見出し画像

JBFな人たち#7 二上拓真(株式会社綾の手)

JAPAN BRAND FESTIVALにかかわる人たちは、一体どんな想いを持ってものづくりやビジネスをやっているのか? JBFに入って良かったことは何か? 当事者たちにインタビューしてきました。
第7回目にお話を聞いたのは、養蚕から染織までを一貫して行う「綾の手紬染織工房」の現場責任者を務める二上拓真さん。主宰者・秋山眞和さんとの出会いから、新卒・未経験でこの道に飛び込み、いま描く未来とは!?

絶対に工房を守る、その理由

——二上さん、おいくつですか?

二上 28歳です。

——若い! 今回JBFに参加している主要メンバーで最も若い一人ですね。そんな若い方が、創業100年の伝統的な染織工房に入ったきっかけを教えて下さい。

二上 ぼくは工房のある綾町の隣町出身なんです。大学は東京に行ってたんですけど、3年生のときに新宿の宮崎物産館で偶然知り合ったおじさんに、今の職場「綾の手紬染織工房」の話を聞いたんです。それで、実家に帰ったついでに連れて行ってもらったら、とにかく糸や織物の色が綺麗で。

ダウンロード (5)

僕はあんまり覚えてないんですけど、実家の母によると、「この工房で働きたい」ってすぐに言っていたみたいですね。

——と言っても、染織工房で新卒採用なんてやってないですよね?

二上 やってませんね。僕以外で新卒のプロパーはいないです。

——じゃあもう、ものづくりや職人への憧れで、エイヤッと入ったわけですか。

二上 というよりは、工房を主宰している秋山眞和に惹かれたんですよね。国の卓越技能者「現代の名工」に指定されていて、黄綬褒章も受章しているようないわゆる「すごい人」なんですが、全然偉ぶるような方ではなくて。

——それは、さぞ厳しいお師匠さんなんでしょうね。

二上 全然そんなことないですよ。怒りもしないし、褒めたりもしない。話してみると親しみやすい方ですが、お酒を飲まないとあんまり喋らないような人です。

——いかにも昔気質の職人さんですね。そんな秋山さんの技術をそばで見てきて、どういう想いになるんですか?

二上 この工房を守る大切さですね。極端なことを言うと、秋山の技術がなくなっても一つの工程として考えるとそこまで困らないんですよね。うちの織物のルーツは沖縄だから、現地には同じ技術がある。藍染の工房も養蚕農家も全国にある。
でも、ひとつの工房で養蚕から染織までを一貫して行えるところはほとんどありません。分業には分業の良さがありますが、分業だと、たとえば「染め」の工程を担当している工房が辞めたら、もう同じ織物を再現できなくなってしまう。一社ですべての技術を持っているからこそ、できることがあるんです。だから、絶対に工房を守りたいですね。

画像2

糸がないと布は織れない

——二上さんは若くして業界全体、文化全体を見渡している感があります。

二上 秋山とたくさん飲んだからじゃないですかね(笑)。飲むといろんな話をしてくれるんですけど、キャリアや技術はもちろんのこと、知識も経験値も化け物みたいな人なんですよ。織物や染色だけじゃなく、漆にも陶芸にも詳しい。

秋山の知識や経験値の部分も含めた後継者が必要だし、自分が少しでも追いつきたいと思っています。

——そんなに尊敬できる相手と仕事ができるなんて、理想的ですね。

二上 実は、そういう感覚になったのは、ちょっと辛いことがあって「もうこの工房辞めようかな」と思ったときだったんです。ちょうど仕事で沖縄に連れて行ってもらう機会があって、別の工房にも少し興味があったので、良かったらそっちに移ってもいいかな、なんて(苦笑)。

——それは結構甘い考えな気も(笑)。

二上 ですよね(笑)。その工房の主宰者の女性って、本当にすごいんですよ。実際にお会いできて、秋山のおかげでお話もさせていただいたのですが、当時96歳でほとんど目も見えないのに、まだ現役で仕事をしている。

で、みんなで会話している中で、その方の娘さんがふと「糸がないと布は織れないものね」とつぶやいたんです。当たり前のことなんですけど、僕には衝撃でした。秋山やその女性が、長年当たり前にこだわり抜いて守ってきたものを、僕は守らなきゃいけない。その瞬間、使命感のようなものを感じたのかもしれません。

画像3

——じゃあ、やっぱり秋山さんみたいな職人になりたいですか?

二上 なりたいです。これまでは自分は頭を使うほうが得意だと思っていたし、手を動かす部分は人に任せている部分もあったんです。でも、ちょうどこの年末年始にガラスだったり木だったり、織物以外の工芸家の方たちと会う機会があって。彼らと話すうちに「やっぱり手だな」と。

もどかしさの先にあるもの

——工房を守り、秋山先生の知識や経験値をつないでいくために、どんなことを仕掛けていきたいですか?

二上 これまで、ストールやショールを手掛けたり、外部のクリエイターたちとタッグを組んだりといくつかのことに取り組んできました。ただ、同じ場所にいたら、気づけることにも気づけない。なので、「違う場所」「違う業界」にいる人たちとの触れ合いから、ブレイクスルーするヒントや手段を見出していきたいです。JBFに参加したのもそういう理由です。

ダウンロード (39)

——重要なミッションですね。若手ならではの発信についてはいかがですか?

二上 職人って、自分たちの発信が苦手なんです。業界では知られているけど、その語られていない部分のヒストリーが一番面白い、というか興味深かったりする。僕は話すのも嫌いじゃないんで(笑)。

——いろいろやれることは多そうです。

二上 うーん。でも、今はあれもこれもよりも、「これだ」と決めたいんです。多少時間はかかってもいいから、決めた目標に向かって全力で力を注ぎたい。

——JBFの学びはそのヒントになっていますか?

二上 まだ、JBFでの学びが十分には工房に生かせていないもどかしさがあります。でも、もう少し先のステップに進んだら、確実に変われる、学びを生かせるという手ごたえはある。工房がどう変わっていくのか、僕自身も今から楽しみです。

二上拓真
株式会社綾の手 綾の手紬染織工房

1992年宮崎県生まれ。株式会社綾の手に入社して6年、養蚕から染色、加工、製織、仕上げまでを行う和装織物の生産現場のほぼ全てを担当している若き業界の担い手。学生時代に、国の“現代の名工“にも指定されている秋山眞和と出会い、それが契機となって大学を卒業後秋山が主宰する地元宮崎の同社で働き始める。近年では若い世代に工芸への興味を深めてもらうため、県内イベントでのワークショップ講師を務めるほか、小中学校や高校・専門学校など教育機関での出張講義や体験、研修受入なども行っている。http://ayasilk.com/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?