高校生のままの姿が思い浮かぶ。3年間かぎりでもりあがり、極大に達したときで、ハイ、お別れ。そんなのはないよなあと高3の卒業の春を惜しんでいたころの想いを蘇らせた。
列車内で話したいことはかぎりなくあってもどかしいほど。でも、そうしているあいだにあっけなく降りる駅に着く。そこから家までは自転車だった。列車内で話したことを反芻しながらペダルを踏む足取りも軽く、「ただいま。」の声とともにわが家にたどり着いていた。
時間を区切られると何とかしないと、あれもしないとと焦らされる。こうしてふりかえると、何も3年に区切る必要はなかったんだなと肩の力を抜いてすんなり思えてくる。
それだけ目の前の時間を生きることに精一杯だったんだろうなあ、みんなそんなふうに見えたし。
区切りのかたち
発車の合図とともにディーゼルエンジンがふたたびうなりはじめ、重いからだをようやく動かすように南に向かいはじめた。
まるでこの列車みたいだと気づいた。あえぐように上り勾配をやっと越えたかと思うと、今度はカーブの連続やトンネル。駅で一息入れる。うん、やっぱりそうだ、この列車そのものかもしれない。
多少のつらいことがあっても皆と一緒だから乗り越えられたし、苦しいとは思わずに済んだのだろう。そして学校の門を出る自由な開放感があるからこそ、毎日毎日をやり過ごしていけたんだろう。あの頃は通学の手段としてしか見ていなかったけど。
いまこうしてみるといとおしいなあ。ふと、ユカさんは身を起こしてゆっくりと車内を見まわした。
あとふた駅。ボックス席にふたたび静かに身をしずめると、あの輝いていた日々をゆったりと思い返した。そしてこの列車に乗るまで抱えていた胸のあたりのわだかまりをストンと整理できた。さあ、新しい生活が始まる。ありがとう、列車に感謝しないと。
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