恋愛における人生の皮肉【その後】
noteに初投稿して、一ヶ月半が経つ。
書き始めたキッカケは失恋だと、過去の記事に何度か記した。
記事では、片思いではあるものの、とても辛い出来事で、出会ったことにも意味を見いだせないでいる、と感傷的に文章を綴っている。
片思いといいながらも、こちらも一方的なストーカーではない。あえてここに書かないだけで、私にも色々と言い分はあるが、グッと抑えながら今の気持ちを記したい。
ここ2か月あまりで、事実を冷静に受け止め、なぜ別世界にいる人に惹かれたのか、なぜどうでもよかった恋愛でここまで傷ついたのか、など分析をしてみた、笑。
熱病のような感じで、後遺症も長引いたものの、今は、ピシャリと頬を叩かれたかのように、真実がはっきりと見えてきた感じだ。そして書くことで自分を取り戻した。
それでも、私が受けたダメージは大きい。
熱を上げてしまったせいで、勉強が先延ばしになったという点(これは完全な自己責任)、そして精神をすり減らしたという点では、かなり時間と労力を無駄にした。
本当に不思議なのだが、私が惹かれたのは、年齢差(かなり年下)もさることながら、生き方も違い、別の世界観を持った人だった。自立心が強く、広い世界に飛び込んでいく自分とは違い、その真逆。かなり保守的で変化を嫌う、同僚でなければ、おそらく交流することのないタイプだ。
ここ6,7年だろうか、誰かに止められていたわけでもないのだが、書くこともせず、職場では、自分自身が本当にやりたいと思っていたこともできず、閉塞感や場違い的な雰囲気を感じていた。そんな時に自分とはまったく違う人生観を持った人(つまり閉塞感側の人)に、ハマってしまったのだ。
自分の身近にはいなかったタイプで、趣味も少しユニークだったので、ある意味、新鮮だったということも一因にあると思う。
そして何より、狭い空間にいたことで、自分のセンサーにもブレが生じたのかもしれない。
なぜこの年で今さら人を好きだという感情を持ったのか。これもわからない。
今はやりの推し活的な発想といえば、そうなのかもしれない。仕事だったり、趣味だったり夢中になれる何かがあれば、こんな気持ちにはならなかっただろう。
Everything happens for a reason. (全てのことに意味はある)というのは本当か?
認めたくはないけれど、結論として、やはり出会ったことに意味はあったと思う。
自分とは異なる人のおかげで、自分を取り戻せた、というのも皮肉ではあるが。。
アップルの創業者スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での有名なスピーチの言葉を借りれば、
“It was awful tasting medicine, but I guess the patient needed it.” (その出来事はひどく苦い薬だったけど、患者である私にはそういうつらい経験が必要だったと思う)というのがまさに今の心境だ。
“その人”を今後も見かけることはあるとは思うけれど、話をすることはもうないだろう。
再び書くことのきっかけを与えてくれたのは間違いない。
感謝すべき存在であり、やはり意味があった人なのだと今は思う。
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