毒母に捨てられた時の話
大きいぼたん雪が降りしきる寒い夜だった。
その時私は中学3年生で
祖父母や曾祖母と居間にいた。
母が入ってきて
買い物に行くから付き合えと言った。
その頃の母は1年前から蒸発した父のことで
ため息ばかりつき
その鬱憤を言動で私に向けており
口を開けば父に似て目障りだとか
死ねとか出ていけとか
あんたのせいで不幸だとか
産まれてこなければ良かっただの
産んだ覚えはないだの
父親にも捨てられて私は親権も放棄しているから
あんたの保険証もないのだと
毎日毎日、大変な虐待を受けていた。
母は無言のまま大雪の中を運転した。
止めたのは近くのゆかりもない高校の校門前だった。
すれ違う車もほぼない。
街灯に、とめどなく降るぼたん雪だけが白く見えていた。
『お父さんが来るから。
今からお父さんと暮らしなさい。』
中学生の、思春期の私の頭は混乱した。
不倫の末仕事を辞めることになり、
父のところに離婚届を持っていかされて、
その後に蒸発した父。
私たちを捨てたのだという父。
会いたくてたまらなかった父が出てきた。
そして私は何一つ荷物もない状態でおり、
今度は母に捨てられる。
何を聞いても、何を言っても聞く耳を持たず
ただ、あんたがいなくなってせいせいすると
早く降りろ、待っておけと怒る母。
地面にも雪が積もり、屋根もない高校の門の前で
傘もコートもなく
私はただ降ろされた。
しばらくして一台の車が近づいて
降りてきたのは父だった。
ご対面番組のように
父と私は泣きながら抱き合った。
車の中で、
おじいちゃん、おばあちゃん、ひいばあちゃんに
何も言わず出ることは出来ない、
何としても家に寄って欲しいと懇願した。
祖父母、曾祖母は母方なのもあって
父は最初は顔向け出来ないと言ったが
私の意を汲んで家に一緒に行った。
母は自室にこもり
祖父は父に良く来たと、娘は説得するから
心配せずに私をここに置いていけと行った。
父は嫌だっただろうが、
また夫婦でここで暮らせるように母を説得する
と言われて、よろしくお願いしますと言い
父の兄の家に帰っていった。
祖父は母を説得できなかった。
もともと会話のない親子だった。
母は父のこと以上に、祖父を嫌っていた。
14か15歳の自分のことながら
あの時の決断は間違っていなかったと思う。
あの極限で、
曾祖母と祖父母への義理を忘れなかった自分を
誇りに思う。
母の虐待にまた飛び込む形にはなったが
もし母の言いなりなら、
あの3人を裏切ったという気持ちは
どうやっても解消できるものではなかったと思う。
そしてあの時勇気を出した父。
自分より娘の気持ちを優先してくれた父。
今までそんなことを思えなかったが
今はそのことだけは感謝したい。
私はいつか我が子と困難に陥った時、
母親として我が子の立場に立ち
自分がどんなに苦手て無理だと思っても
我が子のためなら成し遂げる勇気を
いつでも持ち得ていたい。
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