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【小説】『嬢ちゃん/22歳元風俗嬢、底辺高校の教師やります 』9

 いよいよ安藤を止めようと思ったとき、安藤は教職員課の手前を曲がってあたしを振り返った。

 そこに、小さな休憩室のようなものがあった。
 ごく狭い部屋だ。広さは全部で6畳ほど。奥の壁は窓になっている。簡素な椅子とテーブルも置かれていた。

 知らなければ、入って良いのかもわからない部屋だ。しかし、安藤は当然のように入った。
 そこにあった自動販売機で、安藤はあたしに缶コーヒーを買ってくれた。
 あたしは苛立ちも忘れて、お礼を言って受け取りながら、安藤がどうしてこんなに県庁に詳しいのかが疑問になっていた。

 ソープランドのベッドで、あたしが何度ねだっても安藤は名刺を出さなかった。そういう客もいたから、あたしは特に気にしてはいなかったのだけれど。
 きっと、安藤は県庁での勤務経験があるのだ。

 大学の講義で聞いたことがある。県庁に呼ばれるのは、教員の中でも抜きん出て力のある者。教科指導はもちろん、実務能力もコミュニケーション能力も一流である者。勤務校の校長が自信を持って推薦する者だけが、県庁に呼ばれて出世街道に乗る。現場に戻るときは教頭か、校長であると。
 しかし、安藤は今もただの教諭である。おかしいな。

 その疑問を口に出そうとしたとき、安藤はやにわに休憩室の入口に向かって、気をつけをして、最敬礼した。あたしは確認もせず、つられてそれに倣う。
 頭を上げてみると、どこかで見覚えがある50代の男が立っていた。

「松本課長。安藤です。お久しぶりでございます。」
 真摯な態度だが、声をかけた安藤の口元には柔らかな笑みがあった。松本と呼ばれた人物も、安藤を認めて口元を緩めた。
「おお、安藤くん。世話になったねえ。元気そうだね。」
「ええ、現場に戻していただいて、おかげさまでなんとかやっております。」

 なんだかこの二人は仲が良さそうだ。何気ない挨拶ではあるが、心が通っている印象があった。
「私は元気なのですが、ここに元気のないのがいまして。」
 安藤はあたしのことを言っている。あたしは再び頭を下げた。
「彼女が、このたび教職員課にお招きにあずかりました、小島みつきでございます。」
「おお、そうか。じゃあ早速、部屋のほうへ。」
 ちょっと待って!
 この、松本課長が教職員課のボスじゃないか!

 休憩するつもりで、とんでもない。あたしは処刑人の長官の目の前まで来てしまったのだ。

「いや、ここで課長にお会いできたのは僥倖でした。担当者は抜きにして、先に課長にお話を。」
 松本課長は怪訝な顔をしたが、かまわず安藤は話を展開した。
「まず、小島みつきの大学時代のアルバイトは接客業です。そうだね。」
 話を振られたので、あたしは「はい。間違いありません」と言った。

「いや、その接客業というのが今回は問題でさ。」

 松本課長が言いかけたところ、安藤が話をつないだ。
「小島みつきはアルバイト中、お客さんの名刺をもらうことを楽しんでおりました。こちらに。」
 松本課長の目が光った。安藤が言わんとしていることを、もう理解したのだと思った。
 一方、あたしは安藤がやろうとしていることが全然わからない。
 小さなテーブルに、あたしが集めた名刺を並べ始めたのを、ぼうっと眺めていた。

「ずいぶんあるな。俺もあるが。」
 と、松本課長。課長が指さした名刺には、松本浩二郎とある。
 役職が違う。少し前のものなのだろう。つまり、松本課長もあたしの客だったのだ。道理で、どこか見覚えがあるはずだ。
「でしょう。県庁の教育関係者は、何人もが彼女の世話になっていたようです。彼女をクビにすれば、彼女は名刺をオープンにして、自分は県庁のこういう人物と関係があったと公開するかも知れません。
 その話は、人権問題にも、職業差別にも発展します。県庁の教育関係者が何人も、風俗嬢とズブズブだというのも印象が悪すぎる。」

 安藤は続けて名刺を並べていく。計10枚ほどが、小さなテーブルに並べられた。
 安藤のやりたいことが、あたしにもようやく理解できた。
 名刺を武器にして、県庁の職員を人質にしているのである。あたしをクビにすると、あたしが名刺を公開するぞ、というのだ。

「教育長も、副教育長もか。……ああ、勝負あった。」
 うなっていた松本課長が一枚を指差して言った。

「先生じゃないか。君の勝ち。」
 松本課長は、あたしを見た。
 課長の目には特別な感情は宿っていないように見えた。

 先生?
 あたしが疑問に思っている間に、松本課長はあたしに声をかけてきた。

「確認ですが、小島先生がアルバイトしていたのは、接客業ですよね。
 それ以上でも以外でもありません。いいですよね。」
 あたしにも意味がわかった。この件は不問にしても良いが、元風俗嬢だ、などとは決して自分から言うんじゃないぞ、と言われているのだ。
「ありがとうございます!」
 あたしは静かに頭を下げた。ちょっとだけ、涙がこぼれそうになった。


つづく

タイトル画像全景
これも全景のほうが良いな。

次話

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