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悪役狸(たぬき)

たぬき屋さん(島田市本通)

 人々は日常生活の異変を「狐狸の仕業」と呼んできた。中国には「狐狸」という妖怪が棲んでいた。日本では「キツネ」と「タヌキ」となった。同じ妖怪でありながら、稲荷様にも祀られるキツネと比べるとタヌキは分が悪い。 

 波津(牧之原市)に宝泉寺という寺があった。長らく無住の寺で荒れていたが、夜中になるとチラチラと灯火が漏れ、大きな物音がする。そのため村人は近付かなかった。ある日、旅の侍がこの寺に泊まった。夜中、ランランと燃える眼の武者が現われた。侍は手元の弓を引き絞り、その眼を射た。武者は巨大な呻き声と共に逃げ去った。翌朝寺の天井に巨大なタヌキが死んでいた。年月を経て、寺を解体した折、天井板には多くの血の跡が残っていた、と伝えられる。(『さがらの伝説百話』) 
 
 また、榛原郡白羽村では、あるお寺の和尚の友人に化けたタヌキが、毎夜和尚の焼くそば餅を食べにやってきた。ある晩、居眠りの振りをする和尚に向かって、突然タヌキが姿を現し、「大きなキンタマのふくろをどんどんひろげ」、和尚を包み込もうとした。この時とばかり、和尚は焼いた丸石を「キンタマのふくろ」に投げ込んだ。ぎゃあと叫んでタヌキは逃げ去った。『静岡県の昔話』)タヌキはいつも悪役だ。

信楽タヌキ



大井川鐵道 神尾駅

 大井川鐵道神尾駅周辺には大小無数の「信楽焼タヌキ」が置かれ、訪れる人々を迎えてくれる。大きなお腹とキンタマは「商売繁盛」のシンボルだ。
昭和天皇は幼い頃から、信楽のタヌキが好きで、集めていた。1951(昭和二六)年、信楽町を訪れた際、町の人たちは沿道に信楽の狸を並べて大歓迎した。天皇は大いに感激し、歌を詠んだ。『をさなきとき あつめしからに なつかしも しからきやきの たぬきをみれば』。ニュースは一瞬にして全国に隈なく届き、信楽の狸は「幸運」のシンボルともなった。

漱石の狸


 夏目漱石の猫は有名だが「狸」も一言を有している。「余」が夕刻、「神楽坂」の床屋で一息ついた時。そこでは常連の松っさんが、手垢のついた薄っぺらの本を読んで聞かせていた。「狸が人を婆化(ばか)すと云いやすけれど、…ありやみんな催眠術でげす」。ある時、狸は村はずれで榎の大木に化けていたところ、源兵村の作蔵と云う若い衆が首をくくりにやって来て、ふんどしを枝に掛け、肥桶を台にして、ぶらりと下がる。その瞬間に、狸は枝の腕をぐにゃりと曲げて、大声で笑ってやった。転げ落ちた作蔵は大慌てで逃げ去った。つまり、作蔵君の本音は死にたくなかったのだ。狸は人間の心の隙を事前に読んで、化かされたい願望に沿って化かし、人間はそれで安心する。それはまさに現代の「催眠療法」なのに、「日本人はちと狸を軽蔑しすぎる」と、その本には書かれていた。余は妙に納得して帰途につく。(『琴のそら音』)

タヌキ寝入り


 都合の悪い時「眠ったふり」をする、これが「タヌキ寝入り」だ。宴席でもうこれ以上飲めない時、余分な仕事が回って来そうな時、夫婦や恋人との諍いで形勢不利の時、タヌキ寝入りで何とかその場をやり過ごす。見え透いた常套手段である。
 
 タヌキは鉄砲の音などで失神し、しばらくすると一目散に逃げ出す。それは「死んだふり」の演技によるタヌキの本能的な自己防衛システムなのだ。
しかし近年、「ON」と「OFF」の世界が、人々の関係を取り仕切る。語りあい、笑い崩れ、泣き叫ぶ、そうした人間関係は消えてしまい、「不都合」はすべて「OFF」で清算される。誰もが不都合に身を晒さない。
 
 人と人との交差で築きあげる人間関係、時に生じる不都合の、その場をジッと耐える葛藤とタヌキ寝入りのテクニック、それらすべてが過去のものとなってしまった。愛は不都合の真実、せめてタヌキさんに化かされたまま、愛を信じたい。

(地域情報誌cocogane 2023年7月号掲載)

[関連リンク]
地域情報誌cocogane(毎月25日発行、NPO法人クロスメディアしまだ発行)

大井川鐵道 神尾駅(静岡県島田市神尾新東名高速 島田金谷ICより約30分)
※駐車場あり

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