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3人目を考える(後編:葛藤)

こんにちは、しえるです。
3人目の子を持つということをぼんやり考えながら、いろんな壁を思うと踏みきれない私。そんな時、まさかの妊娠発覚!?その続きを今日は書いていきます。

妊娠した

ありえないけど念のため試しただけの妊娠検査薬に、2本線が浮かんだ時、私の頭は真っ白だった。ちょうどいろんな壁を考えて考えて、結論「だから3人目はないだろうな」ほとんど気持ちはそっちに傾いていた。仕事では新しいプロジェクトが走り始めたところだったし、新しい役割も増えたタイミング。下の子がまもなく4歳、ようやくいままでよりもペースを上げられそうだ!頑張ろう!そんな矢先だった。

子どもが3人・・・?
いまの家はすでに定員オーバー気味なのに、近所でこれ以上の広さの手頃な物件はない。そうなると、引っ越し=転校や転園がセットになる。
長女が〇〇をやってみたい!って言っていたけど、3人分の教育費を考えるとそれは無理であろう。今のままならできることが、できなくなってしまうのだろうか…。

「仕事」「経済」「自分の身体」「障害の可能性」などなど、前回綴った壁がよりリアルに立ちはだかって、私は完全に、前向きな未来を描けなくなっていた。
(ちなみに、ありえないと思っていて妊娠したのは、少し前に体調不良だったことに起因し、どうやら排卵日が2週間もずれていたようだ。人生でこんなにずれたことは初めて。何事にも、絶対はない。)

いままでは、子どもが欲しい、もう一人欲しい、そう意志を持って授かってきたけれど、自分の気持ちが定まる前にその事実がやってきて、完全に私は暗闇に迷い込んでしまった…。

浮かぶ「中絶」の二文字

この二文字を自分が思い浮かべる日が来るなんて、考えたこともなかった。そして、そんな自分に嫌悪感を頂き、悩みに悩んでご飯が食べられなくなり、2日で2キロ痩せた。

その選択肢を考えるなら、時間的猶予はないだろうと、気持ちはずーっと揺れていたけれど並行して病院を調べ始めた。二人の子どもたちを産んだ病院に、その目的で受診できるほど強くなくて、知っている人に会わなさそうな、それでいて安心できそうな、そんなところをずっと検索していた。
自分はいま何週目くらいだろうか?頭の中で計算しながら、決断のタイムリミットを考える。

いままでこんなこと考えたこともなかったから、知らなかったことがたくさんあったし、知っていてもリアルに考えられていなかったことをリアルに考えて、当事者として色んな気持ちになった。

当初私は、もしもこの選択肢を選ぶのであれば、誰にも何も言わずに…と思っていた。夫に相談したら、きっと私の選択を尊重してくれるのであろうとは思うけれど、罪悪感を一生背負わせるだろうな、とか、あの時別の選択をしていたらと心のどこかに後悔や私への複雑な想いをずっと抱えていくんだろうな…と思えてしかたなかった。それならば、私だけが一人で抱えて墓場まで持っていけば、きっと何事もなかったように、いままでと何も変わらずに暮らしていけるのではないか。

中絶における配偶者同意の必要性を疑問視する声が様々なところであがっていることは知っていた。配偶者のサイン…。私が適当に書けばなんとかなるかな。いや、これ偽証罪とかになるのかな。

費用はこれくらいかかるのか。金銭的負担、身体的負担、精神的負担。負担、負担、負担…。たまたま女性に生まれただけなのに、子どもが宿るのは女性と決まっている。なんかもう、色んなことを考えれば考えるほど、頭がおかしくなりそうだった。

全身麻酔か…。日帰りできると書いてあるけれど、万が一何かあった時、夫と二人の子を遺していくわけにはいかない。
私の身体のことであるけれど、結局どうしたって私だけでは決められなかった。1週間悩んで、げっそりして、結局夫に打ち明けて、不安を全部ぶつけて、心強い言葉をもらいながらも、最後の決断はやはり私に委ねられた。

不安要素と解決策をリスト化

頭の中がぐっちゃぐちゃ、でもどんどんタイムリミットは迫っていく…
懸念事項はなんなのか、それはどうにもできないのか、ということを一旦整理しようと思い立った。

①経済的なこと
教育や住居をはじめ、大半は根本が「お金」である問題が多かった。
空から降ってくるわけでも、泉から湧いてくるわけでもないけれど、工夫で乗り越えられる部分もあるだろう。
制約も出てくるだろうけど、3人の子育て・3人きょうだい・3人分の人生は、それ以上にもたらしてくれるものも多いはずである。今の状態がすべてではない。人生は何が起こるかわからない。そう思った時、一旦この問題からは距離を置こうと思えた。

②自分の身体のこと
妊娠すること、出産すること、授乳すること。
この約2年の身体的な負担と、身体的変化(老化?)が、私は結構きつい。身体的変化の方は基本的に元に戻らない。でも別に誰に見せるわけでもないし、何もしなくても年は取るわけだし、いずれは灰になる体だと思うと、そんなに固執しなくても良いか‥という気持ちになってきた。
そして私にとっての身体的負担を冷静に振り返ると、半分以上は母乳に伴うものだった。よく出るからミルクは必要なかったけれど、こうなったら「よく出るけどミルクにする」という選択をとれば結構解決できるかもしれない、そんな風に思った。

子どもたちの成長をそばで見られること、子どもたちの愛くるしさ・面白さ、子どもがいるから出会えた人やできた経験を思うと、鬼門の約2年のQOLをあげる工夫ができれば、そのあとはきっと楽しい。

③仕事のこと
これは自分の気持ちの問題が大きいから、割り切ろう。笑
きっと、どうとでもなる。

④手と目が足りない。
二人の子とは、右手と左手、両手を駆使して繋がれる。
右目と左目でなんとか見ていられる。ような気がしている。
3人になったらどうだろう。何かあった時、私は守れるだろうか。追いかけられるだろうか。気づけるだろうか。
気を付けていても、何か起こる。
信頼していても、何かに巻き込まれる。

ここ最近だけでも、小さな子が犠牲になる痛ましい事故や事件がいくつもあって、その度に胸が痛み、今日我が家に起きてもおかしくないと思い、毎日心配と不安が絶えない。だけど、その不安のために命を手放す選択をしてよいのか、改めて自分自身でよく考えた。

⑤障害があった場合のこと
先週の記事に書いたとおりで、身近に経験があるからこそ考えることがたくさんあって、でもそれは今わかることではない。
あらゆる可能性と、今いる二人の娘たちの将来も考えて、私はとても悩んでいたけれど、このことに関しては夫の言葉が私の背中を押した。

ひとつずつ、冷静に向き合って考えて、頭の整理をしていく中で、私の気持ちは少しずつ傾きつつあった。

決断

そして私は、二人の娘たちを出産した病院を受診した。
問診票の
「妊娠が確定した場合…出産する/出産は考えていない/迷い中」のような項目は、でもまだ「迷い中」に〇をつけた。いまだ自信が持てなくて、受診して正常妊娠と確認されて、エコーで何かが見えたら、自分の気持ちが固まるだろう、そう思っていた。
なのに、なんとエコーに何も映らなかった!!どうやら、だいぶ週数が早かったらしい。妊娠検査薬をして頭が真っ白になってから、もう2週間近く経っているのに。普通では気づくなんてありえないタイミングで、私は妊娠に気づいたようだった。

「迷い中」に〇をつけた私は、助産師さんに別室に呼ばれ、事情を聞かれた。事細かに話す必要はないと思って、極力さっぱりとかいつまんで話したのに、それでも涙が出た。もうたぶん、気持ちがいっぱいいっぱいだったのだろうよ、、、。

受診するという一つ目のハードルを越えた私は、少しずつ冷静さを取り戻し、子どもが3人いる未来というものを前向きに想像することが多くなった。洗い出した不安と、それを乗り越えられるかもしれないという気持ちは、自然と「中絶」という言葉を遠ざけ、気づけば「産むんだ」という決意になっていた。妊娠したいという意思を持つ前に授かって、頭が真っ白になったスタートだったけれど、一人目よりも二人目よりもずっと真剣に考えて向き合って出した答えだと思う。
考えたくない選択肢を考えてしまった自分をすべて肯定できないけれど、あの悩んだ時間も必要な時間だったんだと思いたい。

無事に生まれるまで気が気でない日々が始まった。現在妊娠中期に入ったけれど、今回もここまで色々なことが起きた。そのことはまたの機会に。

そして、毎日「うちにも赤ちゃん来ないかなー」と言っている愛しき娘たちへ、この週末はじめて告げようと思う。喜んでくれるといいな。

しえる


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