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3人目を考える(前編:社会の壁)

こんにちは、しえるです。
小学生の長女の給食が始まり、長かったお弁当の日々から解放。世の保護者の皆さま、夏休みお疲れさまでした!笑

さて、長女9歳・次女4歳となり、身の回りのことがある程度自分でできるようになってくると、「もう一人、、、あるかな、、、」とふと思うことがある。長女は、次女のお世話の経験を生かして次はもっとうまくやりたい(というより、手なずけたい、が本音。笑)と3人目を熱望している。次女はまわりのお友だちに続々妹や弟が生まれ、意識している部分はあるようである。次女が生まれてからほぼコロナ禍で、長女の頃より子育てに携わる時間が多くなった夫は、子どもの可愛さと面白さを肌で感じ、もう一人いたら楽しいな~とたまに言う。私は内心、気楽で良いよな…チッ!と思っている。

チッ…!と思っている私も30代後半アラフォーとなり、3人目を真剣に考えるなら、あまり先延ばしにはできないと感じていた。でも決められない。そもそも決めたところで希望どおりにいかないことも往々にしてある。
何も考えなくて良いなら迷わないけど、考えることが多すぎる。

以前書いたnoteの記事でも少し触れたが、身体的変化やキャリアや経済的負担など、現実問題が押し寄せる。

今日は自分が感じる壁とモヤモヤを書いてみようと思う。全部、「いやなら選ばなければよい」「自分で選んだならやるしかない」と言われたらそれまでのことだってわかっているけれど、それでも悩んだりモヤモヤしてしまうのだから。

仕事を中断せざるを得ない

仕事が好きな私は、これは結構大きな問題。
人との関わりも、時間の使い方も、社会と繋がる感覚も、一変する。責任や目標を持って進めてきたことから、ある時点でスパッと手を引かなくてはいけない。後を引き継いでくれる人たちに、感謝して。戻る場所はあるだろうか、という不安を抱えて。

自分がいないことで普通に成立しているその環境に戻った時、また自分の居場所を探し、新しい人と人間関係を築き、小さな子どもをがいることで起こる様々なこと(急な呼び出しや、夜や休日なかなか仕事できない…など)を割り切りながら働いて、どこかに申し訳なさを抱えながら過ごす日々。

とても良い環境と人間関係の中で働かせてもらっていて、おそらく周りの人たちは私が思うほどには何も感じていないと思うけれど、私は自分の性格もあって、きっとずっと後ろめたさを感じている。そしてそれを払拭しようと、逆に働きすぎてしまう。
もちろん出産や子育てが仕事に役に立ったこともあるし、後に続く人たちが気持ちよく休職・復職できるように、いろんな不安を抱えなくて済むようにイキイキしていたいとも思っている。

2度の休職と復職を経て、ある程度見通しもつくし、いま楽しく働けていることを思うと不安に思う必要はないのかもしれないけれど、それでもやっぱり色々考える。

経済的な問題

これは普通に現実問題。
子どもが1人と、子どもが3人とでは、一人当たりにかけられる金額は単純に考えれば1/3になる。我慢させてしまうかもしれない。この家にはいつまで住めるだろうか。車も今のままだと無理かな。えっと、この先いくらかかるんだっけ…。
愛情は自分が300%にパワーアップすればよいと思ってるけど(実際にはそんなわけにはいかないけど)、お金はそういうわけにはいかない。
じゃあ頑張って働いて、少しでも収入を…!と思うと、収入があがれば保育料があがり、収入があがれば児童手当をカットされ、収入があがれば税金もあがる。結局あまり変わらない。子どもが増えると、出ていく分が増大していく。
もちろんお金の問題で単純に考えられる話ではないけれど、少なくともこれは多くの人にとって大きな壁で、少子化少子化言われているけれど仕方のないことだと思う。

さらに、もし仮に私がもう一人出産したとした場合、我が子3人は少なくとも5歳差ずつになる。

保育料は、同時に3人が通っていた場合、二人目は半額になり、三人目は無料になる。さらに幼保無償が始まってからは一人目が3歳児クラス以上の場合が多く、実質一人目は無料になるであろう。
そうすると、3人同時に通う一年は、3人通っているけど0.5人分の保育料で賄える。

それが、我が家の場合はどうだろう。一人目と二人目が重なっていたのはたった一年。二人目と三人目が重なるのは1年あるかどうか。ほとんどフルフルで3人分払うことになる。なんなら一人目の時は幼保無償ではなかったから6年間大金を払っていた。

年が離れている場合と、年が近い場合の3人兄弟の保育料を試算してみたら、驚きの結果となった。年が離れているだけで、こんなにも負担が変わるものなのか・・・。
年が離れている場合は一気に払うわけではないから軽減策が無いわけだけれど、保育園を卒園した後お金がかからなくなるわけではない。フルタイムで働く私は、小学生の長女を夜まで預かってくれる民間学童に入れるしかなく、一人分のフルの保育料(しかも昇給すればするほど保育料があがっていく…)とめちゃくちゃ高い民間学童の費用を払い続けた。
同じころ、3人同時に保育園に通わせていた別の家庭は、おそらく我が家二人分の「保育料と学童費用」より少なかった(というか、うちが次女だけ通って一人分の保育料払っていて、3人通っているその家庭が0.5人分の保育料)と思うと、いつも腑に落ちない気持ちだった。
(なんかこんなこと考えている自分最悪だな…って思うけど。笑)

そんなに嫌なら、間をあけずに産めばよかったじゃないか!と言われるかもしれないけれど、こんな細かな現実を子どもを持つ前に知っている人…そんなにいないのではなかろうか。まして、知っていたとして、そんなに計算通り妊娠・出産できるかなんてわからない。
色んな事情で間があく人だっているだろう。

身体的なこと

妊娠・出産・授乳と少なくとも約2年、自分の身体は自分の自由にはならない。それをも楽しめる人もいるかもしれないけれど、私はこれがあまり楽しめない。変化した身体を誇りに思うという人もいるけれど、私はまだその境地に達せない。

どんどんお腹が大きくなること。それに伴っていろんなところに不調が出ること。耳の調子も悪くなるし、息苦しいし、坐骨神経痛になるし、どんどん動くのもつらくなる。肉割れが起きたり毛深くなったり。産後は毎回びっくりするほど髪が抜けて、元々広いおでこがさらに広くなる。
24時間臨戦態勢で授乳をし、私の胸はもはや私のものではなくなって、なんだか別もののような気持ちになること。乳腺炎体質で食べたいものも食べられず、気を付けていてもしょっちゅう高熱を出し、授乳を考えると飲みたいものも着たいものも行きたい場所も限られる。

そして身近に死産を経験した友人がいたので他人事ではなく、無事生まれるまで常に緊張感が漂っている。
それを考えると、やっぱり一歩を踏み出せない・・・

障害のこと

母体の年齢があがればあがるほどリスクはあがる。でもそれはただの確率でしかなくて、20代だろうが40代だろうが、自分の身に起きたとしたらそれは等しく100%であると思っている。

障害を抱えた子を持つことに偏見はあまりない。自分自身の親戚に当事者がいて、私はそのおじさんと遊ぶのが大好きだった。おじさんだけど、子どもみたいで、楽しかった。
みんなでいろんなところに旅行にいったし、外食もしたし、その度に色んなことがあったけど、それも当たり前のこととして受け入れていた。そのおじさんの通う施設の行事にもよく顔を出し、そこには本当に色んな人たちがいて、みんな私が行くと喜んでくれた。そんな環境だったから、もしものことを考えても自分のことだけを考えればあまり怖くない。

だけど。
いまいる二人の娘たちはどうだろうか。もしもの時、大変になるのは娘たちだ。そのおじさんを身近に見てきた私は、その親兄弟の苦労や苦悩も間近で見てきた。私が知るだけでも、綺麗ごとだけでは済まない色んなことがあったし、いまもある。
それを考えると、怖い。

信じられない事実

そんなこんなで考えることが多すぎて、やっぱり現実的ではないな…というのが自分の結論ではあった。だけど「絶対無し!」とも決められない。宙ぶらりん。

そんなとき。
生理がこない。
いよいよ生理がこない。

可能性のあるタイミングに心当たりもなくて、まさか妊娠しているわけはないし、体調不良だろうか。でも念のため病院に行く前に検査薬を試すことにした。

・・・線が2本。

え、なんで・・・?
その瞬間の私は、驚きと戸惑いと混乱しかなかった。
(後編につづく)


今週のポッドキャストは「年下の奥手な男たち2」!
ピーコ、年下の男性に家に招かれたが・・・??
是非お聴きください♪






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