見出し画像

元Big4、20代コンサルがNYに越してきて鬱になりかけている話

NYに越してきて3ヶ月が経った。

なぜ日本を出たかったのか

私は人生のほとんどをこれまで日本で過ごしてきたのだが、ずっとずっと日本を出たいという気持ち、その一心でこれまで日本で過ごしてきていた。

どうしてこの国で生まれたのか、育ったのか、親がどうして別の国に行ってくれなかったのか、、そればっかり考えていた。

日本が意味もなく嫌いなわけではないが、ルールが多すぎて、やらないといけないこと、従うべきもの、人の目、暗黙の了解、などなど私にとってはとてもとても苦痛だった。

なんだろう、別に従うことはできるし、どういった行動をとることが期待されているのかもわかってはいる。ただ、心の奥底では従いたくないし、従わないといけない理由がわからなかった。意味もないルール、ただそういうものだから、と従うというのが思考停止すぎて、あまり意味がわからなかったのだ。

日本以外の場所に行ければ、変わるはず、もっとハッピーになるはず、そう思って、それを希望に頑張ってきたのだが、NYについて3ヶ月、色々と感じている。

NYでの3ヶ月、思うこと

日本を出ることは結論間違っていなかった。確かにルールはないし、(自分が作る、もはや自分がルールだ!みたいな人だらけ笑)空気を読むとか、気を使うとか、意味もなく従わないといけないものは基本ない。(少なくとも自分はそう感じている)

ただ、逆に何か問題があると、こういうもんだからと我慢する文化がないからか、(会社にお世話になってるし、恩を感じてるから、仕事嫌いだけどもう少しいよう、、、みたいなの全然ない)自分の今の状況を少しストレスに感じてしまっている。

私は、タイトルにも書いた通り「元」コンサルだ。日本ではコンサルだったが、NYではインハウス(会社の内部の仕事をする人)で仕事をしている。

ほんとはもう少しコンサルにいたかったのだが、アメリカのジョブマーケットが厳しく、ちょうどテックコンサル関連のレイオフ(突然の首)の真っ最中で、とてもじゃないがコンサルの仕事にはありつけなかった。

夫となった人が先にNYに来ていたため、まあ、、寂しく、(もう7年ほど離れて暮らしてたため)ある意味、妥協して仕事を選んだ。

コンサルが全てじゃないし、私のアイデンティティでもないし、大丈夫だろうと思っていたのだが、いざ仕事が始まってみると、正直つまらなくし仕方がない。

毎日何かしらのやりがいを見つけようと奮闘はするのだが、なんだか違うんだよな、、何で私はここにいるんだろうというところに気持ちが戻ってきてしまう。

そんな状況を会社の同僚に言うわけではないのだが、会社外でヨガ教室に行ったり、知り合いと話していたりして、皆カジュアルに、「仕事無理だったからやめたわ」、「ここのこれXXがだめだったから取り替えたわ」、、などなど何か問題だと思うことがあるとサクッとアクションをとるのを見ると、さらに鬱になってしまう。

なぜアクションを取らないのか、葛藤とストレス

じゃあ、私もアクションを取ればいいではないか、そう思うと思う。私もそう思っている。

ただ、問題なのは、今の仕事にありつくのに2年かかったこと、そして今仕事をやめたらアメリカを出ないといけないこと(ビザできているため)なのだ。

仕事をサクッと辞めても次の仕事が見つかる保証はどこにもない。仕事をやめられない、、その事実がまた自分に重くのしかかる。

仕事が見つからないなら、仕事にありつけるだけのスキル・知識を大学院などで取得すればいいのではないか。それも考えているところだ。

ただ、大学院に行くには少なくとも1千万ほどは使うことになる。そのお金は手元にあるものの、一所懸命貯めた資金を使うには、本当に自分にとって意味のある、そして投資対効果があったと思える、そんな経験、1年にしたく、それがピンとくるプログラムを見つけられていない今は、なんだか正直出願する気になれないのである。

色々つべこべ言ってないでさっさと何かアクションを取れ!それも自分の頭の中でここ数ヶ月鳴り響いている言葉である。そうなんだけど、、、この「だけど」がまた自分にとってはストレスなのだ。

場所は何も解決してくれない、自分のことを深く知るNY

なんだろう、日本を出たら出たらで、謎に今度は鬱になりかけている。日本を出ることに必死になっていた自分だが、「日本を出る」という目標に向かいただがむしゃらに好きなコンサルという仕事ができていたのが、なんだかんだ結構幸せだったのかもしれない。

ルールはない、縛りはないそんなNYは自由でもあり孤独でもある。時たまある意味上手くレールに乗れないと監獄の中にいるようだとさえ思ってしまう。

自分で自分の監獄を作れる、そんな街だな、そういうふうに今は感じている。

今後、この街で

この街で私は生き抜きたい。監獄ではなく、私の庭としたいのだ。
今は自分の文章に「だけど」「ただ」「でも」が並びまくっているが、数年後、いや来年このNoteを見返したときに、こんなこともあったな、そう思いたい。
そう思えるようにしたいのだ。

NYは厳しい。自分を持っていないと、自分を見つけないと、そんなプレッシャーを感じる。だけど、私は見つけたいのだ。

胸を張って、
「仕事が好きで、誇りを持って仕事している」
「問題は時たまあるけど、やりがいを持って仕事し、生きている」
そう言いたいのだ。

今後の自分にワクワクしながら、今日もNYで生きていこうと思う。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?