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石の声を聞くために

こんばんちは...!!
デアです(o|o)/

長らく記事を書いていなかったのですが、久しぶりに戻ってきました..!!
1か月ぶりの記事投稿なので、稚拙な文章になること承知の上で書いていきますね💦



さて、今日のお題は「石」と非常にシンプルです。

なぜ、石について語りだしたかというと、
石は生物なのではないかという疑念が湧いたからです。

は? ( ̄口 ̄∥)


実は、3週間前に晩年まで石と向き合い続けたアーティストの、
「イサム・ノグチ 発見の道」という展覧会に行っていました。

そこで、イサム・ノグチさんが生きていた頃の映像で、
語られていた言葉に、自分はハッとしたわけです。

土は石。地球は石、人間は石から生まれ、石、土に戻る。
土ってのは石が粉になったもの。
だから、僕は石に興味を持つんだ。           
                          イサム・ノグチ

完全に正確な引用ではないのですが、石とは連想的に考えれば、
人間の命を内包しているかもしれないと訴えているのです。

石は命そのものだった...!? Σ(- -ノ)ノ


正確に言うと、死んだ生物はバクテリアなどによって分解され、
岩石が風化して砂や粘土となった鉱物と結びつくことで、
地球の土は作られていきます。

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出典画像:https://kids.gakken.co.jp/kagaku/kagaku110/science0298/


その土の元となる、石に生物の魂が結びつくという過程
人間の命を包み込むという行為であり、イサム・ノグチさんの語った
言葉に結びつくと考えました。

ここから自分は、
石には命が宿っていると感じるために作品が作れるのではないか?
そう考え、サイエンスアート作品を新たに作れるのではないかと考えました。

前置きが長くなってしまいましたが、
今日は石を用いてサイエンスアート作品を作るということについてお話したいと思います。

1、石は命そのものではない

石そのものは生物ではない

まず、大前提として石は生物のあらゆる元素となったり、
生き物を含んだ土の源とは言えど、石そのものは生き物では作られていません。

これは別の話になってしまうのですが、
福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだ」という本にて、
貝殻と小石を比べて小石に生命を感じられないのは「動的な秩序」が
ないからだと述べています。


「動的な秩序」とは簡単に言うと、何かを食べたり、排出することで
体の中のものが絶えず入れ替わりながらも、体内のバランスを保ち続けているということです。

それに比べて、石は生物とは違って食べることも排出もせず、
中ににあるものが止まったままで形が保たれている「静的な秩序」の塊なのです。

だから、石に対して「命を感じろ!」と言われても、
生命の本質とかけ離れているため、中々難しい話であることがよくわかると思います。

でも、直接、石に命を感じてほしい。

そのためには、どういったサイエンスアート作品を作れば良いのでしょうか?

2、 石に”心”を感じるようにする

心はロボットでも作れる

石はただ置いただけでは生命を感じることができないのは上記の通りです。

しかし、生命でない物でも、生命のような物を感じさせることはできると思っています。

過去の記事で何度も紹介しているのですが、
ロボット工学者の石黒浩教授は「オルタ」というロボットや、
ロボットを使った演劇を通して、心を作り出す器官がなくても、
見た目次第で、鑑賞者に生命を感じさせることを証明しました。

ロボットでも、鑑賞者に心を感じさせることができるのであれば、
石も見せ方次第で命を感じさせることができると自分は考えたわけです。

ここで、先ほどのイサム・ノグチ展に戻りましょう。

最後のフロアに石の彫刻作品が飾られていたのですが、
まるで石が何かを私たちに語りかけているような形をしており、
不思議な気持ちになったことを覚えています。

そこで、イサム・ノグチさんがくり返し語っていたことは

石が話始めるのですよ。
その声が聞こえたら、ちょっと手助けをしてあげるんです。
                        イサム・ノグチ

という静かな言葉でした。

つまり、石に命を感じさせるためには手を加えすぎてはいけないんです。

石に手を加えすぎず、必要最低限の力で作られた彫刻作品の数々は
命の息吹を感じさせるという、イサム・ノグチさんが長年、
石と向き合ってきたからこそ、語られた言葉でした。

だからこそ、石でサイエンスアート作品を作るには必要最低限の力で
慎重に作品を作り上げる媒体を選ぶ必要があるわけです。

3、石の音楽を奏でる

必要最低限で石に手を加える別の方法

石に必要最低限の力で命を感じさせる方法。
それは最終的に"音楽"なのではないかと考えました。

自分が持っているあらゆる石同士をぶつけて、
ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シの音階になるように音を作って
音楽を奏でる。

こうすることで石が持つ生命の息吹に、ギターやキーボードなど
少しばかりの楽器の音色を加えることで、イサム・ノグチさんの
最小限で石に手を加えるという行為に近づくのではないでしょうか。

また、映像も派手な映像というより、
石の様々な命を感じさせるようなアニメーション、実写を加えることで
短い時間で、石に生命を感じさえるような映像作品ができると思いました。

やってみないとわからないところがありますが、
ひとまず、サイエンスアート作品のコンセプトと表現手法が決まりました。

最後に: ウイルスと石

ここまで石についてのサイエンスアート作品を語ってきましたが、
前振りの方が長くなってしまい、あまりうまく書き下すことができなかったみたいです...。

最後の章ではここまで石を散々、生命を感じさせるようにすると言ってきましたが、個人的にはウイルスに対して感じる物を想起させようとしているのかなと思います。

ウイルスは生物でも非生物でもない曖昧な境界線に属しているのに、
私たちはこのウイルスに対して常日頃、心は感じないものの
生きていると考えてしまうわけです。

これは生物と非生物の間を考え、生命を感じさせる要因について考えるのに
ウイルスは非常に考え深い存在であることを示しています。

石についても生命を感じさせるようなことができたら、
ウイルスに対して感じることと重なるのでしょうか..?

本当のことは作ってみないとわからないです(o!o )

最後の画像

それでは、またお会いしましょう...!!
良かったら、イサム・ノグチ展について解説した動画を作ったので、
お時間のある方はぜひとも、見てくださいね~

デアッ( o|o)/~

(参考文献)


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