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記事を出した翌朝、思うこと


私は原稿を真夜中に投稿することが多い。その流れで、翌朝起きて真っ先にスキの数をチェックする。


ただ、💗の横の数字は通常一桁なので、そこで意気消沈することはない。
 

むしろ、記事を読み返し、駄文だったり、内容がつまらなかったり、論点がずれていると気が付いた時に、落ち込んでしまう。noter の皆さんは心が広いので、そんな記事も受け止めてくれるのだが、やはり、スキの数は記事の出来にも比例しているように感じる。

 
私が記事を書くのは、平日だと、会社から帰宅し、食事、入浴などのルーティンを済ませた後の就寝前の1-2時間だ。アイディアは起きている間(稀に夢の中でも)に出てきて、書き留めてはいるけれど、構成から文章のお化粧直しはたいてい夜の10時過ぎ。

 
夜は感情が思考力を上回る。思うままに書くとやがてポエムのようになっていく。「ラブレターから絶縁状までメールは夜書いたとしても、送るのは朝まで待て」とよく言われたものだ。
 

アイディアが枯渇してくると、最近起きたことに思いをはせ、自分の感情をぶつけながら文字に落とし込んでいく。その結果、情緒的な文章が並んだだけで、読者にとっては何が言いたい記事なのかわからない(かもしれない)。

 
自分の中では特定の人や事例を思い浮かべながら、書いているのだけれど、やはり、身バレを恐れ、具体的な話には踏み込めないため、読者にしてみれば「はぁ?」という感じになるだろう。

 
匿名記事だとしても、自分のプライバシーをどこまでさらせるか、どこまで開き直れるか、ある意味、「記事を魅力的にすること」と「羞恥心を持つこと」とのせめぎ合いにもなってくる。

 
昨晩書いた記事もその一つ。
真実を知ること vs 知らずにいることの幸せ

 
自分の記者時代のエピソードも織り交ぜ、長々と書いたのだが、要は、自分の知らない世界観を持った人に惹かれ、結果的に知らなかった(出会わなかった)ほうが幸せだったのかもしれない、という心の揺れを綴った記事だ。

 
できれば、今後は「攻めの姿勢」で記事を書いていきたい。それでも、想いが先行し、テーマがブレたときには温かく見守っていただけると嬉しいです。
 
note に投稿した翌朝の反省ルーティンはしばらく続くかもしれない。

https://twitter.com/ATF_TOKYO

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