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ボクがボクであること(i)

このタイトルは,山中恒の小説,『ぼくがぼくであること』(1969)から拝借したものである。

小学校5年生のとき,ロンドンの日本人学校に通っていたボクに母が学校の古本市で買って来てくれた本だ。当時のボクは同級生からいじめに遭っていたこともあり,本を読むということは貴重な現実逃避の手段だった。思春期の手前に差しかかり,少しずつ自分という存在が大きくなっていく中で,母親と喧嘩するたびにこの本を読み返すことが中学生の頃まで続いていた。

具体的なストーリーについては割愛するが,どのような話なのかを知ってもらうために,Amazonからあらすじをコピーして貼っておきたいと思う。

やかましい母親や優等生ぞろいの兄妹のなかで,秀一だけはダメな子だった.ひょんなことから家出をした秀一は,同い年の少女とおじいさんの住む農家で,ひと夏をすごす.次々とふしぎな事件にまきこまれていくなかで,秀一は,見せかけだけの家庭や社会の真の姿を感じとるようになっていく.少年の力強い成長を描く物語.

秀一は家族との関係性に悩み,家出をする。そこでの出会いが彼自身を,そして彼の家族を変えていくことになるのである。

当時のボクはこの本を読みながら,母親との関係性がうまくいかない秀一を,自分の両親との関係性に重ねていた。作品では一貫して母親が悪役のように描かれるが,ボクにとっては自分の母親も父親も,ボクを悩ませる存在だった。

当時の母は「勉強しなさい」と口癖のように言っていた。これは中学生の子どもを持つ親としてはよくあることなのかもしれない。対して父親は勉強のことにはあまり口を挟まず,むしろ生活の細かなところにうるさかった。

それだけならば,まだ良かったのだろう。両親の仲が良くないことが,僕にとっては精神的な負担になっていた。顔を突き合わせれば喧嘩,とは言わないけれど,一週間に一度以上は,何かでもめていたのではないだろうか。しかもそれは必ず,何か気に入らなかった父親が母親に主張を繰り出すことからはじまるのだった。

そして決まって,双方の板挟みに合うボクは,双方から愚痴を聞かされるのだったボクがそれを聞いてどう感じるかなんて,きっと考えもしなかったのだろうけれど。

両親との関係性への悩みは,高校生になってからも続いた。

興味深いことに中学生までとは異なり,父親の方が勉強のことで口煩く言うようになった。模試の採点で帰りが遅くなっただけで怒られたこともあったし,文化祭の準備で遅くなった時に「部活できていない人間がいるのにお前がいく必要がない」といわれたこともある。

そんな調子に耐えかねて,「夜回り先生」としてメディアへの出演も盛んだった水谷修先生にメールをしたことがある。今はどうか分からないが,当時の水谷先生はメールアドレスを公開しており,全国で悩みを抱えた子どもたちの相談を引き受けていた。僕にとっては本当に困った時に支えてくれるカウンセラーのような存在として,何回かお世話になったのだった。

水谷先生はそんな悩みに,以下のような返信をくれた。

水谷です。いずれ捨てれば良いのです。自分の信じる生き方を。

僕にはその時,何を捨てるのかがよく理解できず,「親を捨てるということですか?」と返信をしたことがある。それに対する答えは,「そうです。親を捨てることです。」だった。

簡単にいうなぁ。そうおもったけれども,その心のどこかで,一歩踏み出す勇気のようなものをもらった気がしたのも事実だった

前回のnoteで書いたように,ボクの父は彼の両親(つまりボクの祖父母)と仲が悪かった。漏れ聞いた話が真実だとすれば,金銭的な問題で揉めたことが大きかったようだ。それまで祖父母(先に祖父が他界したのでそれ以降は祖母)とともに実家に住んでいたが,その後単身赴任を選び,ボクや母親もしばらくしてその後を追うことになった。当時小学生だったボクには,片親しかいない生活は耐えられなかったのである。夜中に泣きながら父に電話したこともあったように記憶している。

その時は両親とのつながりの強さの方がきっとボクにとっては強かったから,ボクや母親,あるいは父親がいなくなった後の祖母の気持ちを一切考えなかったのだと思う。けれども先にイギリスに向かった父を追いかける形で母やボクがイギリスに向かった際,空港まで見送りに来てくれた祖母のことを今になって思い返すと,きっと祖母は一人残されて寂しい思いをしたのだろうな,と複雑な気持ちになる。前回のnoteの内容を踏まえれば,どんなに争っていても,父親に対する我が子を愛する気持ちも祖母にはあったのだろうし。

話が逸れた。

そんな父とその両親のあり方を聞いたり,なんとなく肌で感じていたボクにとって,親との関係を可能な限り無難に保つことができるようになることは一つの目標だったのだと思う

けれども高校の時にもそういう状態だったから,ボクはいったいどうするべきなのだろうか,親との関係性をどのようにしていくことが望ましいのか,ということを考え続けなければならなかった。そしてそのことは,ボクはいったい誰なのか,ということも同時に考えさせたのだった

ボクは,ボクだ。ボクは親の所有物ではない。

そもそもボクがイギリスでいじめに遭っていた時,両親は気づくことすらできなかった。担任に打ち明けていなかったら,その勇気を持ち得ていなかったら,どうなっていたか分からない。

そんな両親に,都合よく親だと主張されたくない。今でもそう思うことはある。

そのことは,きっと両親も分かってはいるのだろう。たとえば父親は,昔こんなことを言っていたことがある。

子どもっていうのは,親が一時的に預かっているだけなんだ。だから時期が来れば,手放す。そういうものだ。

けれども,誰にとってもきっとそうだが,頭で理解していることと行動とは必ずしも一致しない。特に父は今でもどこかで,ボクのことを所有物だと感じている節がある。それはたとえば大学院での研究テーマに対するコメントや,金銭的な支援を盾に言うことを聞かせようとしてくる言葉の一つ一つからそう思えるのだった。

そして決まって,「謙虚さがない」とか「感謝が足りない」ということを理由に,ボクの態度が不十分だ,親だから良いが他の人にもそうであっては困る,などと真っ当に聞こえる理由づけをするのだった。

ボクやボクの行為が他人の目にどう写っているのかは定かではないが,両親に感謝していないわけではない。むしろ,多くの同年代が仕事をしている中で学生を続けさせてくれていることに対する感謝は大きい。本当だったら初任給で両親をご飯に連れて行っているはずの歳なのだから。

けれども,相手から権威的な言葉を向けられたり,抑圧的なことを言われれば,そんな気持ちは影を潜めてしまう。ボクがボクであることを否定し,ボクはこうあるべきだということを押し付けるのは,親と子という関係性の中に,権威的な関係が内包されているからだろう。

両親との関係性の中で,ボクはそんな風にボクであることの難しさに悩み続けているのだった。

この夏,大学院の指導教官がふと,こんな台詞をボクに漏らした。

お父さんと違うテーマにできて良かったわね。彼はあなたのことを心配するから。

ボクの指導教官はボクの父にとっては直接的な先輩にあたる人物で,当然コミュニティも重なるから,共通の知り合いから聞く父の噂も多いのかもしれない。

ボクはその言葉を(どこか都合よく)解釈して,あぁ,同じようなことを感じていたのだな,と思った。そして指導教官が,少しでもボクがボクであることを手助けしてくれたことに,心の中で手を合わせたのだった

「歴史は繰り返す」というのは中学校の恩師の社会科教師の言葉だ。

ボクの父も,彼の両親とひょっとしたら類似のことで悩みを抱えていたのだろうけれど,ボクも同じような悩みを抱えている。

ボクがボクであることはきっとそんなに難しくないことなのだろうけれど,親と子という,言葉以上に複雑なその結び目が,ことボクとボクの両親,特に父親との関係性を非常に困難なものにしているのだった。

ボクは,ボクだ。他の誰のものでもない。

あの本の主人公秀一がもっと幼いうちに解きほぐしたその結び目で,まだ躓いているボクがいるのだった。

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