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子どもってヤツは②オバサン的最近のできごとです

きっとその日二男(小学3年生頃?)は、学校で「大きな数」について学んだのだろう。

帰って来るなり、

「かあさ~ん、かあさんって、体重何トン?」

と、のたまった。

えーと。何トンで表現するのであれば、…えーい!こちとら数学どころか、算数から既に落ちこぼれだわい!

それ以来、テレビで空母とか、クジラとか、大きなものを目にするたび、

「いいか二男、ああいうのを何トン、というのだぞ」

と必ず言う。

「いつまで言い続ける気だよ…」

と苦笑いするので、

「頭がしっかりしている間は一生言い続けます」

と返した。

どう考えても二男は天然だ。長男は計算した笑いを取ろうとするも、自分で先に笑ってしまって残念なところがある。まあ、センスは悪くないのだけど。

例えば、長男が中学生の頃、リビングでゴスペラーズの「誓い」という曲がかかっていた時。

ものすごく至近距離で見つめて来るので「何⁉」と聞くと

「近い」

あぁぁダジャレですか…。

何やらすごーく小さく絵を描いて見せて来るので、その頃は老眼ではなかったけどあまりの小ささに

「んん⁉何これ?」

と聞くと、

「見にくいあひるの子」

あぁぁ…「醜い」じゃなくて「見にくい」ですか…。

noteには、子どもたちが小さかった頃から、比較的最近までの話を、時系列は関係なく思いつくまま綴っている。

こうして子どもたちの子育てを振り返ってみると、なんと遠くまで来たことか、としみじみ思う。

ただどうしても私にとっては、
「生まれてもの心ついてから」
と、
「結婚して子育てを始めてから」
が人生の第一部、第二部、のような感覚があり、子どもが生まれてからの出来事は比較的今に近い感覚なのだ。

何年か前、二男が社会人になってからだと記憶しているが、ふたりで話していて、私の『最近』という言葉に

「母さんそれいつの話?」
と聞かれたので
「えーと、お兄ちゃん(長男)が幼稚園の時だったから…。かれこれ20年以上前かな?」
と言うと、

「それは最近じゃねぇ!大昔だ!俺たちにとって最近とは2~3週間ぐらい前までだ」

と呆れられた。

確かにそうだ。

もう退職して久しいが、書店員の時は、お客様の問い合わせで

「最近出た新刊で。そう2か月ぐらい前かな」

などと言われようものなら

「2か月も前は新刊とは言わんわ!一日に何点の新刊が出てると思っとるんじゃ!」

と内心毒づいていたが(もう時効と思われるのでお許しください)まさにそんな感じだ。

そう聞いて来るのは私よりも上の世代の方々と見受けられるので、『最近』の定義は若者とその親以上の年齢層では確実にギャップがあるような気がしてしまう。

以来、私が「最近ね…」と話を始めると、二男は

「それはオバサン的最近?」

と言うようになった。今でも我が家では普通に「オバサン的最近」という表現が使われている。失礼しちゃう。

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