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「大学院生=学生」を改めたい。

大学院進学をする学部生や社会人学生を試みている人に読んでほしい。

大学院に進む=社会人に行かず、学生する
大学院に進む=研究が好き
大学院に進む=就職活動がうまく行かなかった

さまざまな意見がある。大学院に進むべきか否か?それについては個人の自由だが、大学院大学というところまで来て、大学院生をやる意味と価値をここでは書いていきたいと思う。


日本の常識は世界の常識ではない

日本での大学院のイメージはかなりネガティブな側面があるように思う。ただ、それは日本固有である。この話をするとそもそも大学生の意識から話さなければならないのだが、そこは置いておこう。


日本の政治家たちは世界に溶け込めない

日本の政治家に多い大学は東京大学をはじめとして、政治経済学部や法学部などが主な出身である。別に政治家(国会議員)になるためにこのようなところが出身なければならないわけではない。

ただ、世界的にみて、どうだろうか。

ハーバード大学 ケネディスクール出身者
【コロンビア】サントス前大統領
【ケニア】ケニヤッタ大統領
【イスラエル】ネタニヤフ首相
【リベリア】サーリーフ前大統領
【シンガポール】リー首相

アメリカに留学し、修了している首相・大統領
【イタリア】マリオ・モンティ元首相:エール大学修士号
【エストニア】トーマス.H.イルヴェス元大統領:ペンシルべニア大学修士号
【エクアドル】ラファエル・コレア元大統領:イリノイ大学博士号
【コスタリカ】ラウラ・チンチージャ元大統領:ジョージタウン大学修士号

https://amview.japan.usembassy.gov/world-leaders-with-us-degrees/

他にもオックスフォード大学などさまざまなところで大学院を修了している首相や大統領は普通なのである。そして、同じ大学出身となるとやはり、思い出話などから会話がすぐにはかどる。

大学院をでて、自分の分野から政治に関わっていくことも可能なのである。実際、日本でも鳩山由紀夫がスタンフォード大学院に出ているが、これまたそういう政治家は少ないのだ。


そして、全員とは言わないが、学部卒と修士卒、日本国内と海外での話の差や話題は変わるようだ。しばしば日本の大臣や官僚が話の輪に入れていない様子が見える時がある。


大学院は大学名で決まるわけではない

ハーバード大学やMITなど世界最先端の大学に行くのであれば、別の話なのだが、日本内での大学院を目指すのであれば、大学名はそこまで重要じゃないことをここで書いておきたい。

2つだけ問いたい。どちらの方が学歴として高いのか?

Q1. 東京大学 / 工学 / 学士卒 と 北海道大学 / 工学 / 学士卒
Q2. 東京大学 / 工学 / 学士卒 と 北海道大学 / 工学 / 修士

Q1の答えは、"東京大学 / 工学 / 学士卒 "だろう。学士卒なのであれば、偏差値の高い大学で卒業をした方がいい。だが、Q2では、意見がわかれることがある。

僕の意見としては、そもそも違う次元にいるので比較のしようがないと言うのが答えである。確かに東京大学はすごい。学部生の卒論ですら、かなりレベルが高い。しかし、北大生の修士論文は2年間を研究に費やし、ものすごい成果でなくともその人が打ち込んだことに変わりはない。研究として少しでも役立っている機会は多いはずなのだ。

だから、そもそも大学院に入る時に、確かに東大や京大や東工大はすごいが、それ以外でも選択肢はたくさんある。

大学院大学とか含め。


自分のやりたいことが学部で決まるわけではない

日本の学生の場合、学部生の時に入った大学、研究室で修士や博士まで行くような人が多い。それは、別に悪いことではないのだが、アメリカなどをみてみると意外と他大学や違う分野へ変えている人は多いようだ。

日本でも、東京大学や東京工業大学のような大学院で多くとっている大学もあったり、大学院大学のような学部がない大学もある。

<東京大学>
・学部生:13,962人
・院生:13,341人

<東京工業大学>
・学部生:4,922人
・院生:5,526人

<大学院大学>(国立:JAIST, NAIST, SOKENDAI)
・JAIST:1,218人
・NAIST:1,074人
・SOKENDAI:523人

そんなことから、大学院を東大や東工大もしくは大学院大学に変えて、分野を変えているひともいるし、それで修士を取ることは別に変わっているとも言えないのだ。受験や学部の時には成績などによっていきたい研究室や大学には入れなくとも、大学院でいきたい分野やいきたい研究室に行くことは十分可能で、むしろチャンスとも言える。

ど正論で言えば、学部の短い研究時間でその分野の奥深さを感じることは難しい。それが面白いと思うかどうかは別として、好奇心の通りに新たな分野を学んでみても、新しい発見があり、面白い。


大学院は学歴のためなのか?

分野を変えてみると、めちゃくちゃ面白い。

大学院で、分野を変えたのは、僕もだ。
学部の時には、分類で言えば、医療情報や音声系のことを主として、やっていた。だから、波形の分析や医療系の論文などを読んでいた。

しかし、大学院に来てから、音楽情報学、身体知、進化心理学などに触れ、医療系とは通ずるところはあるものの、全く違うアプローチが科学的になされていることが多い。そして、論文の主張の仕方や分野によって信頼できる学術論文の違いなども知れる。
一言で言えば、多角的な視点が得られると言えばいいのだろうが、その深さは、ビジネス本や啓発本などで言われるようなレベルではない。

先端の科学者たちの論争や評価、批評を見る機関としては最高だと思う。
これは、社会人に出ていない自分が言える立場ではないが、それを殺すも活かすも自分次第だ。しかし、その機会を得られたことは貴重な機会であることには間違いない。


自分の無能さを感じられる

ドM発言ぽく聞こえるかもしれないが、自分の無能さを感じられることはいいことであると僕は思う。

今、北陸先端科学技術大学院大学に通っている僕は、大学院生だけの世界でもがいている。修士の同級、博士の先輩、すごい教員の方々、社会人学生がそれぞれ自分達の研究でもがいている。その姿を見ているとまだまだ頑張らなければならない、そして頑張ってもその人たちには追いつけない思いになる。これは正直、今辛いだろうが、会社でサボっている人や毎日同じ生活に疲れている人がそこらじゅうにいるような環境で味わえないような感覚だろう。

そして、自分の無能さの中に、一つの光が見えることもある。それが自分の強みなのだ。自己分析的に「コミュニケーションが得意」「創造力がある」のようなものではない。
自分は今やっている研究の分野の視点で物事を見ることができ、それが違う人との会話やディスカッションで役に立ったり、逆に自分に得ることができる。そして、それは自分の解決方法の1つを確立できると言うことでもある。

解決方法を知っている人やそれが確立している方法は応用が効くし、世の中でも強い。そして、俯瞰的・客観的に物事を見ることができる。

だから、"無能さ"を感じることが重要なのである。


大学院生=学生を改めたい。

大学院生は学生であることに変わりはないが、大学生と同じではない。と言うことを言っておきたい。

だからこそ、大学院生が学生であるが学部生ほど楽ではないことと、研究に対して実直でなければならない。そして大学院を出ると言うことは、日本での常識にとらわれずに挑戦をしていくべきだと思う。

そして、社会人であろうが、学部生であろうが、大学院に少しでも興味があるのならば、キャリアアップのため、視野を広げるため、なんでもいいので行ってみることをおすすめしたい。

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