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【読書感想文】やめてもいい

読んだ本はこちら、著者野本響子さん
『日本人は「やめる練習」がたりてない』

野本響子さんは、元雑誌編集者。お子さんの教育の場所にマレーシアを選び、そこで見つけた生き方を教えてくれるのが本書です。この経歴にも紆余曲折あります。本書でもわかります。

2年ほど前に購入して読み、また最近読み返しました。野本さんはこのnoteでも多くの記事を書かれる人気クリエイターです。わたしが野本さんを知ったのもnoteでした。ご覧あれ↓

きっかけ


さてこの本、当時のTwitterで野本さんがツイートした「多くの人は辞める練習が足りてない」という内容がバズったことから記事になり、そして本になったのだそう。
すでにマレーシア在住者だった著者にとっては「なぜこんなことで?」ということらしいのですが、純日本人であり、古い慣習にもとくに不満もギモンも持たず、いやたまに不満を言いながら結局受け入れて概ねまっすぐ生きてきた(つもり)わたしにとっては、「やめる練習」という言葉の意味すらわかりませんでした。
「やめる」ことって、練習することなの?
足りてないって、そんなに何度も練習するもの?
わからないことだらけで読み始めました。



やめる練習をする人たちがいる国


まず、(詳細は読んでいただくとして)いろいろなことがあり、日本の小学校を「やめて」、マレーシアの学校に通うことになった野本さんの息子さん。彼はその後マレーシアの教育環境にバッチリハマったわけですが、そんな彼や学校の子ども達は毎日さまざまな選択をします。例えば、行事に参加するのかしないのか、参加するならどんなことをするのか、常に自分の意見を求められます。その過程に「やめる」「やらない」選択肢も当然入ってきます。子どもは自分の意志で「やめる」ことも選ぶんです。そしてそれはダメなことではなく、選択肢の一つ。
それだけでなく彼や野本さんを取り巻く学校や先生、友達やその家族、さらには職場からもマレーシアで「やめる」ことがいかに気軽なことかがわかります。それは子どもの時からの「やめる」選択の繰り返しが根付いた結果、大人になっても当たり前のように「やめる」選択ができるのです。

またやめたあとは、その次どうする?となるわけですが、その受け皿がちゃんとある、要は選択肢がたくさんあるんです。そんなマレーシア環境もあいまって大人も子どもも、当たり前のようにやめるをくり返します。



長く続けることは良いこと、という思い込み

そんなにやめちゃって、物ごとが長続きしないで大丈夫?と心配になるのですが、野本さんの本に出てくる人たちはまったくもって大丈夫です。息子さんももれなく。やめることを繰り返すことで、自分がよくわかってきます。好きなこと得意なこと、またはその逆が何なのか、判断する練習をしているのです。そしてしっかり辞めグセがつきます。

辞めグセがつくことよりも、自分が何が得意で好きで、向いているのかわからないまま、やめる経験がほとんど無いまま大人になってなんだかやめられなくて苦しんでいる人(はっ‥!)があまりに多いことに野本さんはメッセージを送っているのです。グサッときます。
それは何よりも、野本さん自身が日本で生まれ育ち、いろんなことをやめたくても辞められないまま(その時はその選択をすることがたぶん普通のことでもあり)大人になり、苦しんでこられたからこそ生まれたメッセージでもあると思います。本書の中でも息子さんを羨ましく思うと綴られています。
やめないこと、続けることにはそれにもそれなりの価値や達成感などがあります。それはそれとして、苦しいのにやめられないという悩みは本当は悩まなくても良いことなのかもしれません。



大切なのは結果を受け入れること

わたしがこの本を読む少し前、息子が1年続けた習い事を「なんかもういい、行きたくない」と言い出しました。はじめての「やめたい」に親として悩みながらも、そのときは「やめる」選択を受け入れました。ただそのあとも、あれで良かったんだろうかと不安がもんもんと。。
そんなときに本書に出会い、彼のやめたいを受け入れてきっと良かったんだな、と思えた。やめた結果これから「やめなければよかった」と本人が思うことがあったとしても、その後悔も含めて自分で決めた結果を受け入れる、そういう練習ができたことを良かったと思ったんです。

自分で自分に責任を持つ
ということだと思います。わたしは大人なんだから当たり前でしょうと思いつつ、例えば仕事やめるってなると‥やっぱり怖いです。もう、いまさらなんです、鍛えられてないと怖い。子どもの時から「やめる練習」は必要だと改めて思います。


マレーシアの魅力的なところもたくさん感じられます。是非たくさんの日本の人に読んでほしいです。

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