【小説】『嬢ちゃん/22歳元風俗嬢、底辺高校の教師やります 』5
4月も2周目に入った初日、8日の月曜日が始業式だった。
その場で、新任式も行われた。
全校生徒の前で、今年度の転任職員が紹介されるのだ。
入学式は翌日の予定だ。だから、入学前の1年生はまだいない。
集められた生徒は2年生と3年生だけだが、それにしても体育館には600人以上がいる計算になる。
その中であたしもステージ上に登り、初めて生徒の目に晒された。
足が震えた。何百人もの前に立つことは、一般的にはあまりない経験だろう。ひょっとしたら、あたしのこれまでの人生の中では最も大勢の前に立った瞬間だったかも知れない。
今年度の転入職員は全部で二十人近くいる。そのうちの一人として、うまく紛れて、当たり障りなく済ませてしまおう。
と、考えている間に、あたしが挨拶する順番が来た。
挨拶の言葉は、みんな、短く簡単に済ませている。
あたしもそれに倣うつもりで、一歩前へ出て話をしようとした瞬間のことだ。
体育館ステージの後ろにかかっている、大きなえんじ色の暗幕に映像が投影され始めたのである。
昨日のあたしだ。
きゅうりを使って、自分の寂しさを紛らわせるあたし。
視点は一箇所から。隠しカメラでも仕掛けられていたのだろうか。画角は狭いが、あたしの顔からなにから、鮮明に映っていた。
ぜんぶだ。ぜんぶ。
体育館は男子を中心とした歓声と、女子生徒を中心とした悲鳴に包まれた。
終わった。
どうやって死のう。
刃物のひとつももらえれば、ここで首でも切るところだ。もう、あたしがイクところも、逝くところもぜんぶ見たらいいんだ。
と、いうところで目が覚めた。
あたしは部屋の中をくまなく探したが、カメラのようなものは出てこなかった。
月曜日の朝から、悪夢の内容が強烈すぎる。本当にご勘弁願いたい。
夢の外では、体育館での挨拶、それ自体は問題なく終わった。
しかし、あたしが生徒の注目を集めたことは夢の中と変わらなかったようだ。特に、男子生徒の視線が自分に集まっているのは自覚できた。
今年度、大卒一年目で赴任した女性教諭は、あたしと、社会科の藤原ここあの二人だけだ。
講師の中には同年代の女性が何人かいるし、中にはオシャレが好きそうな人もいるようだったが、どうやら目立ったのはあたしのようだ。
正直に言っておきたいのだけれど、そういうのはぜんぜん狙ってない。
女が目立っていいことなんて、ひとつもない。これは、女だったら経験的に理解することだ。
女というのは、足の引っ張り合いをしている集団だ。上に行こうとする女の邪魔をすることに命をかけている。いかに集団の一員でいられるか。集団の中で自分の利益をどこまで追求できるか。そんな生き物なのである。
これもはっきりしておきたい。あたしはそういうのが大嫌いだ。
だから、友達がいない。一人もいない。
この日、目立たないように、服装には気を遣っていた。
身体の線を主張しないよう、4月1日に使った、ゆるっとしたパンツスーツを着用していた。肌はほとんど出ていないし、髪は風俗店を辞めて肩までの長さに切っていたものを、後ろでシンプルにひとつにまとめていた。
ほとんど就職活動中の学生にしか見えない。
一般的に言って、色気もなにもあったもんじゃないはずだ。なんで目立っている?
「そういうことじゃない。やっぱりねえ、出てたよ。」
国語科で安藤にぼやいたら、彼はそんなふうに言った。
『出てた』という言葉に、今朝の悪夢を思い出して首の後ろのあたりが冷たくなった。まさか、変なところが露出していたわけではあるまい。あたしは恐る恐る聞いた。
「えっ。出てたって、なにがですか?」
「オーラ。
色気とはちょっと違う。危うい感じ。
そう、キケンなオンナな感じ。なにか隠している感じ。全部を諦めている感じ。何にも執着していない感じ。平気で股を開きそうな感じ。
付き合ったら、『一緒に死のう』って言いそうな感じ。」
あたしは危うくコーヒーを吹き出しそうになって、慌てて飲み込んだ。そして、一部を気管に入れてしまって、ひとしきりむせた。
「あたしって、そんな感じですか!?」
「そうだねえ。小島先生の印象は、ちょっと言語化が難しい。
小島先生と何度も逢瀬を重ねた、一介の国語教員が言語化してみると、そんな感じかな。」
何度も逢瀬を重ねた、一介の国語教員というのは、もちろん安藤のことである。
しかし、まったく失礼してしまう。
付き合った男に、一緒に死んでくれなんて、言うわけが……。
……言うかも知れない。
いや、きっと言う。
あたしは自分を妊娠させた男に自殺された女だ。
付き合う男に、それくらいの試し行動はしそうである。
知らなかった。あたしはメンヘラだったのか。
でも、たぶんあたしは精神を病んでいない。
まったくの正気で、試し行動をするだろう。客観視すると、本当に怖い。
あたしのことを愛しているなら、あたしのために死ぬことができるか、と言いそうだ。そうして、相手が死んで見せたならば、真実の愛が失われたことを知って、あたしも死を選ぶのだろう。
あれ? もしかして、あたしって、幸せになれないんじゃないか?
と、そこまで考えて、自分にまだ「幸せになりたい」という気持ちがあることに気が付いて、腹が立った。
あたしは高校時代に妊娠を経験し、自分のためにその子を下ろし、大学時代のすべてで精液に塗れた風俗嬢だ。このうえ、自分が幸せになりたいなんて、厚かましくて口に出すのもおこがましい。
もう、コーヒーの熱さも苦みも、まったく感じなかった。
「でも、それが小島先生だからね。ある意味、目立つキャラクターなのは仕方がない。それを良い方向に乗りこなすしかないなあ。」
安藤は他人事のように言って、笑った。
あたし、小島みつきが元風俗嬢だという噂が立ったのは、翌日である。
いや、まあ、真実ではあるのだが。
あーあ。どうすんだ、これ。
つづく
次話
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