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大学生〜タイ留学

晴れて華の大学生になったワタクシ。

入学前にTOEICを受けさせられ、そこでクラス分けをするとお達しが。

受験勉強の知識を忘れているわけもないし、きっとそこそこの点数取れるだろうなぁと踏んでいたワタクシ。

 ところが、受験勉強から解放されたこともあり、対策など一切する気もなし。 

「どうせ点数悪くても入学取り消しとかないでしょ?」と。 

春風に吹かれながらもはや戦闘態勢など一切なくなり、武装解除もして挑んだTOEIC。前回は大学の校舎に足を踏み入れた時は、まだ受験生。けど今回はここの学生として来ている事が信じられなかったり感慨深かったり…試験を受けながら考えていた事はこれから始まるキャンパスライフのことでいっぱい@TOEICそっちのけ。

 初回のTOEICの結果は… 

…335点。 

こ、、、こんなはずじゃ…。 

若干ショックを受けたものの、あまり気にしなかった。

そんなひどい点数を取ったにもかかわらず、部活は、ESS(English Speaking Society)という英語でディスカッションやディベートなどをする部活に入部し、友人を作り、大学に居場所を作った。 

しかし、先輩だけでなく同級生もバリバリ英語上手でビビるワタクシ。

「あのぉ〜みなさん帰国子女で…?」
「いいえ、純ジャパだけど…」

…アタシ、来日子女だなんて口が裂けても言えない…

そこで初めてあのTOEICのスコアが呪いの様に頭からこびりついて離れなくなり、「あんなスコアだから話せないんだ!」と劣等感に苛まれたワタクシは、受験が終わっても英語の勉強だけは続けた。

結果、4ヶ月後には690点、1年後には750点に到達し、大学を卒業する前には850点をもぎ取ったわ。

…っていうか、頻尿のアタシに2時間も座席に座って試験受けろとか拷問よ!

高校を卒業するまで門限18時だったワタクシも、一人暮らしを始めてからと言うもの、右も左もわからぬまま、徐々にコンフォートゾーンを広げていった。

そんな中、友人にいざなわれ、ゲイバーへ通うようになったワタクシ。

これまで言いたくてもストレートの人達には言えなかった冗談やノリが当たり前の様に言うことができたので、それはそれは水と獲物を得たピラニアのようにイキイキとしたのを覚えているわ。

 そんなある日、あるバーのママに気に入って頂きスカウトされ、店子デビュー。 

昼間は酒気と水商売には無縁そうな品行方正なお坊ちゃんお嬢ちゃん達と文化的な活動をする部活で知的な方達にか囲まれノンケのふり(駄々洩れ)、夜はネオンライトで光合成をする、酒は注いでも愛は注がない夜の蝶に(特に求められてない勘違い系)。

そしてそのうち、勢いに身を任せ、大学で非公式のゲイサークルを立ち上げた。同じように自身のセクシャリティに悩んで自分らしく生きられない、ゲイ能界デビュー出来ない初心者の背中を一突きブスッと後押しして、普通に友達を作れる場所を提供してあげたいと思ったのね。 

メンバーの皆でランチに集まって食事したり、たまに飲みに行ったり…。結果的に20人くらいの団体になり、会員の皆は、時間と場所を選ばずアタシを「お母さん」と呼ぶように(やめれ)

たち悪いことにそれで反応して振り返るアタシもアタシだよっ、。 

忙しかったし、寝不足だったし、大変だったけど「あぁ、アタシはこれが欲しかったんだ…」って幸せだったわ。産んだ覚えのない息子・娘たちに囲まれた未婚の母。 

ところがそんな生活が1年半くらい続くと全てが当たり前になって飽きてくるのね。大学生なんだし、海外旅行くらい行かなければと思い立って、一人で初めての海外旅行に出向く。行先は、私のアナザースカイ・タイランド。 

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15年ぶりくらいに訪れたバンコクは、随分発展した賑やかな街になっていた。そこで、ワタクシは現地の年上の男性と恋の奈落の底に転がり落ち、帰国後、留学を決意。

 大学も海外留学には力を入れていたので、留学センターへ駆け込み情報を求めるとヨーロッパや英語圏の情報なら腐るほどあったものの、タイに行きたいと告げると 

「タイは…(クスッ)」

 と鼻で笑われた。

笑ってないで調べなさいよ!! 

と思ったものの、重箱の隅をつついてみたところで食いカスすら出てこなかったので、自力で調べ、タイのインターナショナルコースのある大学の教務課に片っ端からメールを送り付けたワタクシ。運よく国立大学が2つほど連絡をくれた。 

調べてみれば、生活費、学費込みで130万円くらいで1年行けそうだったので、途端に現実味が増した。

親に言えば絶対に無条件で止められると思ったので、全て手続きを勝手に進め、休学手続きもしたところで親に事後報告。ブッチギレていたのは言うまでもない。

更に2年弱お世話になったお店も引退。ありがたいことに引退公演(パーティー)を催してくださり、明け方五時頃、飲み過ぎにより、若干の吐き気を感じながら、最後の乾杯を皆様とし、ボトルを床に置き、華々しくステージ(っていうかカウンター)から去っていったのでございます。トイレへ。マーライオン…以下略。 

出発前の日々をドラマの最終回のような気持ちで過ごすも、タイにたどり着くと新シリーズ開始。

これから始まる彼との暮らしに、淡い期待で胸を膨らますワタクシ。 

・・・ところが、渡航後3日で破局。

そう、腐った手羽先の様に捨てられたの。

半泣きで、チャオプラヤー川へ行き、彼とのペアリングを運河に投げ込むと、見ていた警察にごみを捨てた罰金を食らう泣きっ面にブス。

「チョットくらいシミジミさせなさいよ!」

といったところで通るわけもなく、あっけなくワタクシの恋愛は幕を半強制的に降ろされたのよ。 

まぁ、休学して、引退公演もして出発した手前、尻尾を巻いて帰るわけにもいかないので、とにかくこの街での生活を楽しむしかないと気持ちを切り替えたワタクシ。とことんローカルに染まることを目標にとにかく体験し倒したわ。 

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↑大学の学食

大学のクラスメイトは海外で育った人や、インターナショナルスクールで育った子たちや留学生が大半で、初めて行う異文化交流はとても刺激的だった。ヨーロッパ人とかは結構年齢の上の人30~40代のクラスメイトもいていろんな経験を聞かせてもらえて面白かったわ。

ワタクシが日本でESSに入っていたように、大学には日本語を勉強し活動する子たちがいて、その人達に日本語を教えたり、タイ語を教えてもらったりしながら過ごし、夜は夜で週8で繁華街へ繰り出したわ。 

とにかく毎日が充実していて、そこでの暮らしがあまりにも心地よ過ぎて、更に、友人のつてで日本人のCAを募集しているという情報が来て、まだ卒業してもいないのにそれでもいいというオファーを貰ったりして…大学を辞めて、本気でそこで働こうかと思ったわ。

一方で近づく帰国の日…ワタクシは日本に帰るのが億劫で仕方なかったの。なぜならもうその場所で居心地よく、毎日楽しく暮らしてるのに、それを止める理由が何も見つからなかったのね、。

でも、その時付き合っていた彼が、真夜中のバンコク中をドライブに連れて行ってくれて、、、流れていく街並みに、心地いいソウルバラード。彼が運転するマニュアル車で、私の手をギアに置かせて、その上に彼が手をのせて一緒に運転気分…アタシの心はトップギア!でも彼は大人でニュートラル。あまり態度を堂々と見せないところがミステリアスで、、、きっとそこに惚れたのね。

 そんな彼も「行くな」じゃなくて、「学校はちゃんと卒業しておいで」と言ってくれたので、、、アタシも抗うことなく、、ハンケチを濡らし、雑巾絞りしながら帰国したわ。 

「さよならバンコク…きっといつか、アタシはまた海外に出るから…」 

帰国の日、タクシーの外を流れる景色を見つめながら、そう、心で呟き、あふれ出しそうな涙をこらえて空港のチェックインカウンターへ、、、

そしたら、荷物が多すぎて減らさないと乗せないと言う空港スタッフ。追加料金を払おうが何をしようが駄目だと言われ、搭乗締め切り時間ギリギリになりながら空港内を汗まみれ、埃まみれになって駆けずり回り、クーリエで送る羽目に…チョ、チョットは最後の時間を悲しみにくれながら感慨深く過ごさせてよと思ったのに…

 …指輪を投げ入れ罰金を食らって始まったタイでの生活は、このような形で幕を閉じたのだった。

つづく

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