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【批判・バッシング】品行方正を鏡にうつして

ここ数年、著名人の言動に対して、その場での言動だけでなく、『数年前の言動』や家族、ルーツなど、話題の対象から離れたものにまで目を光らせてバッシングされるようになりました。

インターネットが普及し30年以上経過したことで、あらゆるデータが蓄積・更新されるようになったことが起因しているようです。
今回は、批判・バッシングと押し付けについて考えてみました。

批判やバッシングがしやすいデジタルタトゥー

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『デジタルタトゥー』とは、インターネット上に残ってしまったデータのことです。一度インターネット上で記録されてしまうと、なかなか消すことができないためタトゥーに例えられています。

今はどんなに小さな記録もデジタルタトゥー化されてしまいます。過去のスキャンダル、発言、学生時代に付き合っていた恋人との写真…。

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デジタルタトゥーは、名前や出身学校などのキーワードから簡単に検索でキルトうえ、掲示板文化によってスクリーンショットやテキスト転載などで『魚拓』として複製・保存されることもあります。 

なかには、これらの情報を見つけ出すことを趣味とする人も。抜きん出ている人を見かけると、どこからか過去の言動などを引きあいに「過去にこんなことを言っていた」「こんなことをしていた人間だ」と批判やバッシングを繰り広げています。


監視社会×品行方正の押し付け

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あらゆる言動がデジタルタトゥー化され、なおかつ個人がそれらを監視する社会で品行方正であり続けることは難しいものです。

しかし、人々は著名人に対し勝手な価値観を押し付け、そこから外れると「そんなひとだと思っていなかった」と批判します。


生涯で一度も『信号無視をしたことがない人』は少ない

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人はたった90年ほどしか生きないのに、その間に多くの過ちを犯します。

生まれてから現在に至るまで、ひとつも間違ったことをせずに生きている人は少ないでしょう。

・ケンカして友達を傷つけた
・嘘をついた
・横断歩道ではない場所を渡ったり信号無視をしたりした
・その場の空気を読んで、意にそぐわないことも笑って誤魔化した

大小にかかわらず、こんな経験は数えきれないかもしれません。

特に表立って活動している人は、著名がゆえに小さな言動もインターネットに記録されやすいものです。

でも、一般人も同じような過ちを一生涯のうちに行なっている可能性は十分あり得ます。他者を批判やバッシングしたり、見聞きしたりした際は、自分の品行方正を鏡にうつしてみることも必要でしょう。

過去を振り返り反省することは大切

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過ちは誰にでもあることですが、過去の言動を顧みることも大切です。

間違ってしまったら『過去の自分に対して反省し、関係者がいるのなら謝る』『繰り返さないために自分の言動を変える』。謝っただけでは済まされないこともありますが、これらは最低限すべきことかもしれません。


受け手は『ズレている』批判やバッシングに注意

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批判やバッシングのなかには、本質からズレているものも少なくありません。

●情報を一部だけ切り取る
●言葉端や伝え方に執着する
●ジェンダーや年齢を理由に軽んじる
●本人や家族のルーツを持ち出す
●数年以上前のことを持ち出す
●別問題に対して『このことについてなぜ言及しない?』と持ち込む
●ひとつの発言から『〇〇と〇〇もかるのになぜ言及しない?』と関連するすべてのトピックスのカバーを求める

このような批判やバッシングは、本題からそれてしまう可能性があります。


問題の『本質』と『今』が重要

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たとえば他者が間違ったことをしたとき、そのことについて一生謝り続け、ことあるごとに後ろめたさを表現する必要はあるでしょうか。はたして、それは問題解決につながるでしょうか。

もし、批判やバッシングを受けたり見たりしたとき、『本質から逸れていないか』『その人は今どうなのか?』という視点を持つことが大切です。


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