「毒親」と「虐待親」の境目はどこにあるのか
僕たちはここまで生きてくる過程で、社会からこんなメッセージを受けとり続けている。
「親には感謝しなければならない」「親子仲が良いことが『親子の在り方』だ」
だから当初、僕は僕の受けてきた言葉や扱いを「虐待」だと言い切ることができなかった。
できることなら親と和解の道を探りたかったし、そのためには「あれは虐待だった」という認識まで行きたくなかったのだ。
そこまで行ってしまったら、あの過去は取り返しのつかない決定的な暴力になってしまい、和解どころではなくなる気がした。