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遺族取材の記事を読んで、1視聴者として「考えて、声を出そう」と思った

元記者のMomoko Kawanoさんの記事、大津市の事故の記者会見もあって、記者会見についていろいろ考えてた折に、読み入った。よく書いたなこれ、と思った。

所感「記者も人なんだ…」

記者会見はあまりに非道で、偏見しかなかった。この記者の方には特別「すごいな」でも「さすがだな」でもなく、リアリティをもって「そりゃそうだよな」と思った。この記事に出会えてよかった。出会ってなかったらまともに意見しなかったかも。聞こえてくる違和感は、自分たちと同じ人が、同じ人に尋ねてることなんだって。とんでもないね。

みんなが疑問に思ってる。記者会見は何のため、記者は何がしたいの。報道とつながるなら、それは社会との接点。その耳のような存在が、聞くどころか追い込んで。そのうえ残酷な映像を垂れ流す。涙を薄っぺらい同感のコンテンツに変える。人の死を消費する。

もうそろそろ、テレビやSNSでの影響力を考えると、社会的な制裁やルールを作ってほしいレベル。この悪しき慣習を止めて、社会を生む場、社会に課題提起できるメディアに変わってほしい。上の記事の話がどこでもあるなら、本来あんな記者は生まれないでしょ。

またこの機会に、視聴者として、悲しいニュースを悲しい、嬉しいニュースを嬉しいと鵜呑みせず、あの場の目的や質問について問いたい、と思った。少なくとも傷口を広げる必要はどこにもないよね。

本当にただの1視聴者の意見だけど。

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