回避性パーソナリティ障害とライブハウス
ひとりでいるのが好きだ。
引きこもりの傾向は、小さい頃からあった。自室でラジカセやミニコンポで音楽を聴いたり、雑誌を読んだり、小説を読んだりとひとりの時間を楽しんでいた。
だが、幼少期は外でともだちと遊ぶことも好きだった。しかし、自分から遊びに誘うのが苦手だったので、学校のない日はひとりで遊ぶことが多かった。思春期には、地元のともだちと集まってはうだうだとしている時間が好きだった。それなりに、ともだち付き合いはできていたが、今思い返してみると、結構自分勝手で自己中なところが滲み出ていたので、友人たちがぼくのことをどこまでともだちと思っていてくれたかはわからない。でも、仲間はずれにされたり、いじめられたことはなかった。
社会に出ると、男ともだちというのはほとんどできなかった。職場で世間話をするようなことはあっても、一緒に飲みに行くとか、遊びに行くとかもほとんどなかった。この頃は、そのようなともだちがいないことが少し寂しくもあった。それを一番実感したのは、2005年の「愛・地球博」愛知万博があった時だった。周りの人たちは、万博へ行った話しをとても楽しそうに話していたが、ぼくは誰からも誘われることなく、一度も行けなかった。
ひとりで過ごすことが好きだと、強がってはいたが、心の中では誘ってくれる仲間が欲しいと思う気持ちもあった。
そのような気持ちも、うつ病になり、7年以上付き合った彼女と別れて、完全にひとりになってからはなくなった。人付き合いというものを避けるようになった。
しかし、名古屋のライブハウスへ通うようになり、自然と名古屋で活動するバンドや観に来るお客さんと顔見知りになることが増えてきて、話しをする機会も増えてきた。だが、あちこちに顔を出してはいたが、次に会った時に自分のことを覚えていてくれているか不安に思って、こちらから声をかけることができないことも多かった。実際、次に会った時には忘れられていることもあった。何ヶ月も間が空いていれば当然だが、ぼくの方は知り合いになる人の数が極端に少ないから、少し話しをした人でも顔だけは結構覚えていたりする(名前や話した内容はうろ覚えだが)。なので、こちらから話しかけられず、友人と呼べるほどの人はあまりできなかったが、少しはぼくのことを認識してくださって、話しかけてきてくれる人がいることが嬉しかった。音楽という共通の趣味で、ライブハウスの中でだけでも、繋がれる仲間がいるということに、幸せを感じていた。
そのように、知り合いになった数少ない仲間とも、SNSでの何気ない一言や何かしらの失言により、距離を置かれてしまうことも出てきた。すると、いっぺんに他の人からも本当は疎ましがられているのではないか?迷惑をかけているのではないか?失礼な態度を取ってしまっていたのではないか?との疑念が次々と頭の中を駆け巡ってしまった。
そして、コロナ禍に入り社会情勢不安、仕事でのストレスも相まって、自分の殻に完全に閉じこもってしまった。
精神状態が少し落ち着いてきた頃、また徐々にライブを観に行けるようになった。一年半ほどのブランクで、忘れられてしまっている人もいた。忘れてはいないが、もう関わりを持ちたくないと言った人もいた。自業自得だが、ものすごく悲しく辛いことだった。それでも再会を喜んでくださる仲間がいたことが心の支えになった。
そして今、以前ほどではないにしろ、相変わらずうつ症状のアップダウンが激しい中、仲良くしてくださっている方に対して、いつか余計なことを言ってしまわないか?失礼な態度をとってしまわないか?「こいつといても楽しくないな」と思われてしまうんじゃないか?などという不安が常に頭の中にモヤモヤと広がり続けている。