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僕が生まれた時、親は今年の僕と同い年。

19歳になった頃、はたち、もとい20代になるのが怖かった。

子どもの味方で居続けたかった。大人は子どもの敵だと認識していた。僕が年をとって「子ども」から遠のいてしまうということは、僕自身が僕の敵だったはずの存在に成り果てていくことに思われた。

抗いようもなく1年ごとに人間は歳をとる。そろそろ「20代」の枠に収まることにも慣れてきた。
20代というレッテルは、周りに僕をある程度の尊重を持って扱わせる。存在を認識され、ひとりの人間として話を聞いてくれ、話を理解する能力があるとみなされて返答がある。どれも子どもの頃は得られなかったものだ。
もしも僕が10代のままだったら、不条理なことだがこの尊重される感覚には永遠に出会えなかったことだろう。

僕は歳をとっていくけれど、過去の記憶を持ち続けてそれに言葉を与えるという、当時はできなかったことに時間と力を使い続けることに決めた。
今なら、あの時の理不尽を感情を思考を、的確な言葉で表すことができる。
子どもは思考しているが、時に感情の分化や語彙がそれに追いついていない。
だから時に周囲に意思をうまく伝えられず、浅慮と見做されたりもする。
大人になるということは、語彙力を手に入れられることだ。これはツールだ。あの頃の僕たちを救うための。

そう思いながら、僕はまた過去と現在を混ぜ合わせる。


そうやって片手と少しの年月を過ごしているうちに、気づくと「もうすぐ20代」どころか僕は「もうすぐアラサー」だ。
まさか、自分がアラサーになるなんて。
多分アラフォーが見えてきた時も同じことを言うだろう。
今年の僕のホットな話題は「もうすぐアラサーなんですよね」だが、幸か不幸か交友関係に歳上が多いせいで、「あらまだまだよ」か「喧嘩売ってる?笑」という反応の方が多い。


唐突に、今年は「もうすぐアラサー」に止まらないことに気がついた。

今年僕が差し掛かろうとしている年齢は、僕が生まれた時の親(母親)の年齢なのだ。
両親は年齢が多少違うので、多分初めて印象的な出来事と年齢が重なるから色々考えたり感じたりするのだろう。父親の年齢に追いついた時はここまで印象深くならない気がする。まだなってないのでわからないけれど。


両親が何歳の時に結婚したのか失念した。
どれくらいの期間をふたりで過ごし、何年後に僕が彼らの人生に登場したのだろう。彼らは積極的に過去を語って聞かせてくれるタイプではないから、僕が尋ねなければ一生思い出せないままだろうな。

僕は僕と同い年の母を夢想する。

当時の9月に僕が母の人生に登場する。長い育児が始まる。
なぜ母は子どもが苦手と言いながら僕を迎えることにしたのだろう。
なぜ自らも親から受けた不愉快な扱いを記憶していながら、類似の気持ちを子どもに抱かせる接し方をしたのだろう。
どこを持って自らの子育てを「何も間違ったことはしていない」と胸を張って宣言できるのだろうーートラウマと和解を試みた娘に向かって。

もしも今僕の人生に、突然子どもという存在が現れたとして。僕も同じようになる可能性はどれくらいあるのだろうか。
ふとした時に出る親を思わせる振る舞いに辟易する僕は、どれだけ親から遠ざかった接し方が子どもにできるだろう。
……などと、今回の人生では子どもとは暮らさない方向でいこう、と決めた僕も考えてみる。一種の思考実験だ。


そうしてちょっとも経たないうちに、この実験の破綻に気づく。

そもそも、子どもは突然親の人生に現れない。

動物は稀に交尾なしで子どもが誕生するというが(ついこのあいだTwitterで話題になっていた、無精卵から生まれた鳩を僕はとても可愛いと思って見守っていた)、ヒトでその事例は聖母マリアしか聞いたことがない。

両親がどういう経緯で「人生の中に子どもを加えよう」と思ったのかは不明だが(僕は両親とこういう話をフラットにする雰囲気になかった)、新生児はコウノトリが運んでくるわけではないし、少なくとも子どもが実際に誕生するまで1年には満たない準備期間が確保できることが多い。と認識している。

つまり僕が「子どもとは暮らさない」と自分の人生を方向づけている時点で、僕はたとえ思考実験的な空想だとしても親と同じ地点から物事を見ることは不可能なのだ。


次に。持っている問題意識の質が違う。
ここでも僕は親と同じ地点に立てない。

実験とは検証したいこと以外の条件を同一にしなければ正確な結果が得られないから、この空想を実験とみなすのなら絶対的に破綻している。

結局僕は「人間なんて『小1から見る小6はめちゃくちゃ大人に見えるのにいざ自分が小6になったらまだ全然子どもだが!?現象』を随時更新しながら生きていく人が多いだろうに、よくより小さき人類を育てよう、自分たちならいけると思えたな……」というつよつよマインドにのみ感心し、この思考実験から意識を離脱させることにしたのだった。

どう好意的に解釈しても、親と僕の共通点は「ホモサピエンス」という種族であることくらいで、つまり親の人生と僕の人生は、引きつけて考えるのが的外れだと思えるほどに別々のものなのだった。


「親が自分を産んだ時の年齢に追いつく」というイベントは、安定愛着の親子、親にある程度の好意を持っていて感謝の念もあるような人なら、「この年齢で自分を産んだ!? すごいな」とか驚嘆するのかもしれない。

虐待サバイバーの僕にとってはそういう現象にはなり得なかった。

むしろ考えるほど過去と現在とあり得た可能性と実際に起きた断絶と固定観念とあれやこれやが頭の中でごっちゃになって、ネガティブに陥りかけた僕はこの問題から離脱するために昼寝をした。

目覚めてみると「親の人生と僕の人生は全然別物だ」という距離感がよりはっきりして安定した。

僕はさわぐちけいすけさんの『妻は他人』というコミックエッセイが大好きだが、夫婦が他人同士なように親子もまた他人同士なのである。
無理矢理並べて比較して、あれこれ考えなくても良いということだろう。


「僕が生まれた時の親と同い年になる」という一生に1度か2度しか訪れない貴重な今年。

僕は幼少期から大して中身が変わっていないなという自己イメージを持っているので、「よく……こんなヒヨコのままみたいな認識なのに子どもと暮らそうと思うな、人間ってすごいな」と思った。

子どもと暮らし始める人間全てが万全の準備を整えるわけではなかろう。むしろ「これから大丈夫かな」と心配が尽きないものかもしれない。
僕は選択しないことにした選択肢だから、僕にはわからない。

もしかするとこの気づきから発生した思考実験的空想は、僕たちはまだどこかで「親を理解したい」という淡い願いを抱いていたから発生したものかもしれない。

同じ年に差し掛かる、という共通点を引っ張り出してみても、やはり理解は難しかった。

他人を理解することには多大なる関心とエネルギーが必要だし、有限なそれらは僕を大切にしてくれ僕が大切にしたいと思う人たちに向けていたい。


あるいはこことは違うパラレルワールドのうちのいくつかでは、僕もまた子どもと暮らしているところかも。虐待の連鎖と世界に染み付いた女性蔑視や出産観を嫌悪しているだけで、僕は子どもが好きなのだ。

それならば「可能性として存在したかもしれない/今もどこかの時空には存在しているかもしれない僕の子どもへ」。

この時空では出会えないことを若干寂しく思う。
でもこの僕では僕が願うほど君を大切にはできないかもしれないから、君を実際に傷つける前に、君から離れておく。

どうか別の場所では、もっと優しいはずの僕に大切にされてくれ。






文責:直也

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