見出し画像

ラス・カサス そして日本        愛国者学園物語93

 「さあ、お飲みなさい」
美鈴は、中ジョッキ入りの酎ハイを一気に飲み干して、のどの渇きを潤した。
(しゃべりすぎたかしら)
「ガルシアの件は私もある程度知っていました。でも、詳細に聞いたのは初めてだ」
と褒められて、美鈴はうれしくなったが、付け加えた。
「この件について調べるときは、注意しなさい。バルベルデ人にとって微妙な、機微に触れる問題だから、と、知り合いのバルベルデ人に言われたことがあります。マイケルからも、いえ、ゴンザレス将軍からも同様のことを言われました」
「なるほど」

 「こんなに熱心にガルシアの事件や、ラモス大司教について語ってくれた。それは、美鈴さんにとって、彼らの存在が衝撃的だったから、ですよね?」
「はい」
「あなたは現代のラス・カサスなのかもね」
思わぬ言葉に美鈴は急に赤くなり、
「とんでもないです」
と鼻息荒く言った。
「お世辞じゃありません」

 

 「西田さんは、スペインの聖職者ラス・カサスをご存知なんですね。1488年生まれ、1566年没の男性です」
「うん、名前ぐらいは知っていますよ。あなたの本も、南米の歴史に関する本も読んだから」
「失礼しました」
「いいえ。私が大学生のころだった。岩波文庫のある本を読んでいたら、その巻末に、文庫が提供している作品の一覧があったんだ。その端っこに、ラス・カサスという名前があった。『インディアスのなんとか』と言う題名の本の著者だったよね」


「インディアスの破壊に関する簡素な報告、です」
美鈴はその本の名を正確に答えてから続けた。
「彼は聖職者でした。でも、ラテンアメリカの先住民に対する、スペインの残酷な仕打ちに衝撃を受けて、それを報告書に書いて本国に送ったのです。これも、宗教の残酷な一面であり、それに憤る正義の人の記録でもありますよね」

 西田は、うなずいてから続けた。
「せめてもの救いは、@@される先住民に心を寄せたラス・カサスのような人が出たことだ……。バルベルデのある南米で、あるいは、マイケル・ゴンザレス将軍の一族が出た中米で、かつて、黄金伝説に取り憑かれたスペイン人やポルトガル人たちが何人を@したのか。あるいは、連中が持ち込んだ伝染病で、抵抗力のない先住民が何人@んだのか? 宗教関係者が先住民に何をしたのだろうか」

 美鈴が付け加えた。
「ロバート・デニーロが出た『ミッション』という映画があります。あの映画では、十字架に縛り付けられた白人が川に流される場面が話題になりました。音楽は巨匠のエンニオ・モリコーネが担当し、映画は86年のカンヌ映画祭パルムドールなどを受賞しました。南米へのキリスト教の布教と先住民の対立、それに彼らに対する政治の様子などを描いています。あの作品は、キリスト教の布教への反省がテーマだと思いますが、日本人至上主義者たちはああいう映画を見ないでしょうね」

 「見ないだろう。自分たちの宗教、神道を絶対的な存在だと思っている彼らからすれば、そんなキリスト教の映画なんか関心を持たないだろうね。それどころか、キリスト教を野蛮な宗教として非難する材料にするかもね。

 キリスト教などの一神教は好戦的な悪い宗教で、日本の神道は多神教だから良い宗教だ、というのが、日本人至上主義者たちだけでなく、日本のインテリたちの言い分だ。そういうことを言う人が多いのは嘆かわしい。私は、ある日本人至上主義者がラス・カサスの本を証拠に、白人の残酷さを非難している文章を見つけたことがある。偶然にね」
と言って、少し黙った。


 「宗教的対立の行き着く先は悲惨だな」
「何が起きるんです」
「@@でしょ? 私たちは間違った人間たちを『正す』、そういう人間たちを『容赦しない』。そんな大義名分があれば、人間なんでも出来るな。@@でもね」
「冗談言わないでください。今は21世紀の世の中ですよ。日本でそんな@@や宗教的迫害が起きるわけがないじゃありませんか」


 「美鈴さんは本当にそう思っているの? そう思うなら、日本の歴史をひもとけばいい。キリスト教の伝道を止めるために、大名はなにをしたか。何人が犠牲になったか。面白いじゃないか、人間を救った人より、人間を@@した連中のほうが歴史では有名だ。面白いと思いませんか。私が言いたいことは@@が面白いんじゃなく、悪いことをした人間のほうが有名になったということだ」

 「西田さんは、宗教が危険だとおっしゃりたいの?」
「そういう側面もあると言いたい。そして、日本でも、かつて、宗教的迫害が行われていたことを。キリスト教徒を弾圧する踏み絵や磔(はりつけ)などは指摘するまでもない。天草四郎に、長崎の殉教者たちといい、日本も残酷な歴史には事欠かないな。キリスト教だけの問題じゃないが、21世紀の日本で、そういう迫害が起こるとは誰も考えないだろう。だが、日本人至上主義者の一部には、不穏なことを口にする連中がいるよ」

 美鈴は鼻の穴から強く息を押し出していった。
「なんてことを言うんですか。日本は世界中の国々のなかでも平和な国ですよ」
「それが思い込みなのさ。平和な日本人がそんなことをするわけがない。平和な宗教であるはずの神道や仏教でそんなトラブルがおきるわけがない。それが思い込みだ。自分たちは平和の民で、平和な宗教を広めている、という思い込み。そして、それが裏返って、それを信じない人間、疑問に思う人間への激しい怒りになる。

 自称、平和な人間ほど怖いものはないね……。繰り返すけれども、日本人至上主義者たちは、全ての日本人は、日本古来の神道を信じなければならない。そうでない人間は日本人ではないと叫んでいるじゃないか。その先にあるものはなんだと思う、美鈴さん」
美鈴は答えに詰まった。



続く

これは小説です。


この記事が参加している募集

大川光夫です。スキを押してくださった方々、フォロワーになってくれたみなさん、感謝します。もちろん、読んでくださる皆さんにも。