見出し画像

靖国神社は人を選別するための道具なのか? 愛国者学園物語102

「私にとって靖国神社とは精神的に重い存在だ。その理由は3つある。

 1つ目は、あの神社が選別に使われるからだ。靖国に参拝しなければ、まともな日本人ではない。靖国神社を参拝しなければ、第二次世界大戦などで死んだ英霊の供養したことならない。そう言って、日本人至上主義者は人を選別する。私はそのような無礼を受けるつもりはない。あの大戦の犠牲者を追悼する方法、どの宗教施設に行くか行かないかは、自分で決める。その権利と自由を奪うことは誰にも出来ない……。日本国憲法第20条が信教の自由を定めているから、それを根拠にしよう。


 2つ目はあの神社には戦犯が祀られているからだ。日本人至上主義者たちは、日本に戦犯などいない、第二次世界大戦で日本がしたことは自衛戦争だったと言うが、日本人だけで軍民あわせて約300万人が犠牲になり、沖縄では激しい地上戦で20万人、住民の4人に1人が死んだ。その挙句に原爆を2発食らった。
 

 あの戦争は勝ち戦ではなかった。海外の戦地で多くの日本兵が傷病で死んだ。補給がいい加減で、餓死したという日本兵も少なくない。それに神風特攻隊だ。勇ましい名前だけど、当時の人間たちは若者を犠牲にして生き延びた。世界の歴史にもまれな自爆攻撃をして戦況を変えようだなんて、どうかしているよ。そういう戦争をした責任は、当時の政治家や軍高官にあると思う。私はそのような人間たちを追悼したくない。


 3つ目は、私から見ると靖国神社は政治的神社なのだ。あの神社には政治が絡んでいるから、関わりたくない」

スクリーンショット 2021-07-08 21.02.40
スクリーンショット 2021-07-08 21.02.30

 西田はここで一息ついて、表情を少し明るくした。
「こういう理由を偉そうに語ったが、つい最近、私は靖国神社と千鳥ヶ淵に行ったよ。美鈴さんと話すためにね」
「えっ!」
「靖国神社と遊就館(ゆうしゅうかん)は見学だけした。千鳥ヶ淵では黙礼をした。それが、私が出来ることの全てだ」


 「靖国神社はいかがでした?」
「複雑な気持ちだった、正直に言って。こういうことを言うと、美鈴さんに誤解されるかもしれない。私はね、祖国のために戦って死んだ人々を慰霊するという気持ち、そのものは理解出来るんだ。それに世の中には、偉大な明治天皇が作って下さった神社があるから、自分たちは安心して、この命を国家に捧げて戦死する。そういう人々がいても何ら不思議ではない、ということは想像がつく。あるいは、自分の家族が靖国神社に祀られていることを自慢にしている人々もいるだろう。私自身は宗教的な人間ではないので、もし軍人として戦死しても、靖国神社に祀られたくはないが」
美鈴の顔が厳しくなった。

 「参拝をしなくとも足を運ぶ必要はあった。靖国神社が一体どういう神社なのか、可能な限りこの目で見る、自分の感性で感じることは大切だと思うんだ。私は本殿の前に行かず、遠くから眺めていただけだった。私には、戦犯や一部の軍人を除き、あの戦争で犠牲になった『ほとんど全ての人々』を追悼する気持ちはある。だが、何度も言うが、靖国神社のような特定の宗教施設に行かなければ戦没者を追悼したことにならないという考えや、その押し付けには反対する。だから、靖国神社の境内に足を踏み入れても、参拝する気持ちにはなれなかった。
美鈴が西田に視線を向けると、彼は話を止めた。

 「あの、すみません、途中で」
「いいや、質問は思いついたときに。それが一番良い。後で質問をするときには、もう忘れてしまう。話の途中での質問を嫌がる人も多いけどね。私は構わないが」
「戦犯や一部の軍人という表現がありましたが、一部の軍人とは、どういう意味でしょうか」
「世の中には戦犯にならなくても、問題のある行為をした軍人や軍属はいるでしょ。生物兵器を開発していた731部隊とか、犠牲者の数があまりにも多かった最悪の軍事作戦・インパール作戦の指揮官とか、あるいは神風特攻隊や人間魚雷「回天」なんてものを考えて、若者たちを@に追いやった高官たちとかね。そういう人間たちまで、死ねば神に、軍神になるのだろうか。私は疑問に思っている……。21世紀の日本で、そういう人間たちを神として崇拝しなければ、日本人として認めない。いま、そのような考えが流行し、多くの国民や政治家、社会の有力者がそれを支持しているのだ。そしてその結晶が愛国者学園だよ」
西田の目が冷たくなった。

 話を続けよう。私には、遊就館の展示は興味深いものだった。ロケット式特攻機「桜花」や、特攻潜水艦「回天」の存在は以前から知っていたが、その模型を目の前で見るのは初めてだった。それに、特攻隊で戦死した若者たちの家族が、彼らが結婚出来なかったことを悲しんで奉納したという、花嫁の日本人形は衝撃的で、言葉も浮かんでこない。若者たちが死なずにすむ世の中だったら良かった……。

 だが、展示物の解説は、世界各国が悪く、日本はやむなく戦争をしたという書き方だったと思う。それが悪い意味で心に残った。遊就館は英雄のための資料館だね。あの資料館が、戦争の暗黒面や敵軍の犠牲者、それに戦争相手国の非戦闘員の犠牲者や負傷者を語ることはありえない。日本人による、日本人のための、日本人の軍神などを賛美する施設だ」 

画像3

 「続けよう。私が千鳥ヶ淵で黙礼をしたのは、名もない戦没者に弔意を示したかったからだ……。靖国神社を賛美する人々は多いが、そのうち何人が千鳥ヶ淵の戦没者墓苑に足を運んだことがあるんだろうか? 千鳥ヶ淵と靖国神社は1キロメートルも離れていないよ。靖国神社が祀る戦没者を英雄だと思っている人々は、千鳥ヶ淵で眠る無名の戦没者のことをどう感じるのだろうか? 私はそういう疑問を靖国神社の参拝者に対して失礼だとは思わない。
 私が千鳥ヶ淵を訪問したのは、平日の午前中だった。雨が降っていたせいか、私が滞在した15分ほどの間に、訪問者はいなかった。私だけだった。私は無人のスタンドに置かれた白と黄色の菊を1本ずつ、二百円で買って、祭壇にそなえたよ。実に不思議な気持ちだった。親族でもない人々のために、菊の花を買ってそなえ、手を合わせるなんてね。

 靖国神社に祀られている人々は国家に命を捧げて尽くした戦争の英雄だから尊敬し、その英霊を祀るのは当然だ。だが、千鳥ヶ淵戦没者墓苑に祀られているのは無名の戦没者で、墓苑も特定の宗教の施設ではないから、足を運ぶ価値もない、そういう考えを持つ人間たちがいるだろう。現に、墓苑のwebページのアクセスカウンターは、50万に届かない数字だった。靖国神社なら、50万人なんてすぐ来るだろうな。


 愛国者学園の子供たちは修学旅行で東京に来ると、必ず靖国神社を参拝しているが、千鳥ヶ淵に出かけたという話は聞いたことがないね。あの子たちは靖国神社が祀る『特定の人間』、つまり戦争の英雄、英霊にだけ敬意を払うとともに弔意を示すが、『それ以外』はどうでもいいのだろうか? 彼らが成人したら、どんな人間になるのか楽しみだ。疑問も込めてそう言いたい……。その一方でね、信教の自由は彼らにもある。だから、私は、彼ら自身があの神社に参拝することを見ているだけだ」
美鈴の表情に影がさした。

「あなたはそれに反対なんだね」
「ええ。私は政治的には左派です。特に政治家には、あの神社を参拝して欲しくはないです」


続く
これは小説です。


写真は、2021年6月下旬から7月上旬にかけて、靖国神社(上3枚)と千鳥ヶ淵戦没者墓苑(4枚目)へ出かけた際、私がiPhone 8 で撮影したもの。靖国神社の遊就館の展示物は大半が撮影禁止なので、注意されたし。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑のwebページのアクセスカウンターは、2021年7月10日の夕方で、375150を示していた。

この記事が参加している募集

大川光夫です。スキを押してくださった方々、フォロワーになってくれたみなさん、感謝します。もちろん、読んでくださる皆さんにも。