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【洋楽雑考#5】Nine Lives 緊張感は長寿の源〜 Aerosmith

皆元気? 洋楽聴いてる?

 冬季オリンピックで盛り上がる中、某カップ麺(英語で書くとカップヌードル)のCMに心が沸き立つ。Aerosmith が映画「アルマゲドン」に提供した「I Don't Want to Miss a Thing」。

バンドのシンガーであるスティーヴン・タイラーの娘、リヴが主演、ブルース・ウィリス、ベン・アフレックらが共演し、ここ日本でもメガ・ヒットした作品をドラマティックに彩った名曲である。

ただし、これAerosmithのメンバーの作品じゃないんだよな。いわゆる商業作家に位置するダイアン・ウォーレンが作ったもの...


現在バンドは昨年スタートし、2021年に及ぶ(あのね...)という非常に不透明なフェアウェル・ツアー中...


しかし、この人たちの場合、バンドに不穏な空気が流れるたびに、それをエネルギーにして(ヘンなエネルギーだが)不思議な復活を繰り返している。


ここ数年の間も、スティーヴンのソロ/芸能活動が他メンバーの顰蹙を買ったり、批判の中心人物でもあったギター・プレイヤーのジョー・ペリーが始めた(...)、これまたサイド・プロジェクトHollywood Vampires のステージ中にジョーが昏倒(心停止したという話まであった)したりと、バンドを取り巻くアルマゲドン状態には困ったもの。

バンド結成は1970年、マサチューセッツ州ボストン。ローカル・バンドで主にドラムを担当していたスティーヴンが、ベースのトム・ハミルトン、ドラマーのジョーイ・クレイマーと活動をともにしていたジョーと出会ったことに端を発する。


スティーヴンのワガママ(失礼)は結成時からのモノだったようで、専任シンガーでなければバンドには参加しないと主張、ジョーイがいてくれたから良かったようなものの...


さて、今では浅田真央ちゃんの愛犬の名前としても有名な(ウソだからね)、このAeroという名称。

諸説入り乱れていた時期もあったのだが、どうやらジョーイの立案によるものだったらしい。

アメリカ人シンガー、ハリー・ニルソンのアルバム「Aerial Ballet」のアートワーク、軽業師が飛行機から飛び降りるイラストがネタとなっている。

高校時代にこの名前を思いついたジョーイは、バンドのネーミング決めミーティングで「Aerosmithはどうだろうか?」と提案したのだが、他メンバーはそれを"Arrowsmith" と聞き違えていた。

このArrowsmithなる名称、日本人の我々には縁遠いのだが、当時アメリカの高校生がいわゆる国語の授業で読んでいた作品のタイトルである。


日本では「アロウスミスの生涯」という名前で紹介されているようだが、同作で著者のシンクレア・ルイスはピューリッツァー賞を受賞。しかし、ノミネート作品に順列を付けるという考え方に同意できなかったルイスは同賞を拒否した初の作家となった。


「まぁ、文学作品からロック・バンドが名前なんて付けないよな...」と思われる向きも多いと思うのだが、実はジョーイはバークリー音大に通うほどのインテリ。

根底のロック・スピリッツは共通なのか、Aeroとルイス...
リズム・ギターとして、スティーヴンの知人だったレイモンド・タバノを補充し、5人編成となったバンドは本格的に活動を開始、程なくしてレイモンドが脱退、後任として、こちらもバークリー音大出身のギター・プレイヤー、ブラッド・ウィットフォードが参加、ファースト・アルバム「Aerosmith(野獣生誕)」を1973年に発表する。しかし、当時のチャート最高位は166位...


その後も良質なロック・アルバムのリリースを重ねた彼らなのだが、セールスとは裏腹にチャート・アクションでは完全とは呼べない状態が続く。

全米のみで800万枚をセールスしたサード「Toys in the Attic(闇夜のヘビイ・ロック)」もBillboard誌での最高位は11位止まり。初期の彼らの最高傑作と断言できる「Rocks」がようやく3位にまで上昇するのだが、次作「Draw the Line」は再びTop 10入りを逃す(11位)。


どうやらこの辺りからバンド周辺には暗雲がドンヨリと立ち込め始めたようだ。まずはドラッグ部門。"今までにクスリにつぎ込んだのは6400万ドル(現在の為替レート/単純計算で約64億円)くらい"(スティーヴンさま談)。

"あれだけクスリに金をつぎ込んだのに、まだ生きてるなんて冗談みたいだよね。良い見出しにはなるか?でも問題なのは、あれだけの金が当時のオレたちが使った金のほんの一部だっていうことなんだよ"(ジョーさま談)。


そして、こちらが本題の人間関係部門。スティーヴンとジョーという2大看板(the Toxic Twins)を掲げているがゆえ、逆に2人の緊張感は日を追うごとに増して行く。

 宿泊ホテルは別々、もちろん移動の飛行機もバラバラ。ローカル・プロモーターにしてみれば、これだけ迷惑な話もないというもの。担当してみたかったと思うのは、オレだけか。

しかし、この緊張感こそ、このバンドを誰よりも魅力的にしているのは否定しようもない事実だろう。その証拠に1978年リリースの初のライヴ作品「Live ! Bootleg」の素晴らしさたるや。


オープニングからエンディングまで、異常なまでに殺気立ったパフォーマンスが堪能できる。一発録音ではなく、1977年&78年にレコーディングされた様々な会場でのライヴを中心としているのだが、面白いのは1973年にボストンのラジオ局WBCN 向けに披露したパフォーマンス2曲。

この音源、確か局からバンドが買い取ったものなのだが、地元ボストンのクラブPaul's Mall での演奏。ジミー・リードなどで有名な「I Ain't Got You」とジェイムス・ブラウンのカヴァー「Mother Popcorn」なのだが、バンドがいかに優れたインタープレイを得意にしていたかがよく分かる。


アドリブ・プレイは成功すれば万々歳なのだが、失敗するとライヴ全部がお通夜の様相を呈することになる。その危険を物ともせず、ジョーとブラッド、どちらも非常にスリリングなギターを披露している。


また"海賊盤"を意味する"Bootleg"というタイトルをあえて付けて、アナログ盤時代には「Mother Popcorn」に続く「Draw the Line」をあえてアートワークにクレジットしないというのも、当時は非常に斬新なアイディアだった。

クラブでの演奏からビッグ・アリーナへとオーディエンスの歓声が"どわ〜ん"と巨大化するエンジニアリングも実に素晴らしい。


その直後、アルバム「Night in the Ruts」途中でジョーは脱退。元々は彼の妻と、トムの妻の間に起こったイザコザが原因だった模様。スティーヴンは"ジョーは脱退じゃなくて、クビ!"と断言したようだが、正直どちらでも構わない。その後のかくも長き不遇に比較すれば。


本家は新たにジミー・クレスポを加入させて活動続行、ジョーは自らのプロジェクトで心機一転を図るが見事に共倒れ。両者とも再起不能をささやかれ始めた頃。


救いの手は彼らの直系の弟子、そしてあまりに意外な場所から差し伸べられた。いわゆる"Bad Boys"を自称するバンド群、Motley Crueや、Guns & Rosesらが彼らに影響を受けたことをあらゆる機会に公言し、久方ぶりに追い風が吹き始めた。

 1985年にアルバム「Done with Mirrors」でオリジナル・メンバーによる復帰を遂げていたものの、思うような成果は上がらず(オレ個人はとても好きな作品なんだが)、また空中分解するのかと思われていた矢先、あのRun-D.M.C.とのコラボ「Walk This Way」が1986年に実現!


Billboard シングル・チャートで4位を記録し、バンドへのリスペクトを存分に感じさせるPVの露出も相まって、ようやく長いトンネルを抜け出すことになったのだった。


単なるハード・ロック・バンドではなく、結成当時からブルース、R&Bに大きな影響を受けていたからこそ出来たこの異色の共演。まさに奇跡の大逆転だったワケだ。


それから7年後、1993年発表のアルバム「Get A Grip」で、バンド結成から23年、ようやくバンドはアルバム1位を記録。それからさらに5年の歳月を経て1998年に冒頭の「I Don't Want to Miss a Thing 」がバンドにとって現在まで唯一のシングル1位の作品となっている。


リリースこそ、散発的なものになってきてはいるが、スティーヴン、ジョーを中心とする、彼らの微妙な距離感、そして緊張感は今も(良い意味で)健在。


"Nine Lives" とは、彼らの1997年のアルバム・タイトルだが、元は"ネコは9つの魂を持つ"ということわざ。まだ3つ目の魂くらいしか使ってない彼ら。この先、どんな運命が待ち受けているのやら。ではまた次回に!

※本コラムは、2018年2月23日の記事を転載しております。



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