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An Elephant in the room .

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小話まとめ。
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#エッセイ

紫煙、ゆらゆら。

紫煙、ゆらゆら。

 ネクタイを外した首元が含む夜風はゆったりと汗を奪っていった。四肢の末端を塞ぐ服を脱ぎ、部屋着に着替えて公園のブランコに座った。くしゃくしゃになったタバコをポケットから取り出し安物のライターで火をつけた。ここから始まる数十分、この時間は本当の自分になれる気がする。

 安定を求めて選んだ職業。給料も生活も申し分ない。品行方正を心掛けてさえいれば落ちていくことはない。地に足のついた人生。

 そんな

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さむらいぼーい。

さむらいぼーい。

 あれはもう10年も前の夏のことだった。その年は昨年始めた中古品の売買サイトが波に乗った年だった。そしてその夏、野望を胸に100キロも先の街にオフィスを構えることが決まった俺は馴染みのパブに飲みに来ていた。

 「まさか仕事でこの町から出ていくやつがいるなんてなぁ。」

未成年の時からこっそり酒を飲ませてくれている髭の店主が言った。俺の童貞はこの人がいなかったら未だ健在だったかもしれない。お気に入

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月の鱗。

月の鱗。

 寝付けなかった。

 その日は爽やかな陽気で、風が春を運んでくる。そんな日だった。空いた窓から風が届けてくれる世界に身を投じて午後を過ごした。

 「少しお腹がすいたな。」
外は照り付ける陽から、包み込む陽へと変わっていた。
 「冷凍餃子でいいか。中華は常に美味しい。」

 お腹を満たすとすぐ風呂に入った。ぼんやりと時間が過ぎていく。気が付けばテレビの中の豪華客船が沈没していた。

 部屋の明か

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ふんわり鏡月。

ふんわり鏡月。

 「間接キス、してみ?」生まれて初めてドキッとしたCMだった。当時まだ中学生、思春期真っただ中だったからかもしれない。文字通りふんわりしたその雰囲気をここで思い出すなんて当時僕だった俺は考えもしなかっただろう。

 何も考えずに参加したサークル合宿での飲み会は開始30分にしてピークを迎えていた。40人規模の飲み会なんて山奥の宿泊施設でもなければ実現しないだろう。そりゃ騒ぎたくもなる。

 がやがや

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ウゾウとムゾウ。

 あるところに全ての形あるものを司るウゾウがいました。ウゾウはいうなれば神様に近いもので、塵から果てしない海、道端のクソから半導体までをも司っていました。

 あるところに形のない存在、ムゾウがいました。ムゾウはいうなれば現象、理、最も全てに近いものでした。誰にも何にも知覚されることはありませんが、世界にとって、裏から支えるタイプの飲食店店長、一言だけ深い助言をする名も知らないおじいちゃん清掃員、

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流し台。

流し台。

 17:00 少し手に余る大きさの液晶画面の左上に無機質に表示されているのは現在時刻だった。腰掛けたベッドから立ち上がる。動画投稿サイトでお気に入りの投稿主がカバーしているお気に入りの曲を探していた。カバーしている人が少ないからすぐに見つかった。同じ曲のカバー動画の中でも再生数が頭一つ抜けていた。最近不調のWi-Fiが生み出すもどかしい読み込み時間の間に台所へと移動した。 

 6畳1K築16年の

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虚無。

虚無。

「僕は東京の大学生!今日は渋谷で、、、」

 朝起きてまずすることは大国に締め出されそうになっているSNSで手のひらに世界を手繰り寄せることだ。もう登り切った日の光を浴びながら香りのいいコーヒーを淹れて、実家にあった骨董品のレコードなんかをかけてみる。

 かくいう僕も東京の大学生。3回生で絶賛就活中である。と言いたいところだがいまいち進んでいない。というのも、自分が何になりたいのか、自分とは何で

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秋、日常。

秋、日常。

 空気から湿気が去り、夜空はひどく大きな月を運んできた。その空気は歪んだような解像度の低さから、微睡のような解像度へと変わっていった。歪んだ解像度は湿度からくるものだったが、微睡のような解像度は甘い香りからくるものであった。深い緑の葉を深い橙色が飾り付けている。

 窓から指す弱い日差しがゆっくりと意識を引き戻した。体温に近い温度の水がこれほど気持ちのいい朝は未だかつてあっただろうか。昨晩感じたよ

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個体。

個体。

 キリマンジャロは独立峰として世界で一番高い雪山だ。その西側の頂はマサイ語で神の家と呼ばれている。この西側の頂上付近に干からびて凍り付いた一頭の豹の死体が横たわっている。そんなところまで豹が何を求めてやってきたのか誰も説明したものはいない。

 豹とは気高い生き物である。群れはなさない。時には自分より大きな獲物をも狩り、寒帯から熱帯林までとその分布は広い。まさに孤高の王者だ。

 「今日からは山月

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