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『第12弾』は、小室直樹著の「日本人のための宗教原論」を紹介します。

国論を二分した国葬が執り行われ、政治と特定の宗教の問題が取り上げられる昨今、今一度宗教とは何かと考えるために本著を読みました。

ユヴァル・ノア・ハラリが「ホモサピエンス」という著書で紹介していたように、なぜ私たち(ホモサピエンス)は、自然界の中で絶滅することなく生存を続けているのか?
それは以下の3つが要因であると指摘しています。

・貨幣
・国家
・宗教

どれも形を持たない抽象的なもの。
その中で、宗教は、お互いに共通の価値観を持つために生まれたと言われています。ネアンデルタール人に比べ、力もなかった私たちホモサピエンスは、集団で暮らすことで生き抜いてきました。
この集団=社会には、様々な考えを持った人がいる、そこに規範(モラル)をもたらすことにより、争うことなく協力してこの厳しい自然界を生き抜きぬいてきた。そのためには、皆が共有する価値観=宗教が必要であったようです。

本著で紹介されている中世を代表する思想家、トマス・アクィナスは、「人間は、放っておいて倫理的生活をするものでなく、不断の指導と援助を必要とする。そこには強制と習慣づけが必要である。」と指摘しています。ゆえに宗教があるのかもしれません。

同じく紹介されているマックス・ウェーバーは、宗教は「エトス」、行動様式であると説いています。確かに宗教には、戒律があるし、○○してはならない、○○すべきであると説く場面は少なくない。

ただ行動様式や倫理規範が同じというだけでは、集団はまとまらないでしょう。宗教が、これらの倫理規範に対して、「神」や「仏」といった人知を超えた超絶的な「何か」によりある意味、お墨付きを与えるからこそ、人はまとまっていくのかもしれない。ゆえにホモサピエンスにとって宗教が必要であったと考えられる。

では、現代の私たちには、宗教が必要なのか?
この問いに筆者は、そういう質問をすることこそが宗教を理解していないという。

ここからは私見だが、宗教は以上のように私たちが自然界で生きていくうえで必要不可欠なものとして生じ、連綿と歴史に刻まれてきた。その土壌があったからこそ、宗教改革が起き、資本主義が生まれ、民主主義が生まれた。だからこそ、筆者が言う宗教が必要かどうかというと問いは、その土台をないものとしてしまうことになる。その土台(宗教)なくして、現代の社会は成り立たないのだろう。

戦後、日本には新興宗教がたくさん起こった。なぜか?
筆者は、敗戦による国家神道の解体が、日本人に急速なアノミー(規範の崩壊)を引き起こしたという。先述の土台がなくなったのだ!
ゆえに、そのアノミー状態を脱するために、戦後多くの人が新興宗教に頼った。本来は、その受け皿として「土台」の一部であった旧仏教系の宗教が担うべきであったのかもしれない・・。

私たち(ホモサピエンス)は、内面の規範をとても大事にする生物なのだろう。そして、その土台がひとたび崩れてしまうと、人心が不安になり社会が成り立たなくなってしまうということを戦後のアノミーから学ぶことができる。

この本は、オウム事件をきっかけに書かれたものだと推測する。初版は2000年。まさにそのアノミーが暴発した事件だ。
そして、戦後のアノミーの影響が、令和の今、安倍元総理の銃撃事件をきっかけに再び表面化した。
安倍元総理には、哀悼の意を表するとともに、政権の中枢にまで食い込んだ旧統一教会については、政教分離の観点から一切妥協することなく政治と切り離し、悪徳な団体として、解散を辞さない態度を取るべきであると考える。

少し本の紹介からずれたが、小室直樹著の「日本人のための宗教原論」は、宗教のアウトラインを示し、キリスト教、仏教、イスラム教、儒教と解説が続き、日本人と宗教という締め括りで本書は終わる。そこには、宗教家はもちろん、あなた自身が宗教を理解することが重要であると説く。

一律に「宗教=怖い」と拒否反応を示すのではく、宗教とは何か?ということを理解することにより、人類の歴史とは?人とは?という問いにも迫ることができる。それぞれの宗教の概略が非常に分かりやすく書いてあり宗教間の違いが理解できるようになります。このような時だからこそオススメです。

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