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こころは選べる。In the tea, we can see our life.

立夏 5月5日~5月20日~

『なつの立つがゆへなり』

風薫る、薫風初夏。

夏の兆しが見え始める夏も近づく八十八夜♪

立春から数えて八十八日目の
3月からこの頃までの新芽は
お茶の葉にするとほんの一握りにしか
ならない貴重なもので

また
一番若いエキスの抽出で
栄養価がたくさん含まれることから
新茶を飲むと一年無病息災
元気に長生きすると言われてきました。

初夏ここでの立つ、というのは
自然界の現象が目立って現れるとか
始まるという意味で
人生サイクル で言うところの
青年期~成人期に当たります。

薫風5月
私自身の土壌ベースが植木鉢からプランター に
そして沖縄の畑へ移し替えが済んで
ちょっと落ち着いた頃のエピソードなのですが
住宅を建設する際の一コマで
お馴染みの母ちゃんとのやりとりを思い出します。


建設中にも関わらず、

『玄関の位置変えてちょうだい〜』とか、

『こっちに階段つくってくれないね〜』とか、、

無茶苦茶も、滅茶苦茶も、

この四字熟語が醸し出す
道理に合わないことの甚だしい様子はご存知の通りそれはそれは私にとっては
この頃の日常茶飯事。

その後『だからよぉ〜』と
お茶を濁される汎用性がマジ高すぎて
会話の中断に度々登場。

来たばかりの頃は「だから」にただ
「よ」をつけた
可愛らしい「沖縄方言.ウチナーグチ」なのかなあと、
その後説明が続く接続詞みたいなものかな?
とニッコリまっていたのも束の間、、

待っても、待っても、、ここ で会話が完結していることにびっくりで!!!

あの姉さんも、このオジイも、そこの患者さんも、ミーン な使う!
その茶化されたような文法用途は
本土とは全く違っていました、、
(中学受験なんかやったも んだから
国語のウンチクが多くてスミマセン〜!)

うちなーんちゅ以外の方は
先ずはこちらから学習してからお進み下さい。
だからよ〜使用例講座)

だんだん慣れてきたこの時期
ココで話を終わらせてどうすんの?!!、
『あのね、普通はね、』と 全力でつっ込んで,
力説追求していく流れになって行きますが、

こういった出来事は
理の真髄を知っておかないと
自分の感情のドラマに相手を付き合わせてしまう
まさに昼ドラなステージでもあります。。

(先月のお料理教室
  朝ごはん アボカド丼が大好評でした〜)

建築中....
みなさんおつかれさんだね〜
あっちにドア作っくれないね〜
こっちの壁取ってくれないね〜

プラモデルじゃないっつーの!
と毎日の様に思ったことをリクエストする
母ちゃんに、、、

追求していっても
『だから』に『ねー』のお茶目バージョンや
『だからよう、、』と
子猫の様な寂しそうなバージョンも

『もうーーーーーー』っと
頭を抱えてしまう、母ちゃんとの
会話が全く噛み合わないこの流れに

毎日のもやもやが
私をどんどんネガティブな気持ちにさせることは
当然で、でも、誰に話したって
この茶番劇は笑いにしかならなくて、

笑いをとっているわけではないんだけれども
正直に話せば話す程笑ってくれる友人たちから
『大変だねえ』と言われても、、
解ってくれてるような、
解ってもらえ てないような、、、
一人わじわじしているこのわたしの心は
一体なんなんだろうと、
湧いてくる感情の茶摘みをしながら
沖縄の紺碧の海を見つめ一人ポロポロ泣いては、
あらゆるところに発散して いく
流れになるのです。

筍のそぼろも大好評でした✨
有馬山椒(実山椒)を入れるのがコツです。

ただ、今思うことは
ネガティブに引っ張られるのと、
ネガティブを意識するのとは違う、、。

当時これを知っていたらよかったなあと思います。

ネガティブなことに引っ張られ、
意識がそこに入り込んでしまう事と

ネガティブを意識、
つまり客観視する事は、違うんです。その事に対して真剣になるのと、
深刻になるのは違う。

『ネガティブな自分の感情』に深刻になり、
刻印のごとく、、毎瞬、毎瞬、
深く、思い込んで、刻み込んで、いって、
しまっては、、、!

その後の未来の行き先が、
ワケもカタチも全然、違ってくるのです。

感情は選べる』のだ、ということ。

『五感の観察』のフロアーに 
自分の身を置いておかないと
現実の舞台で感情的、
思考的だけになってしまえば
ドラマティックな混乱を引き起こす
カオスでしかない。

意識の中で 
悩みの部屋のスパイラルに入ってしまった事に 
気づく事、

自らの思考回転で 
閉じ込めていった事に早く気づく事。

自動的に選んでしまっているにせよ、
ちょっと待てよ?と、
仕切り直しをする視点を是非持って下さい。

そうじゃないでしょうよ?!と
一旦!茶ぶ台をひっくり返し!

自分の思考の中に 
閉じ込められているところに 
自ら首をっつ込んで行くこと

閉じ込められているところから
出してあげるアプローチをすること、

それは誰かにやってもらうことではないのです。 

自分自身を、観察する意識。
高い位置から、自分を視る意識。
わたしは、今、一体、何を、考えているんだ???・ 



ただそこにネガティブな気持ちがあったことに気づくだけで良いんです。 わたし、いま、、、いやな気持ちになってるんだなあ、、...........って
ただ、今は、それだけなのです。


実はこの道理、
『理』にかなっていなかったのは私の方で、
『理』に含まれる物事の筋道というのは
いつだって正直な人の流れの方向に
進んで行きます。
『なんでちゃんと話し合わなかったの?』って
厳しい顔つきをした左官屋さんからの
苦言の中には、
本当の意味では優しさが込められていました。
母ちゃんはいつだって正直でしかなかった。

このお話は10年近く前の出来事ですが、
一つづつ積み重ねて行く事」空間、時間、人間あらゆる間との「コミュニケーション」というものの
本質についてこの後、
深く考えて行く大きなきっかけになりました。


同じ茶、同じ水を使っても一度として同じようにお茶が入る事はないのよって... いつとして同じ状態に心を止めておけぬ、一期一会の流れていく人の心
すっかり忘れてしまっていた、 
昔教わった、茶の湯の心。

自分に軸を持ちながら、
相手の心の変化に付き合える、
セルフマネジメントと、
相手とのコミュニケーション術。

若かりし頃
お煎茶を習っておりまして、
白金台の般若苑や増上寺にてよく
お茶会でのお点前を。。

京都の黄檗山萬福寺などでも、、
懐かしいなぁ。


・ ・ ・ ・

だんだん落ち着いてくると、
お茶を濁す『だからよ~』の
この言葉は殊の外使いやすく

この技術は人間関係で揉めない 
最高の知恵かもしれない!って
上手に使い分ければ
話の長い人との会話もストレスフリーになる
共感と理解が何とな~く含まれる、
なんて素敵な言葉なんでしょう♡と
今では このウチナーグレイの世界観に、
真の理を見いだせるのです。

人の責任をそこまで追求しちゃあいけない。

一番茶は甘みを、二番茶は甘、苦、渋、、三番茶は、淡水の如く。

二番茶の苦味に甘味の余韻を感じられる様になってきたたここ数年、 この茶番劇に  
一旦区切りをつける準備で
三番茶あたりに片足を引っ掛けてきたのか

この便利なウチナーグチを最近お茶の子さいさいで使えるようになってまいりました。

一煎のお茶から味わいを感じ余韻を楽しむ事で、 お茶というものは喉の渇きを潤すだけでなく、
きっと心の渇きも潤し癒してくれることでしょう。

一人一人に内在する、
破壊と創造するパワーを使って是非、

過去の出来事から「苦味を感じる」ひと時を。

その空間、時間はきっと
自己の成長に甘く繋げてくれることと
思っています。


す、すみません!
インゲンを使ってみんなで一筆

いろいろあるさ
にんげんだもの....

美味しいかき揚げになりました。


今月は京都一保堂の『薫風』を
水出し緑茶で頂きます。

お料理教室は
こちらよりご覧ください

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