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お金と責任と大人になるということ

親と離れて暮らしはじめてから何年か経つ。僕たちは生活の基盤を整え、いくつかのものを買い足したり捨てたりした。仕事で使うのでプリンターも買った。

それなのに、なぜかプリンターを使うのを遠慮してしまう。

小説の資料を印刷したい。でもインク代食うから画面上ですぐに見られるようにしておけばいいか。

原稿を印刷しないと。……これは僕の人生において必要な印刷だ。無駄遣いするわけじゃない。


遠慮に遠慮を重ねるうち、せっかく手に入れた僕たちのプリンターは年賀状を印刷するためだけのものになり果てていた。他にも用途と可能性があるのに……。

無闇に印刷するのが紙とインクと電気のムダなら、印刷を必要以上にためらうのはプリンターの存在自体のムダだ。買った意味がない。

なぜこんなにも遠慮してしまうのか。

内観するうち、過去のある出来事にいきついた。僕たちはその時に「無駄に印刷してはいけない、やたらプリンターを稼働させると親に怒られるのではないか」という思考体系を手に入れていたのだ。

当時の僕たちにとって、この思考体系は必要だったのだろうと今は分かる。叱責によってこうむる心的ダメージを避けるためには、自分のあらゆるふるまいを自己監視して「怒られるかもしれない」と警戒していなければならなかった。身構えていれば衝撃はやわらぐし、叱責そのものを発生させずに済みさえするかもしれない。


だが現在、この思考体系は不合理である。

なぜなら今家にあるプリンターは、僕たちが稼いだ金で買った、僕たちのプリンターだからだ。親のではない。

気づくと馬鹿らしくなって、同時に「本当に好きなだけ使っても……いいのだろうか」というためらいが湧いた。

翔に立ち会ってもらって勇気づけてもらうことにした。


翔「うるせ~~~! 俺の金だ~~!!!」


僕たちは小説の資料画像を印刷し、今度の旅行で役立ちそうな地図を印刷した。

誰にも何も言われなかったし、地図は旅先で大いに僕たちを助けてくれた。画像は切り抜いて壁に貼り、そこからインスピレーションが生まれた。


悪いことなんて、何も起こらなかった。

当たり前と言えば当たり前だ。それでも僕たちには実際に体験して「好きに振る舞ってもいい」ことを体得する必要があった。


ここ最近でいろんなことをした。

すべてモットーは「うるせ~~~! 俺の金だ~~!!!」。

始めるには思い切りが必要だったが、小さな成功体験は日々増えていく。


今の僕たちは、自分で金を稼いでいる。

自分の金を自分の好きなところに使うことができる。得をしても損をしても僕の責任。

それは、僕が「大人」だから。


ずっと「大人になんてなりたくない」と思っていた。義務と責任ばかりが増えていって息苦しくなりそうな気がしていた。今までだって充分息苦しかったのに、これ以上背負えないよ、と。

僕は最近ようやく「大人になる」ことのもうひとつの側面。「自由」に気づきはじめている。

自由には責任が伴う。何事にも両面がある。だから自由ばかりにはなれないけれど、逆に責任だらけになることも、行き過ぎさえしなければ、ないのだと思う。


これが大人か。案外、悪くないこともある。





文責:直也

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