「子育てには2種類ある」と捉えると、自分のやるべきことが見えてくる
子どもに関わることはすべて「子育て」という言葉に集約されがちだが、そこに含まれる内容も方向性も様々だ。
あえて「子育て」という言葉を切り分けて考えてみると、
自分は「子育て」の中の、何を知っているのか
何をまだよく知らないのか
これからどんな知識を取り入れていけばいいのか
が見えてくる。
2種類の子育てとは
1 身体的な「子育て」
ひとつめは身体的な子育てだ。
これは文字通り、子ども(ひいては人間)が生命を維持するために、どんなことが必要なのかに関わる知識のことをさす。
例えば、赤ちゃんの成長の目安。
何ヶ月ごろに首がすわるのか。
どうやってお風呂に入れるのか。
何ヶ月ごろに寝がえりを始めるのか。
おむつの替え方はどうやるのか。
どれくらいの時に離乳食に切り替えるのか……。
身体的な成長はどの人間にも起きるものなので、大多数の赤ちゃんに共通する知識として知っておくことができる。
赤ちゃんにはちみつをあげてはいけない、などはすべての赤ちゃんに言える。
つまり身体的な子育てはある程度知識と方法が固定されており、一度覚えればずっと使える知識であることも多い。
※ここでは「母乳か、粉ミルクか」「離乳食は手作りか否か」等の論争は考慮していない。
ちなみにフランスでは粉ミルクの方が主流だそうだが、フランス人は問題なく健康であるという。
2 精神的な「子育て」
ふたつめは精神的な「子育て」だ。
世に存在する多くの子育て本は、こちらを取り上げて「子育て論」を展開していることが多いように見受けられる。
人間の精神は千差万別だ。
だからこそ矛盾するような論調の子育て本がたくさん存在し、指針を求める親を混乱に陥れている。
子どものほめかた、叱りかた。
生活上のマナーや生活習慣を身につけさせる時の教え方。
一緒に遊んだほうがいいのか、ただ見守っていた方がいいのか?
ゲームとネットは何時間まで? 等々。
今、知るべきことはなにか
知識は人を助けてくれる。
山で遭難した時に、遭難時対応の知識を持ち合わせていなければ、遭難者は救助がくるまで生き延びることは難しいだろう。
では子育てにおいて、どんな知識を得ておけばいいのか?
上ではまず、「子育て」という言葉を2つに分けてとらえてみた。
「子育てが分からない」と感じていた人にとっては、自分は何が分からないのかがより明確になったのではないだろうか。
子どもの世話の仕方が分からないなら「身体的な子育て」についての知識を集めればいい。
子どもへの情緒的な接し方が分からないなら「精神的な子育て」の知識を増やせばいい。
今は情報が無数に溢れているので、書籍・ネット・動画……入口には事欠かない。自分が楽にできるやり方でたくさんの知識を集めてみよう。
その中から自分と子どもに合ったやり方を取り入れ、暮らしやすさを増やしていけばいい。
同時にインターネットには、無数のトンデモ情報も溢れている。
子どもの健康や安全に関わる知識を見つけたい場合は、ネットより小児科に駆けこむことが必要かもしれない。
親子の健康と安全が第一だ、すべての情報を鵜呑みにはしないようにしよう。
本当の指針が見つかるところ
唯一絶対、これを参考に子育てすれば間違いのない「指針」のような情報を、ついつい求めたくなってしまう。
いわば子育ての聖書。教科書になるような本や言葉だ。
しかし残念ながら、本や専門家の言葉の中には「絶対的な指針」はないことが多い。
では指針はどこにあるのか。
目の前の子どもである。
子どもをよく観察すると、前後の動作や言葉からその時の気持ちを読み取れることがある。
というより子どもは人間であり、個性を持っていて皆それぞれ違うので、目の前の子どもを観察して、まさしく「その子」が何を考えているのか・感じているのかを読み取ることに注力してみよう。
本から顔を上げて、目の前の「その子」を見るということだ。
本の著者は確かに子どもの専門家かもしれないが、あなたの子どもをじかに目にしたわけではない。著者はきっとあなたの子どもを知らない。
あなたの子どもについてよく知っているのは、あなたをはじめとした周りにいる大人である。
子どもの反応と本の内容が違っていたら、迷いなく本の方を閉じてしまった方がいい。
あなたが向き合っているのは固定化された本ではなく、日々成長し変わり続けている子どもの方なのだから。
参考文献
直也
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